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  • メシア ― 彼は何を成し遂げるか そしていつ?
  • 目ざめよ! 1976
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目ざめよ! 1976
目76 7/22 23–27ページ

メシア ― 彼は何を成し遂げるか そしていつ?

「メシア」という語はあなたにとってどんな意味の言葉ですか。イスラエルの敵を破り,ユダヤ人に約束の地を回復し,エルサレムに神の崇拝の神殿を再建する政治家のような人間のことを考えますか。

このようなメシアは今だかつて現われたことがありません。世界のある場所ではユダヤ人が今だに虐げられています。にもかかわらずヘブライ語聖書は全人類がそれによっていつの日か祝福を受ける「胤」のことを明白に述べています。この胤あるいは(「油そそがれた者」を意味する)メシアは族長アブラハム,イサク,ヤコブの子孫であり,ユダ族およびダビデの王家から出るのです。―創世 3:15; 12:1-3; 22:18; 26:3,4; 28:13,14; 49:10。サムエル後 7:12-16。

しかし多くの人はメシアのことについて少なからず混乱しています。ユダヤ教事典には次のように記されています。「メシアについては様々の考えがあった。……しかしこのすべての考えについて決定的な意見はなく,ユダヤ教はこれらの事柄についてなんら明確には述べていない」。しかしヘブライ語聖書はどうですか。約束のメシアについてヘブライ語聖書に何と記されているかを,あなたご自身,調べたことがありますか。メシアは何を成し遂げるのですか。それはいつのことですか。

準備的に成し遂げられた事柄

ヘブライ語のことばマーシアーすなわちメシアが名詞として単独に(つまり「神の油そそがれた者」,「わたしが油そそいだ者」などのように修飾語を伴わずに)用いられている箇所は,聖書中にただひとつしかありません。それはダニエル書 9章24-27節であって,その句はメシアの成し遂げる著しい事柄を指摘しています。それはメシアの支配のもたらす祝福が全世界に及ぶはるか以前に成し遂げられる事柄です。次のように記されています。(口語訳)

「あなたの民と,あなたの聖なる町については,七十週が定められています。これはとがを終らせ,罪に終りを告げ,不義をあがない,永遠の義をもたらし,幻と預言者を封じ,いと聖なる者に油を注ぐためです。それゆえ,エルサレムを建て直せという命令が出てから,メシヤなるひとりの君が来るまで,七週と六十二週あることを知り,かつ悟りなさい。その間に,しかも不安な時代に,エルサレムは広場と街路とをもって,建て直されるでしょう。

「その六十二週の後にメシヤは絶たれるでしょう。ただし自分のためにではありません。

「またきたるべき君の民は,町と聖所とを滅ぼすでしょう。その終りは洪水のように臨むでしょう。そしてその終りまで戦争が続き,荒廃は定められています。

「彼は一週の間多くの者と,堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに,犠牲と供え物とを廃するでしょう」。

「メシヤなるひとりの君」(ヘブライ語でマーシアー ナギド)が来ることは,罪に終わりを告げることと,ここで関連しているのにお気づきでしたか。このことにおいてメシアはどんな役割を果たすのですか。イザヤ書 52章13節から53章12節に見いだされる預言に記された点を幾らか考慮することにしましょう。昔のユダヤ人によるアラム語への意訳すなわちタルグムは,この預言を「わがしもべ,油そそがれた者[すなわちメシア]」に適用しています。

「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ,われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて,われわれに平安を与え,その打たれた傷によって,われわれはいやされたのだ。

「しかも彼を砕くことは主のみ旨であり,主は彼を悩まされた。彼が自分を,とがの供え物となすとき,その子孫を見ることができ,その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

「それゆえ,わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで,自分の魂をそそぎだし,とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い,とがある者のためにとりなしをした」― イザヤ 53:5,10,12,口,

「とがある者のためにとりなし」をすることは,人々がメシアによる将来の祝福を受けるのに必要な土台を据える予備的な段階です。どうしてそうなのですか。だれにせよ老齢と死の苦しみに直面しながら,メシアの支配の益をはたして真に享受できるでしょうか。またこの死というものの原因は何ですか。

聖書の中で死のことが初めて述べられている箇所は創世記 2章16,17節であって,そこには最初の人間アダムに対する神の次の言葉が記録されています。「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると,きっと死ぬであろう」。(口)この命令に不従順であれば,死に至る過程は直ちにアダムに作用し始め,アダムは遂には死ぬ結果となります。

聖書はアダムとその妻エバが神の命令を確かに破ったことを記録しています。(創世 3:6)それは彼らだけでなく,今日生きているわたしたちをも含めて彼らの子孫すべてに影響を及ぼしました。族長ヨブはこう言明しました,「だれが汚れたもののうちから清いものを出すことができようか,ひとりもない」。(ヨブ 14:4,口)詩篇作者ダビデは書きました,「見よ,わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました」。(詩 51:5,口)聖書によれば人間は受胎した時から,罪とその終極の結果である死を受け継いでいます。

人間が罪を受け継いでいるという教えに反論する人も確かにいます。人間にはすべて悪を行なう「傾向」があるとはいえ,人間はそれを十分に克服できると,その人々は論じます。例えばユダヤ人の後期ヘブライ文学には,「完全に義である」人々のことが出ています。しかしそのような人に会ったことがありますか。このうえなく献身的な,また高い教育を受けた人々の努力を結集してさえ,憎しみ,犯罪,暴力,性の不道徳その他,人類を苦しめている災いが増し加わるのを防ぎ止めることに成功していますか。人間の罪深い傾向を除き去るというのであれば,それには神の助けが明らかに必要です。

どれほど高い「価」?

しかしモーセの律法の下でささげられた動物の犠牲や他の供え物は,贖いの日のものを含め,なぜ罪をおおわなかったのですか。聖書の示すところによれば,受け継いだ罪をつぐなうには動物の犠牲よりもはるかに貴重なものが要求されています。詩篇 49篇6-9節(口)に次のことが記されています。

「彼らはおのが富をたのみ,そのたからの多いのを誇る人々である。まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。その命の価を神に払うことはできない。とこしえに生きながらえて,墓を見ないためにそのいのちをあがなうには,あまりに価高くて,それを満足に払うことができないからである」。

人類を罪と死から贖う「価」はどれほど高いものでしたか。神の完全な正義は『魂には魂』を要求していました。(申命 19:21)アダムは初め罪のない完全な人でした。それでアダムの罪ゆえにアダムの子孫にとって失われたものを回復できるのは,別の完全な人間の他にはありません。すでに見たように,聖書のダニエル書は,この役割を「メシヤなるひとりの君」に与えています。

メシアのこの予備的な働きが成し遂げられる時を,人々はいつごろ期待し始めるべきですか。この「油そそがれた者」が歴代の先祖を持つ人間であってしかも罪のない人であることは,どうして可能なのでしょうか。

メシアに至る「週を数える」

「七十週」の預言は,「エルサレムを建て直せという命令が出てから」「メシヤなるひとりの君」の現われるまで69週(7+62)あることを明確に述べています。(ダニエル 9:25,口)その「命令」が出たのはいつですか。

ヘブライ語聖書のネヘミヤ記 2章1-6節は,ペルシャ王アルタクセルクセス・ロンギマヌスが,エルサレムの復興と再建をはかるこのような「命令」つまり勅令をその治世の第二十年に発布したことを記しています。それは西暦前455年でした。ユダヤ人また他の国の学者の多くは,ここに述べられている「週」を「週年」つまり各週を七年間とする期間と見る点で一致しています。西暦前455年から69週年すなわち483年を数えると西暦29年になります。メシアと唱える者がだれかその年に現われましたか。a

ナザレのイエスについてはどうですか

たぶんあなたはナザレのイエスを思いつくことでしょう。イエスはその頃の人です。イエスは約束のメシアであることを証明する信任状を携えていましたか。歴史としての正確さで定評のあるルカの福音書は,イエスの先駆者であるバプテストのヨハネが「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」にその公の伝道を始めたことを記しています。その年は部分的に西暦29年と重なります。(ルカ 3:1,2)およそ6か月後の西暦29年にイエスはバプテスマを施され,「油そそがれた者」として公に宣べ伝え教える活動に遣わされました。―ルカ 3:21-23; 4:16-21。

本誌の前の記事の中で述べたように,イエスの驚くべき奇跡に加えてその教えの方法と内容は,イエスが約束のメシアであることを多くの人に得心させるものでした。イエスの誕生と死の時の状況でさえ,約束のメシアに関してヘブライ語聖書に預言された事柄でした。それはどのようにですか。

まずイエスはベツレヘムで生まれました。その事についてミカ書 5章2節(口)に次のように記されています。「しかしベツレヘム エフラタよ,あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが,イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から,いにしえの日からである」。

アラム語への意訳であるユダヤ人のタルグムではこの節は,「あなたからメシアがわたしの前に出るであろう」となっています。―マタイ 2:1を見てください。

イエスがどのように生まれたかも注目に値します。福音書の記述は次の通りです。

「み使いガブリエルは神のもとから遣わされ,ナザレというガリラヤの都市に,つまり,ダビデの家のヨセフという人と婚約していたひとりの処女のもとに来た。……それでみ使いは彼女に言った……『見よ,あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。あなたはその名をイエスと呼ぶのです。これは偉大な者となり,至高者の子と呼ばれるでしょう。……しかしマリアはみ使いに言った,『どうしてそのようなことがあるのでしょうか。わたしは男と交わりを持っていませんのに』。み使いは答えて言った,『聖霊があなたに臨み,至高者の力があなたをおおうのです。そのゆえにも,生まれるものは聖なる者,神の子と呼ばれます』」― ルカ 1:26,27,30-32,34,35。

イエスの奇跡的な受胎またマリアの胎内におけるその成長が神によって『おおわれた』ことは,アダムからの罪がないことを保証しており,したがってイエスは完全な人間でした。こうしてメシアは人類を罪と死から贖う高価な贖いの価を払うことのできる立場にありました。―詩 49:7。マタイ 20:28。

ダニエル書 9章25-27節(口)によれば,「メシヤなるひとりの君」は「[七十]週[目]の半ばに」「断たれ」ます。イエスが西暦33年春の過ぎ越しの日に死なれたことは,これと全く一致します。それは正確に『週年』の半ば,すなわちイエスのバプテスマから三年半後でした。―マタイ 26:2。ヨハネ 13:1,2。

イエスは約束のメシアでしたか。ここにあげた事実はその結論を明白に指し示しています。しかしこの種の証拠だけでは十分に納得しない人も多いことでしょう。何かそれ以上のものが必要です。そしてそのような証拠があります。それはどんな面の証拠ですか。

『天才の精神』

イエスの生涯は聖書預言の中にあらかじめ定められた日付と場所に一致するというだけの事に尽きるのではなく,はるかそれ以上のものであり,この事に留意するのは大切です。イエスの教えと行動は紙に書かれた単なる言葉ではありません。イエスは人でした。イエスがメシアであったかどうかを決めるのに,その「精神」つまりイエスをイエスたらしめ,その語った事,行なった事をイエスに語らせ,行なわせる推進力となった心の態度を考慮しなければなりません。この点についてユダヤ人の学者クロード・モンテフィオーレは「共観福音書」の中で次のように書いています。

「イエスの教えには,ある種の精神と情熱とがある。人はそれを味得するか,しそこなうかのいずれかである。……世界にこれほど大きな影響を与えたイエスの教えは,命令の詳細な羅列以上のものであり,またそれ以外のものである。それは部分の単なる寄せ集めではない。それは全体であり,精神である。その精神には天才の特性がある。それは偉大であり,活気づけるものであり,雄大である……

「福音書の中でイエスが話者となっている,例えば1,000の句を選び,そのうちの970に非常によく似た別々の言葉があったとして,たとえそれらを集め,すてきな小さい本に作り上げたとしても,出来たものはその宗教的価値において同等な代用物とはならないであろう。まとまり,気品,精神,特質はすべて失われてしまっているであろう。あるいは,むしろこれらのものを,断片と豆記事の優雅な寄せ集めの中に吹き込むことはできなかったということであろう」。

マタイ,マルコ,ルカおよびヨハネの四つの福音書の記述をヘブライ語聖書の光に照らして注意深く研究することにより,イエスの教えの「精神」を汲み取る努力を実際に払ったことがありますか。そうすることは,メシアのまず果たすべき役割を理解する助けとなるでしょう。また神の「油そそがれた者」に関して広く一般の人々の期待した事柄が,ナザレのイエスによって当時成し遂げられなかった理由を理解できます。しかしイエスの成し遂げた事柄は,全人類が近い将来にすばらしい祝福を受けるための土台を据えるものでした。それはどんな種類の祝福ですか。あなたは生きてその到来を見るでしょうか。

最終的に成し遂げられる事柄は今の時代に成就し始める

ヘブライ語聖書には,栄光を受けた天の王としての「人の子」すなわちメシアに関する預言もまた含まれています。神は天の王としてのメシアに「主権と光栄と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせ」ます。(ダニエル 7:13,14,口)その天の王国の支配の下で人類は全地に復興する楽園に住み,完全な健康を与えられて永遠の命を享受することでしょう。(詩 133:3。イザヤ 33:24; 35:5,6と比べてください。)死者でさえも復活を受けて生命にもどるのです。(ヨブ 14:13-15。ダニエル 12:13。ヨハネ 5:28,29)このすべては,メシアがご自分の完全な人間の生命をすすんで犠牲にされたことによって可能となるのです。しかしこのような祝福の時はいつ到来するのですか。

イエスは当時のユダヤ人の間で広く期待されていた事に反して次のように説明されました。『神の王国はきわだって目につくさまで来るのでは……ありません』。(ルカ 17:20)ではその王国の近づいた時,どうして確かに知ることができるのですか。

「事物の体制の終結のしるし」として,とりわけイエスは大規模な戦争,重大な食糧不足,地震,不法の増加および他の「苦しみの劇痛」を預言されました。(マタイ 24:3,6-8,12; 啓示 6:1-8と比べてください)このような出来事は,画期的な年となった1914年以来,先例を見ない規模で人類を悩ましてきたのではないでしょうか。イエスの預言によれば,この経験をする世代はメシアの支配の祝福が全地に及び始めるのを見るでしょう。(マタイ 24:34。ゼカリヤ 9:10)それは今日生きている人々にとって最良のニュースではありませんか。

ヘブライ語聖書は「メシヤなるひとりの君」がまず最初に果たす,罪をおおう役割を述べ,またメシアの現われる年として西暦29年を正確に示しています。(ダニエル 9:25)メシアの犠牲の死は『週年』の半ば,すなわち3年半後に遂げられます。(ダニエル 9:26,27。イザヤ 52:13–53:12)ナザレのイエスの生涯は,これらの預言またメシアがまず成し遂げるわざを示した他の預言すべてに全く符合します。これに照らして見る時,福音書の記述はきわめて真剣かつ注意深い研究に値するのではないでしょうか。あなたはこのような研究をすすんでされますか。全地に及ぶメシアの支配の祝福にあずかることを願う人にとって,そうすることは絶対に必要です。

[脚注]

a ある人々の言うところによれば,この預言は二人の「油そそがれた者』のことを述べています。その人々の考えでは,ひとりは7週(49年)後に,もう一人はさらに62週(434年)後に現われます。しかしこれは聖句の述べるところでも,西暦一世紀のユダヤ人がこの事柄について抱いていた見方でもありません。例えばギリシャ語七十人訳は,ヘブライ語本文に「七」および「六十二」「週年」とある二つの期間を結びつけてひとつにしています。ヘブライ語の述べるところをこのように見れば,ただひとりのメシアが69週(483年)後に現われることになります。

西暦紀元初めのユダヤ人がこの預言に対して抱いた見解につき,十七世紀のユダヤ教律法博士メナセ・ベン・イスラエルはその著デ・テルミノ・ビタエ[「生命の終わりについて」]の中で次のように書いています。「ある者たちはこれらの70週を次の意味にとるのを常とした。すなわちその期間の終わりにメシアが現われ,彼らを全世界の支配者にするということである。事実,当時ローマに対して武装蜂起した者たちは皆この考えを抱いていた」。

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