法律家は必要とされているか
「まず第一番に,弁護士を一人残らず殺してしまおう」。これはシェークスピアの戯曲に出てくるせりふです。また,フランスの弁護士の守護聖人であるイブスに関する13世紀当時の人物評は次のようなものです。『弁護士でありながら,ぺてん師ではない。これは人々の驚きの的であった』。
弁護士や司法制度に対する否定的な見方は太古の昔からあります。しかし,そうした一方的な(そして大抵の場合,おもしろい)警句は,必ずしも公正であるとは言えません。多くの弁護士は,良心的で博識な人であり,難問を抱えている人で助けを受けるに値する人を援助します。
弁護士と司法制度によって現代文明の病根すべてを除去できないことは明らかです。司法制度が十分に満足のゆくものでないのであれば,カナダの一判事の語った「司法制度の混乱は,社会の混乱を反映する」という言葉を考慮に入れるとよいでしょう。人間の諸制度にはいずれも良い面と悪い面がありますが,司法制度とて例外ではありません。
悪い面として,法の施行にむらがあり,実際性に欠けるという点が挙げられます。統計の示すところによると,混雑した法廷,高くつく弁護料,不公平な判決,野放しにされた犯罪者,犯罪発生率の増大などが見られます。そのため,一般大衆の信頼感は衰えます。
良い面として,社会の秩序を維持してゆくには法と法の執行が不可欠であるという点が挙げられます。法とその執行の恩恵に浴するのは,法廷へ行く人だけでなく,国民全体です。たとえ欠陥があるにしても,法が執行されるという事実は,法を破る可能性のある大勢の人々にとってある程度の抑制力となります。その結果,文明国の地域社会に住む大抵の人の身体と財産は比較的安全です。商業がその機能を果たし,商品や食品を生産してゆけるのは,司法制度が契約の履行を見守り,負債の返済を求めているからです。殺人,盗み,蛮行などに走る人々をたとえ根絶できないまでも,そうした人々の邪悪な行為は少なくとも制限されます。
こうしてみると,当たり前のこととみなされがちですが,法律家と法は人類にとって貴重な役割を果たしていることが分かります。それでもなお,裁判所や判事や弁護士を軽視する人は少なくありません。なぜでしょうか。