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目ざめよ! 1977
目77 10/22 3–5ページ

真の幸福は実現不可能な夢ですか

正常な人であれば,だれしも幸福であることを願います。しかし,目覚めている時間のうち,真の幸福に満たされている時間はどれほどありますか。正直に言って,あなたは自分の生活に喜びを見いだしておられますか。

このような質問に対する大抵の人の答えは,幸福の水準が満足のゆくものでないことを示しています。特に現代になって,本当に幸福といえるひとときが,以前ほど訪れなくなったと感じる人は少なくありません。労働者,旅行者,買物客などの顔の表情は,多くの場合に,幸福よりも心配や悲しみや無感動を反映しています。

また,わたしたちの世代の生活のテンポはこれまでになく速くなっており,日常生活のもたらす圧力は大きくなってきています。物事を成し終えようとすると,時間が瞬く間に過ぎ去ってしまうことに人々は気づいています。そのような人々は,幾年もの年月を経てから振り返ってみて,物事を急ぐ余り自分が真の幸福を置き去りにしてきたことに気づき落胆する場合が少なくありません。

一評論家は,「幸福とは,人間の経験する状態の中でも,極めてまれで,最も高く評価され,また最も誤解されている状態である」と書いています。しかし,幸福を定義するのはそれほど難しいことではありません。ある辞書によると,幸福であるとは,『楽しさ,満足,もしくは喜びを特徴とし,またそれらの感情を示してい』ます。

確かに,本の中で幸福を定義するのは難しいことではありません。しかし,現在および将来に,生活の一部として幸福を味わうことは,多くの場合に実現不可能な夢のように思えます。

金銭や名声を得れば幸福か

金銭や名声を追求することを生きがいとしている人は少なくありません。そのような人々は,そうすることが幸福に至る道だと思っています。しかし,本当にそうでしょうか。

もちろん,貧乏が人を幸福にすることはまれです。だれしも,貧乏であるよりは,富んでいるほうが幸福だと考えるでしょう。しかし,事実の示すところによると,貧乏が幸福をもたらさないのと同じく,富も幸福をもたらしません。ですから,聖書の中にある一つの箴言は,賢明にも,「わたしに窮乏も富も与えないでください」と述べています。―箴 30:8,新。

世界でも指折りの富豪とされる,ある著名な億万長者は,莫大な富を持ってはいても,自分は幸福でないと語りました。実際のところこの人は,長年の間,召使い以外のだれにも会わず,身だしなみにも注意を払わなくなり,長期間にわたって自分の健康を顧みずに生活して死にました。

別の億万長者の生涯は,不幸な結婚生活の繰り返しでした。その莫大な富を考慮に入れて,何が最大の幸福をもたらすか,と尋ねられたとき,その億万長者は少し考えてから,「気持ちの良い浜辺を散歩してから泳ぐことだ」と答えました。そのぐらいのことなら,非常に貧しい人でも,お金を使わずにたびたび行なえます。

女優および作家として成功を収めたひとりの人はこう語りました。「成功について言えば,多くの場合,認められるために払った高価な犠牲に見合わない」。この「成功」なるものを勝ち取り,それを保ってゆくために,余りにも多くの心痛がありました。

テレビのあるコメディアンが自殺したことも,この点を反映しています。このコメディアンは弱冠22歳で名声と富の両方を手にしました。そのテレビ番組の製作者は,この若い俳優が「幸福を見いだすために,すべてをつぎ込んだ」ことについて述べています。しかし,この俳優は幸福を見いだせませんでした。それどころか,悲しみをつのらせていったのです。この悲しみは,「どこへ行けばしっくりするのだろうか。自分の幸福はどこにあるのだろうか」という点に端を発していました。製作者がその俳優に,「君はまさに幸福そのものじゃないか。君はスターなんだよ」と言うと,俳優は,「いや,もうそんなものはぼくにとって幸福とは言えない」と答えました。その後,この俳優は自らの命を絶ちました。

富を蓄積することに伴う様々な問題は,聖書の次の言葉が真実であることを示しています。「富もうと思い定めている人たちは,誘惑とわな,また多くの無分別で害になる欲望に陥り,それは人を滅びと破滅に投げ込みます。金銭に対する愛はあらゆる有害な事がらの根であるからです」。神のみ言葉によると,そのようにして富を追い求めれば,『多くの苦痛で刺される』結果になることが少なくありません。―テモテ第一 6:9,10。

裕福になっても解決しない

国の生活水準を引き上げれば,人々はずっと幸福になる,と考えられていたこともありました。ところが今日,精神障害を抱える人々の大多数は,より裕福な国々に住んでいるのです。

例えば,US・ニューズ・アンド・ワールドリポート誌の中に,「幸福の追求 ― 裕福なアメリカにおける捕らえ所のない目標」という見出しがありました。その記事は一部次のようなものです。「富と余暇の増えてゆく時代にあって,アメリカ人は,幸福がこれまでになく捕らえ所のないものとなっていることに気づいている。……多くのアメリカ人にとって,最良の時代は最悪の時代のような様相を呈しだしている」。

米国には,うつ病の治療を要する人が,推定一千万人もいます。また,近年になって,精神医学の世話になる子供の数は驚くほど増加しています。

このように,物質の富や名声,あるいは過度の娯楽,飲酒,麻薬,そして不道徳な習慣などによって,「幸福」を必死になって追い求めても,確かに幸福は得られませんでした。それどころか,そのような仕方で幸福を追求した結果,ますます不幸になってしまったのです。

一時は非常にもてはやされた,今世紀の発明の中にも,多くの人々にとって不幸の原因となったものは少なくありません。例えば,自動車はある程度の喜びをもたらしましたが,同時に大規模な交通渋滞,欲求不満,そして公害などを引き起こしました。その上,毎年,自動車事故のために,世界中で幾万もの人が命を失い,幾百万もの人が負傷し,その結果,言うに言われぬ悲しみの原因を作り出しています。

テレビは教育や啓発を与える点で重要な役割を果たし得たはずですが,実際には教育的なものとはほど遠くなっています。最近の調査によると,平均的なアメリカ人家庭では,毎日6時間と18分テレビを見ます。調査の結果,人々がテレビを見る時間の大半は,憎しみ,残虐行為,暴力,そして不道徳などを取り上げた番組を見ることに当てられているのが分かりました。

このすべてが人々,中でも若い人々に及ぼす悪影響が深く憂慮されています。ワシントン大学の一児童心理学者の推定によると,平均的なアメリカ人の子供は高校を卒業するまでに,テレビで1万8,000件もの殺人を目撃します。それは,子供に幸福感を抱かせるのに全く役立ちません。

では,一世代の間に,戦争,殺人,そして事故などで幾百万もの人が命を失い,犯罪が増大し,人種や国民間の憎悪が続き,病気や老齢や死がすべての人に臨む,この世界で,真の幸福を得ることを期待できますか。現在,あるいはこれから先の将来に,幸福を実現するのは可能ですか。

問題に満ちた今日の世界にあっては不思議に思えるかもしれませんが,これらの質問に対して肯定の答えを出すことができます。現在でも,本当の幸福をある程度味わうことができますし,将来においては,完全な幸福が現実のものとなるのです。しかし,どのようにしてですか。また,それはどこで,どんな状況の下で現実のものとなるのですか。

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