あなたは神の存在を確信していますか
神への信仰は意志の弱い人のするものですか
ご自分の信念を裏づける証拠を提出できますか
「さあて,お祈りをしたほうがよいかもしれないわね。何が欲しいってお祈りしようか」。ある共産国の小学校の教室で一人の先生が尋ねました。そして,この女の先生は,「ではキャンデーを下さいってお祈りしましょう」と言葉を続けます。子供たちはうれしそうに目を閉じて,心を込めてキャンデーを下さいと祈ります。少したってから皆が目を開けると,先生はがっかりしたように,「キャンデーが見当たらないわ」と言います。
「きっと間違った名前を使ったからだわ。“神様”と言うかわりに,“わたしたちの指導者”と言ってみましょう。わたしたちの指導者にキャンデーを下さいってお祈りしましょう。一生懸命お祈りするんですよ。そして,わたしがいいです,と言うまで目を開けてはいけません」。
子供たちが目を閉じている間に,先生は子供たち一人一人のつくえの上にキャンデーを一つずつ静かに置いてゆき,それから教卓へ戻りました。子供たちは目を開けると,キャンデーをまじまじと見つめて,大喜びしました。「ぼく,これからはいつも“わたしたちの指導者”にお祈りするんだ」と一人の子が興奮して言うと,別の子が「わたしもよ」と言います。
子供たちが大はしゃぎしているのを制して,先生はこう言いました。「みんないいこと,みんなのつくえの上にキャンデーを置いたのは先生なの。だから,神様だろうと人間だろうと,だれに“お祈り”するかは関係ないことが分かるでしょう。みんなに何かをくれるのは,ほかの人間だけなの。何かが欲しいと言って神様にお祈りするのは時間の浪費というものよ」。子供たちは,信頼し切ったまなざしで,そのキャンデーを口に入れ,神はいないと得心していました。―リーダーズ・ダイジェスト誌(英語版),1964年6月号,103-107ページ参照。
これは,無神論の共産国での出来事として伝えられており,神はいないことの証拠として受け取られています。しかし,この点に関してあなたはどう思われますか。
神は,キャンデーを求める利己的な願いに関心を示されるでしょうか。確かに,キャンデーのようなたわいないものを祈り求める人はまずいないでしょう。それよりも心の平静さを神に祈り求めることでしょう。そうです,わたしたちは,ちまたを徘徊する恐れや不安からの自由を切望してやみません。しかし,今日,わたしたちにはそうした自由はないのです。ですから,自分たちの祈りが答えられないように見えるので,神の存在を示す証拠はないと考える人は少なくありません。
中には,哲学者や科学者が無神論者であることを指摘する向きもあります。しかし,高度な教育を受けた人たちが神を否認したという理由で,わたしたちも神の存在について疑いを抱くべきでしょうか。
そのような人々は研究に幾年間も費やし,多くの事実に精通しているかもしれません。しかし,そうした人々はこの現代の世界にあって,すべての解決策を本当に持っているでしょうか。それらの人々の影響がありながら,世界の現状はどうでしょうか。
人間の現代の科学技術は優れた事柄を約束しているように見えます。しかし,1976年11月28日付のニューヨーク・タイムズ紙は,一つの見出しの中で,「世界は1984年まで存続できるか」という質問を提起しました。それに続く記事は,「悪化するエネルギー危機」に関連して,先進工業諸国の側の危険なほどむとんちゃくな“狂気”に言及しています。
最近の別の記事はこう警告しています。「正しく導かれていない,それゆえ無謀ともいえる科学技術の発展は,米国のみならず,全世界を災難の瀬戸際にまで追いやっている。その災難は途方もなく大きく,想像を絶するほどである」。
「災難の瀬戸際」に立たされた世界。これが,人間,それもその多くが神を信じていない人間によって作り出された世界です。確かに,安全で平和な世界を実現させようと努める点で,人間は余り成功してきたとは言えません。もし神が存在するなら,人間はそのかたの助けを活用できるに違いありません。
もちろん,中には,『神の存在することは分かっています。わたしにはその存在が感じ取れるのです』と言う人もいるでしょう。しかし,そのような“感じ”は,神の存在を納得させる証拠ではありません。そう思われませんか。ご自分では,神の存在を信じているかもしれません。しかし,だれかに,『神が存在すると,どうして分かるのですか』と尋ねられたらどうですか。ご自分の信念を裏付ける,納得のゆく証拠を提出できるでしょうか。神の実在をあなた自身納得していないなら,そのような信仰は激しい圧力に直面した場合に持ちこたえられないでしょう。また,お子さんについてはどうですか。お子さんが神の存在について一点の疑いも抱いていないと言い切れますか。お子さんの信念は,学校での進化論の教えという猛襲にも耐えるほど強固なものですか。前述の無神論者の教師の論議が浅くて子供っぽいものであることが分かりましたか。
神の存在を得心しているかどうかにかかわらず,神の存在について,入手できるかぎりの証拠を検討してみるのは賢明なことではありませんか。