残虐行為に対する世界的な抗議
エホバの証人は,ここ数か月間に文字通り幾万通もの手紙を,バンダ大統領を含むマラウィ政府当局者に書き送りました。それらは,自分たちのクリスチャン兄弟姉妹の被っている苦難を和らげる処置が取られるよう求めるものでした。しかし,この残虐行為が広く知られるようになり,数多くの独自の調査によってそれが確認されるに及んで,エホバの証人以外にもますます大勢の人々がマラウィの当局者に対する抗議の声を上げています。
例えば,米国のチャーチ上院議員はこの迫害を非難し,米上院で次のように語りました。「エホバの証人に起きている事柄を明らかにした,ウォール・ストリート・ジャーナル紙の社説とダイヤル・トルガルソンがザンビアで書いたロサンゼルス・タイムズ紙の記事を[連邦議会]議事録に転載することについて,満場一致の同意を求める」。異議は唱えられませんでしたので,それらの記事は連邦議会議事録,1976年1月21日,S224ページに載せられました。
さらに,米国の下院議員ジョージ・E・ブラウン二世は,議会で次のように語り,その言葉は連邦議会議事録,1976年1月28日,E262ページに載せられました。「一党独裁の政府を持つマラウィの法律によれば,国民はすべて政党カードを所持しなければならない。エホバの証人はそれを携行しようとしないため,迫害を受けている」。
ブラウン下院議員はさらにこう述べています。「この問題に関する以下の記事を読むよう議員諸兄に強くお勧めする。そして,この記事は連邦議会議事録にも入れていただきたい。また,議員諸兄が,マラウィ政府高官と直接に連絡を取ったり,我が国の外交政策の優先順位を変更したりして,このような出来事の流れを変えるために,より積極的な役割を果たすよう求める。我が国の政策は,そうした事柄に対する我々の憎悪感を反映するべきものであり,無関心を反映するものであってはならない」。
さらに,エホバの証人に加えられている迫害に関する新聞報道を,単に連邦議会議事録に入れる以上のことがなされました。米国政府当局者の多くは,この問題に関して,マラウィのバンダ大統領に直接書簡を送りました。そうした手紙のうちの一通をこのページに掲げます。
国会で,エホバの証人に対する迫害について意見を表明した政府はほかにもあります。1976年2月17日,デンマークの国会議員ベント・オノーレは,同国のエホバの証人の支部事務所に電話を入れました。同議員は,デンマークの国会でマラウィのエホバの証人の惨状について話し合われたので,「自分たちが忘れられてはいないことを彼らが知り,この知らせが励みになるよう願っている」ということを,マラウィのエホバの証人に知らせて欲しいと述べました。
また,マラウィのエホバの証人に加えられた残虐行為は,1976年3月,西ドイツのボンで開かれたドイツ国会下院の長期にわたる論議を促すものとなりました。例えば,答弁に立ったビシュネウスキー国務相は,一部次のように述べました。「連邦政府は,マラウィのエホバの証人に対する迫害の報告を機会に,大使を通してマラウィ政府にドイツの見解を表明するつもりである」。
調査の結果
前の記事にも示されていたとおり,世界教会協議会の首席報道担当官は,同協議会がエホバの証人に対する残虐行為について独自の調査を行なったと述べました。その結果,世界教会協議会の長であるフィリップ・A・ポッター博士は,「目ざめよ!」誌のこの二ページに転載されている書簡をバンダ大統領に送りました。
さらに,1976年6月,世界教会協議会はこの問題に関して新聞発表を出しました。その発表によると,ポッター博士は,「現在,収容所に拘禁されていたり,逮捕され,拘置所に入れられていたりする同派の会員を釈放するよう,マラウィの大統領H・カムズ・バンダ博士に呼び掛けた。ポッター博士は,彼らを郷里の村に送り返し,正常な暮らしをさせるよう強く求めた」。
それに加えて,その新聞発表は次の点をも取り上げていました。ポッター博士は,「エホバの証人に対する同国政府および会議党の態度や政策を再検討するよう求め,この問題の永続的かつ最善の解決策を見いだすために,エホバの証人の指導者と話し合うよう勧めた」。
さらに多くの抗議
エホバの証人を支持して,マラウィ政府になされる抗議は,様々な形を取っています。例えば,1976年4月6日付のザ・エグザミナー紙の記事があります。米国ミズーリ州インディペンデンスで発行されている同紙は,マラウィのブランタイア市がインディペンデンス市の姉妹都市であることを説明し,こう述べています。
「ブランタイア市からは助成金の要請があり,それは同市に送られた。バンダ博士も1968年にインディペンデンス市を訪れ,ステファンソン・リンゴ園で開かれた昼食会の席上,棒の先に付けたライオンの尾を振ってすべての人を祝福した。好むと好まざるとにかかわりなく,我々と,悪名高い同博士およびその町ブランタイアとの間にはかなり深い関係がある」。
それから,ザ・エグザミナー紙の記者キース・ウイルソン二世は,次のように抗議しています。「わたしは市議会が,この関係を即刻解消するか,さもなくば,バンダ博士の哲学にのっとって,4月20日のヒットラー誕生日を祝うためのしかるべき式典を準備するよう提案する」。
そうです,バンダ大統領を直接知る人々の多くは,マラウィで起きている事柄を深く憂慮しています。その中には,米国や英国で学生時代を送ったころのバンダ博士を覚えている人もいます。同博士は,英米両国で幾つもの大学に通い,医学上の訓練を受けました。ウイルバーフォース・アカデミーで同博士を教えたことのあるフローラ・イサベル・アスキューは,エホバの証人に対するバンダ博士の仕打ちを聞いてこう叫びました。「なんということなのでしょう。彼がここまで身を落としてしまうとは」。彼女は,1960年代にバンダに会った際,「彼の願いは自国民を解放するということだけ」であったことを思い起こしました。
考慮を求める訴え
バンダ大統領にあてられた手紙の多くには,不当な苦しみを受けている無実なマラウィ市民のために救済措置を講ずるよう同大統領に求める,説得力のある訴えが含まれています。例えば,以前英国で同博士と一緒に働いたことのある,フュナリーのマクラウド卿は,去る二月バンダ博士に書簡を送りました。その中で彼は,バンダを博士と呼んだのが間違いであれば許してほしいと述べ,こう説明しました。「[しかし,]ずっと昔,グラスゴーのクライド街にあるコミュニティー・ハウスで,私たちはあなたをそう呼んでいました」。
マクラウド卿はエホバの証人ではありませんが,その手紙を書く動機となったものは「マラウィのエホバの証人に関して,最近当地で伝えられている新聞報道」であると述べました。そして,エホバの証人について次のように記しました。「彼らは,その平和的で勤勉な生活態度をもって全世界に知られています。……どうか私に直接ご返事ください。もしあなたの部下からの儀礼的な返事しかいただけないのであれば,この問題に関してあなたに近付くことはできないとみなし,自分なりの結論を出さざるを得ません」。
ウォルター・キング博士は,1976年5月26日付でバンダ大統領にあてて書いた手紙の中で,特に説得力のある訴えをしています。
「私が深く憂慮しております問題について,ぶしつけにもお話しする前に,私の立場を明らかにしておかねばなりません。私は,1968年当時,米国ノース・カロライナ州グリーンズボロにあったピエドモント病院が閉鎖された際,同病院の医務局長をしていた外科医です。
「私たちは,(エホバの証人をも含む)特定の教会関係者を通して,開発の途上にある優秀な貴国が,当時他の国々にも増して医療設備を必要としていたので,当病院の資材が……この小さな病院で役立ってきたと同様,人のために利用され得ることを知りました。……私たちは,マラウィの医療上の必要を満たすため,このわずかながらも心のこもった贈り物を発送することをすぐに決定しました……
「貴殿も私も科学者であり,輸血をするよりもむしろ死を選ぶほど,一つの宗教に対して深い信仰をどうして持つことができるのか不可解に思います。しかし,当国における私たちの経験から,この人たちが自分たちの宗教に全く献身しており(そして,政治や戦争から離れていることもその信条の一つなのです),それに対する違反行為を犯すよりはむしろ死を選ぶということをはっきり申し上げておきます。彼らは最も危険な手術の場合にも,輸血を受けようとしません。貴殿も私と同じようにお考えかもしれませんが,こうした種類の献身の念を国の誇りや市民としての行動に結び付けることができれば,その報いは彼らの強情とも思える信条を容認することを補って余りあります。ゆえに,私がマラウィの大統領という貴殿の立場にあるとすれば,どんな国でも誇りに思うような良い市民であることをマラウィで証明するよう,エホバの証人の団体としての一致した努力を勝ち得ることは,政治上の天才的手腕と言えるのではなかろうかと考えました。彼らは自分たちの宗教上の確信に対して貴殿が寛大さを示すことを望んでいるので,その寛大さに対する感謝の念に動かされて,それに答えるに違いありません。
「大統領閣下,私は貴殿に対してこうした要請を行なう特異な資格を持っていると思えます。というのは,私はこれらの人々を医者としての立場から見て知っているからです。私はカトリック教徒ですが,彼らの病気に外科的な処置を施す際,輸血を拒否する彼らの権利を尊重することがあります。そうすると彼らは,早目に歩行するようにとの私のささいな求めに至るまで従い,医学上の助言を信頼し,私の誠意に全幅の信頼を置くことによって,その寛大さに報いてくれます。エホバの証人との交渉を通して,私は,彼らが100%正直で,驚くほどの勇気を示し,必要とされる以上の忠節さを示すことを知りました。もし私がこれらの人々からなる一国民全体の指導者であれば,その考えの自由を認めることから多くの益が得られるという点を心から信じるでしょう。彼らは,その勤勉さ,キリスト教,そして正直さ,さらには納税の点でも他の人々の模範となって,国の誇りを高揚させます」。
1976年5月31日,バンダ大統領は12人から成る新内閣を組閣し,バンダ博士自身法務大臣を兼任することを発表しました。これまでバンダ博士がエホバの証人に関して誤った情報を与えられてきたということがありうるのではないでしょうか。同大統領は,これまでの,あるいは現在の閣僚たちによって,エホバの証人は強情で法律を守らない民であると信じ込まされてきたのでしょうか。エホバの証人を個人的に知っている人々は,そうした非難が不当なものであることを悟っています。
確かに,高くもない,単なる党員カードを買わないということは,エホバの証人の見地から物事を見ようとしない人々の目には強情な行為に見えるかもしれません。しかし,エホバの証人にとっては,神への崇拝が関係しているのです。それは,ヘブライ人ダニエルを憎む人々がある法律を制定したときに起きた出来事を思い起こさせます。その法律は,30日の間,王以外の神や人間に請願を行なう者をライオンのただ中に投げ込むよう命じるものでした。
今日のエホバの証人が投獄されたり殴打されたり強姦されたりすることを望まないのと同様,ダニエルもそれらライオンと相対したいなどと思いませんでした。それでもダニエルはすぐさまエホバ神に祈りました。彼は,法を守らない,強情な人などではありませんでした。しかし,神への崇拝が関係しており,そうした崇拝はいかなる一時的な権威よりも優先されるべきものです。(ダニエル 6:4-10)イエスの使徒たちも,同様の事態に直面した際,こう述べました。「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」― 使徒 5:29。
考えられる解決策
実際のところ,この問題には簡単な解決策があります。単なる身分証明書となるようなカードが準備されれば,マラウィのエホバの証人は喜んでそれを買い求めるでしょう。他の多くの国々でエホバの証人は,自国の法律に従い,そうしたカードを買い求め,それを携行しているからです。
しかし,最善の解決策は,信教の自由を擁護するためにも,エホバの証人が政党のカードを買わない権利を認めることであると言えるでしょう。自国民が迫害されることなく様々な見解を自由に持てる,という事実を誇りにしている国は少なくありません。そうした国々は,様々な思想を容認しているゆえに,他の国々から敬われています。
すべての人の益を考え,世界中のクリスチャンはバンダ大統領について祈ることでしょう。彼らは,「王たちや高い地位にあるすべての人びとについて」祈るようにとの聖書の励ましに従ってそうします。「それはわたしたちが敬神の専念を全うし,まじめさを保ちつつ,平穏で静かな生活をしてゆくためです」。(テモテ第一 2:2)2万人余りのマラウィのエホバの証人は,悩まされることなくそのクリスチャンとしての崇拝を行なってゆけるようになれば,同国に益と平和をもたらす強力な力となるに違いありません。
エホバの証人は,公式の文書をもってバンダ大統領に呼びかけ,そのような可能性についてマラウィの代表と話し合う用意のあることを明らかにしました。バンダ大統領に対して,電報や手紙などでこの問題に関する自分の考えを明らかにしたいと思われる方もおられるでしょう。同大統領の住所は下記のとおりです。
His Excellency the Life President of Malawi
Ngwazi Dr. H. Kamuzu Banda
Central government offices
Private Bag 301
Capital City
Liiongwe 3
Malawi, Central Africa
[7ページの囲み記事]
Congress of the United States
House of Representatives
Washington, D. C. 20515
1976年2月4日
His Excellency the Life President of Malawi
Ngwazi Dr. H. Kamuzu Banda
Central Government Offices
Private Bag 301
Capital City
LILONGWE 3
Malawi, Central Africa
バンダ大統領閣下:
私はマラウィ政府の責任ある指導者である閣下に,エホバの証人に対する貴政府の取扱いに関して私の抱いている憤りと怒りを明らかにせざるを得ません。小さないやがらせ,野蛮な殴打,性的暴行,家族の分離,非人道的な投獄,そして殺人など,信頼の置ける米国の新聞が伝える宗教上の迫害の数々は,集団大虐殺とも言えるほどの憎むべき政策です。
世界のどこでも現世の政治組織や政党を支持しないということを含め,私はエホバの証人の信条に通じております。また,そうした教義を守る際のその誠実さをも知っております。この人々と付き合った人は,彼らが良心的な隣人および市民であり,いかなる場合にも既存の政治秩序を脅かし得ないことを知っています。
宗教信条の自由な行使は,自由の中でも欠くことのできない要素であり,それは基本的な人権の最たるものの一つです。そして,貴国の1966年の憲法によってもマラウィの人々がその自由を享受できることが保障されています。私は,この政策を再検討して変更し,国際的に認められている人権をこのように蹂躪することをやめるよう閣下に訴えます。さもなくば,人間の尊厳を擁護する世界中の人々からさげすまれることになるでしょう。
敬具
署名
トム・ハーキン
国会議員
これは英文の手紙を訳したものです。
[8,9ページの囲み記事]
世界教会協議会
事務局
1976年5月31日
His Excellency Ngwazi
Dr. H. Kamuzu Banda
President of Malawi
Private Box 301
Lilongwe-3
Malawi, Central Africa
大統領閣下
過去数か月間,私共はマラウィにおけるエホバの証人の惨状に関する陳述や報道を受け取っており,この問題に関する情報を私共は深く憂慮しております。
こうした報道は,特に最近隣接する国々からマラウィに戻ったエホバの証人に言及しています。彼らが,地方官吏や青年同盟の手で,かなりの程度悩まされ迫害されてきたことを示す確かな証拠があります。私共の下に寄せられた報告によると,拷問を受けた者も少なくないとのことです。ドザレカ付近の仮収容所にいるエホバの証人に関して受け取った情報は,まことに遺憾なものです。
過去数年間にわたって,貴国のエホバの証人と政府当局の間に問題があったことを知らない訳ではありません。こうした緊張の原因の一端が,国家に対する彼らの教えや態度にあることも知っております。ご存じのとおり,世界教会協議会は,自国の福祉のために貢献するようすべてのクリスチャンを常々励ましてきました。
しかし,そうした事柄に参加するという基本的な人権には,異議を申し立てる自由,そしていかなる政治団体にも政党にも属すことを拒む自由も関係しています。ゆえに私共は,強制的に人々をマラウィ会議党の党員にするという貴国の政策は人権の蹂躪であり,党員にならない人々に対する刑罰は不当なものであると考えております。世界教会協議会は,いかなるところでも,すべての人の人権を擁護しようとしており,マラウィのエホバの証人,中でも会議党の党員カードを買わないために拘禁,または逮捕されていると伝えられる人々に関して深い憂慮の念を表明いたします。
伝えられている報道の中には正確でないものがあるということは十分考えられます。しかし前述のとおり,地方官吏や青年同盟の会員などの手で,エホバの証人が相変わらず苦難に遭わされていることを示す幾多の証拠があります。
よってここに,現在強制収容所に拘禁,または逮捕されている人々を釈放し,郷里の村へ帰って正常な生活を営めるよう,閣下が適正な処置を取ってくださるよう訴えます。さらに,エホバの証人に対する貴政府および会議党の態度および政策を再検討し,この問題に関する永続的な解決策を見いだすために,貴国におけるエホバの証人の代表と話し合うよう要請いたします。そのような努力がなされるなら,私共はそれに対する支持と協力を惜しみません。
閣下およびマラウィ人民に幸多からんことを。
敬具
署名
フィリップ・ポッター
事務局長
追伸 この問題に関する多くの人の関心をかんがみ,私共はこの手紙の内容を二週間後に公表するつもりでおります。
これは英文の手紙を訳したものです
[11ページの図版]
デイトン・デイリー・ニューズ 1976年4月9日,金曜日
バンダの変わり様に悲しむ友人たち
これは英文の刊行物を訳したものです