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  • 目ざめよ! 1977
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目ざめよ! 1977
目77 8/8 11–12ページ

その解決策は?

刑務所内での聖書教育は,少なくともある限られた数の受刑者にとって解決策となりました。そうした人々は,自分たちの受けた健全な情報に基づいて,表面的にではなく,根本的に自分たちの生活を変化させました。

過去三年間に,ルイジアナ州アンゴラ刑務所では42人の受刑者がバプテスマを受け,そのうちの14人は釈放されました。私は彼らがその後どうしているか関心があったので,調べてみました。釈放された人々の中で犯罪行為に戻った人はわずか一人だけでした。

他の人々はうまく順応していっています。そのうち少なくとも一人は,会衆内で奉仕のしもべとして仕えています。それでも,前に述べたとおり,刑務所内でのこの聖書教育計画は,刑務所問題全般に対する解決策とはなりません。この計画は,受刑者たちに機会を提供し,それを活用したいと願う人々を助けることができるにすぎません。

しかし,聖書は犯罪者を処罰することに関して特別な指示を与えています。それを実施するなら,刑務所および犯罪の問題を大いに軽減できるに違いありません。

被害者に対する償い

古代イスラエル人に与えられた神の律法の中には,懲役刑の取り決めは見られません。盗みや詐欺など財産に関係した犯罪の基本的な罰は,被害者に償いをすることでした。

しかし現在では,犯罪の被害者に対する救済措置はほとんど,あるいは全く設けられていません。盗まれた金は返って来ないのが普通ですし,身体や財産上の被害を受けてもそれが償われることはありません。ところが聖書は,犯罪者が自分の行為に対して責任を取らねばならないことを示しています。どのようにしてですか。

古代イスラエル人に対する神の律法の規定によれば,一頭の雄牛あるいは羊を盗んだ者は,被害者に二頭の雄牛または羊を返さねばなりませんでした。そして,もし盗んだ動物を殺してしまっていたなら,二頭よりもさらに多くの動物を返すべきでした。もしそれを返すことができないなら,その者は被害者に対して自分の負っている物を支払い終えるまで,雇われ人として働かねばなりませんでした。―出エジプト 22:1-9。

このようにして,犯罪者に自分の行為に対する責任を取らせることの価値は明白であるはずです。第一に,被害者は自分の失った物を償われ,その上迷惑を被ったことに対してさらに多くの物が支払われました。第二に,律法を破った者には有益な教訓が与えられました。そして第三に,刑務所の維持費を地域社会に負担させるようなことがありませんでした。

こうした取り決めは限られた規模で,現在試みられています。1975年12月19日付のミルウォーキー・ジャーナル紙は次のように伝えています。

「獄中で社会に対する負い目を償う代わりに,レイは社会に復帰して被害者に償いをするために働いている。レイは,ミネソタ州矯正局の設立した損害賠償センターで働くために釈放された,87名の泥棒や偽造犯人などの一人である。この既決囚たちは,三年前にこの計画が始まって以来,合計1万5,000㌦(約450万円)を被害者に返した」。

また,1977年2月6日付のUPI至急報は次のように述べています。

「犯罪者を投獄する代わりに,労働によって被害者に償いをする,という考え方を普及させるため,政府は200万㌦(約6億円)を費やしている。……この考えは幾つかの地域で実行に移され,有望視されている」。

しかし,被害者の失った物を犯罪者に償わせる以外にも必要とされる事柄があります。

死刑

古代イスラエル人に与えられた神の律法はまた,殺人,誘かい,近親相姦,および獣姦などを含む多くの罪を死罪に定めていました。(民数 35:30,31。出エジプト 21:16。レビ 18:6-23,29)処刑は通常石打ちにより,公衆の面前で行なわれました。―申命 17:5。

当時,死刑は大いに犯罪を抑制する力となりました。そして,死刑が速やかに,しかも一貫して実施されるなら,それは今日でも犯罪を阻止するのに役立ち,刑務所問題を大いに軽減するはずです。確かに,この問題に関して神の知恵を受け入れようとしない人々の多くは,「残酷だ!」と声を上げるでしょう。しかし,そうした人々のやり方は,私たちにどんな結果をもたらしたでしょうか。これまでにないほど多くの残酷な行為が,犯罪者ではなく被害者の身の上に降りかかっています。

ここでもやはり,死刑の執行や犯罪の問題を解決しようとする他のどんな試みがなされても,人間の力では犯罪の問題を除去できないということを認めねばなりません。しかし,完全で,満足のゆく解決策があります。

確かな解決策

ハーバード大学の政治学の教授ジェームズ・Q・ウィルソンは,自著「犯罪について考える」の中で,何が必要とされているかを明らかにしています。同教授はその著書の最後の一節でこう書いています。「邪悪な人間は存在しており,そうした者たちを罪のない人々から隔離しない限り,何をしてもむだである」。

確かにその通りです。しかし,だれが邪悪な者で,だれが潔白な者かを裁き,邪悪な者を刑務所に収容しないで永遠に隔離できる人がいるでしょうか。全能の神にはそうすることが可能であり,またそうすることは神の明確なお目的なのです。神のみ言葉はこう約束しています。「廉潔な者たちこそ地に住み,とがめのない者たちこそ地上に残されるからである。邪悪な者は地から断たれる」― 箴 2:21,22,新。

それから後,人々は神の律法によって治められます。そのような律法は,愛のこもった,しかも確固とした政府によって施行されます。その政府こそ,クリスチャンが祈り求めるようにと教えられてきた,キリストの下にある神の王国です。その時,刑務所の必要は全くなくなり,地に住むすべての人を友として信頼できるようになるのです。そのような時代に生活できるとは何とすばらしいことなのでしょう。(マタイ 6:9,10)― 寄稿。

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