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目ざめよ! 1976
目76 11/8 28–29ページ

聖書はそれをどう見ていますか

火葬はクリスチャンにとってふさわしいものですか

亡くなった親族の体を火で焼く事について,あなたはどのように感じますか。火葬は,死体を処理する方法として,埋葬と同様に適切なものと思われますか。それとも,火葬はあなたの感情と相いれないものですか。それはふさわしくない,あるいは聖書的でないとさえ思われますか。

こうした反応はその住む土地の一般的な考えによっても影響されます。火葬がごく普通に行なわれている土地もあります。例えば,西ドイツ,イギリス,デンマークでは,死者の半数は火葬にされ,日本ではほとんどすべてが火葬にされます。しかし,米国では死者の約8%しか火葬にされませんし,さらにそれ以上にまれな土地もあります。なぜこうした違いがあるのですか。

確かに,どのように死者を処理するかの風習は,土地の状況と関係があります。例えば,一年の大半地面が凍って,燃やす木がわずかしかない地域もあります。そうした所では,鳥や獣が食い尽くしてしまうように,死体を『むき出し』にして置くことも習慣となっています。そうした土地では,中流や上流階級の人々だけが埋葬されたり火葬にされたりします。土地の少ない国々では,普通の墓地に埋葬するよりも費用がかからない火葬が一般的となっています。

しかし,火葬に関しては,宗教上の信仰も関係しています。人は不滅の魂を持つという信仰を抱いた古代ギリシャ人やローマ人の中には,火葬を,死んだ体から速やかに魂を引き離す良い手段とみなす人もありました。

他方,「ユダヤ百科事典」は次のように述べています。「燃焼による死体の処理は,ユダヤ人の風習ではない。因襲的なユダヤ人は,土葬(埋葬)が必須であると考えている」。また,幾世紀にもわたって,ローマ・カトリック教会は火葬に強く反対しました。19世紀後半,教会法1240条は,身体を火葬にするよう命じるカトリック教徒は,死ぬ前に悔い改めない限り,教会葬をしてもらえないことを宣言しました。1963年の教皇令は,こうした立場を幾分改めたとは言え,なお『必要に迫られない限り,火葬を避けるように』と勧告しました。

では,神の言葉からする場合,火葬に対する正しい見方はどのようなものですか。クリスチャンが火葬をしてもらうことは正しいですか。

聖書時代において

聖書時代の神のしもべたちは,習慣として,亡くなった人の体を洞穴や墓あるいは墓地に葬りました。初期の例として,アブラハムの場合があります。愛する妻サラの死に際して,アブラハムは家族の埋葬場所として洞穴を買いました。(創世 23:2-20; 49:29-32)アブラハムの子孫のヘブライ人たちは,人がふさわしく埋葬されることにかなりの重要性を付しました。埋葬されないというのは,その人にとって非常な災いでした。(エレミヤ 14:16)それでエホバ神がエホヤキム王を否認されたことは,王が「牝ろばの埋葬」を受ける,つまり,その死体が町の外に引きずり出され,葬られないで放置されるという預言の中で示されました。―エレミヤ 22:18,19。エレミヤ 25:32,33; イザヤ 14:19,20と比較してください。

このようにきちんと埋葬することが強調されていましたから,埋葬を拒否され,死体がまるでごみ同然に燃やされることは,その人にとって不面目なことでした。ある罪に関して,律法はその罪人を殺し,その体を焼くよう求めていました。(レビ 20:14; 21:9。ヨシュア 7:15,25)同様に,イエスが地上におられた時,エルサレムの城壁の南側にあるヒンノムの谷は,ごみ捨て場となっていました。そこでは,ごみを消滅させるために火が燃やされていました。人並みの埋葬に価しないとみなされた罪人の死体は,そこへ投げ込まれました。イエスはここを,復活の希望のない完全な滅びの象徴として用いました。―マルコ 9:47,48。マタイ 5:22。

しかし,死体を焼くことに関するこれらの例は,体を火葬に付すのがふさわしくないことを示していますか。

まず,律法は必ずしも,罪人と死体を焼くことの二者を結び付けてはいません。ユダヤ人たちは,地に埋葬することを支持する裏付けとなる聖句として,申命記 21章23節を用います。それは,処刑され,木の上に掛けられた人の体は,翌朝まで木の上に留めておいてはならない,「必ずそれをその日のうちに埋めなければならない」と述べています。ですから,焼くことは罪人の死体を処理する唯一の方法ではありませんでした。

そして,ごみと共に焼かれた古代の罪人の死体と,火葬を含む現代の葬式の手順との間には大きな違いのあることが認められます。前者には拒絶とか,恥辱を表わす意図がありましたが,後者は,人が普通に土に還元して塵に戻ることに代わるものとして,品位をもって取り決められます。

実際,現代の火葬は,ヤベシギレアデの人々がサウル王とその息子たちの体を,ペリシテ人から奪回した後にとった行動に幾分匹敵します。彼らは体を取り,『ヤベシにいたりてこれをそこに焼き その骨をとりて……ほうむり』ました。(サムエル前 31:12,13)忠実なダビデは,彼らが死体を焼くことを恥ずべきことだとはみなしませんでした。それは敬意を込めて死者を処理することの一部でした。―サムエル後 2:4-7。

初期クリスチャンたちは,地面や墓に埋葬するといったユダヤ人の習慣を続けました。そのようにした理由は,キリスト教がユダヤ教の背景を持つことに加えて,当時の火葬が不滅の魂の教えなどの異教に関連があったからだと思われます。後代に,ローマ・カトリック教会は,火葬を禁じる法律を制定し,こうして聖書によって禁じられていない事柄が教会法によって禁じられました。

今日のクリスチャンについてはどうですか。実際のところ,埋葬のあるいは火葬の是非に関して聖書は何も命じていません。また,必ずしも火葬ではなく埋葬をすることが,不滅の魂といった異教の考え方を信じる人と真のクリスチャンを見分ける助けとなるわけでもありません。今日,そうした異教の教義の主な信奉者は,普通死者を埋葬する教会員の中に見いだされます。

さらに,聖書は明らかに,死体が火によって速やかに塵に戻されるか,あるいは腐敗によって徐々にそうされるかは,重大な問題ではないと示しています。どちらにせよ,次の神の言葉は真実です。『汝は塵なれば塵に帰るべきなり』。(創世 3:19)人を復活させるために神がミイラを必要とされるというようなことはありません。使徒パウロは,天によみがえらされる人は新しい体を与えられること,それで,崩壊してゆく肉の体から「変えられる」ということを教えました。パウロは,『神は,ご自分の喜びとなるとおりにそれに体を与えられる』と,教えました。(コリント第一 15:35-49)新秩序において,地上で命によみがえる人々についてもその点は同じです。以前の体が火によって速やかに崩壊したか,腐敗によって徐々にそうなったかにかかわらず,ふさわしい人体を神は与えることができます。

確かに神のみ言葉は,亡くなった愛する者の体を,品位のある,敬意のこもった仕方で取り扱うよう勧めています。しかし,死んだ愛する人を,その家族が,感情的,経済的,その他の理由で,火葬にするかしないかは,個人的な問題です。

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