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目ざめよ! 1980
目80 1/8 7–13ページ

聖書 ― 猛攻撃を加えられた本

本を抹殺するにはどうしたらよいでしょうか。それには幾つかの方法があります。例を取って考えてみましょう。グラス一杯の真水を損なうにはどうしたらよいでしょうか。考えられる方法は,(1)石でそのグラスを壊す,あるいは(2)ただ泥や他の不純物をその水に加えて,中味を変えてしまう,の二つです。

聖書も同様の両面攻撃によって致命的な攻撃を加えられる危機に面しました。この書物そのものに対する激しい攻撃と同時に,聖書の音信を変え,その内容に手を加える試みがなされたのです。どちらの試みも,もし成功すれば,この本を役に立たないものにし,ご自分のみ言葉を保存する能力が神にはないことを示す結果になります。

でもなぜ?

聖書がそれほど激しい反対に遭うとは実に奇妙なことだと思われるかもしれません。聖書は高い道徳や愛を教えているのに,どうしてそれを抹殺したいと思うのでしょうか。また,聖書に対して最も激しい怒りを爆発させるのが,それを大切にすると主張する人々である場合も少なくありません。あたかも,人間よりも高次の,何らかの力によって操られていたかのようにです。

このことは聖書の示すところとぴったり一致します。邪悪な霊の被造物は聖書の中で,神のみ言葉が感謝の念の厚い人々の心に達するのを妨げるためなら何をも辞さない者であるとされています。疑いもなく,聖書を抑圧するたくらみの黒幕となっていたのは,神に敵対するこの者,すなわちサタン悪魔です。―コリント第二 4:4。

もちろん,読者の中にはそのような結論に異議を唱える人がいることでしょう。しかし,一般大衆が聖書を用い,自分の生活においてそれを生きた力にしようとするのを妨げ,思いとどまらせるために,幾世紀にもわたって絶えることなく続けられてきた戦いを,ほかにどう説明したらよいのでしょうか。歴史上,これほど長期間,猛攻撃に遭った本はほかにありません。

ローマ帝国での野蛮な攻撃

クリスチャンは多年にわたってローマによって迫害されてきましたが,その聖なる書物に対する最初の攻撃は西暦303年に生じました。その年に,ディオクレティアヌス帝は,キリスト教関係の書物すべてを引き渡し,焼却するようにとの布告を出しました。それを拒めば,死刑になったのです。残念なことに,数多くの貴重な聖書写本が道端で焼かれました。しかし,中には,(アフリカの)ティアバラのフェリクスのように,聖書を引き渡そうとしなかった人もいます。フェリクスは,『聖なる書物が焼かれるくらいなら,自分が焼かれたほうがましだ』と述べました。フェリクスは自分の命を代償として支払わされました。

ほぼ十年間というものは,聖書に対してこの蛮行の刃が向けられました。しかし,ローマ帝国は,全力を尽くしながらも,この本を抹殺することはできませんでした。数々の写本が,迫害のやむまで注意深く隠し置かれました。しかし,これは,前兆にすぎなかったのです。

最初のクリスチャンの間で生きた本となる

初期クリスチャンたちは,その宗教的な集会や家庭で聖書を広く用いて,それを生きたものとして保ちました。後日クリスチャンになったあるユダヤ人たちは,「日ごとに聖書を注意深く調べた」として賞賛されました。2世紀になっても,イレナエウスは,すべての人に,「聖書を勤勉に読む」ようにと強く勧めました。アレクサンドリアのクレメンスも,「食事の前に聖書の朗読をする」ようすべての人に提案しています。―使徒 17:11。テモテ第一 4:13。テモテ第二 3:15。

すべての人は,自分用の写本を入手するよう勧められました。比較的裕福なクリスチャンは,聖書を他の人に贈ることさえありました。パンフィラスという人もそうしましたが,エウセビウスはその人について次のように語っています。

「彼はまた,常に聖書の写しを分かち与える備えをしていた。それも,ただ読むためだけでなく,個人用として所蔵するためのものである。相手がそれを読むことに関心があると見れば,男性にだけでなく,女性にもそうした。それで,彼は贈り物にするために,たくさんの写しを用意していた」。

ところが,時たつうちに,聖書に信仰を持つととなえる人々の生活に聖書の及ぼす影響は,有害な働きかけを受けるようになりました。

聖書は背教のために危うく消滅しかける

使徒パウロは,真のキリスト教からの堕落,すなわち「背教」と,自らを大いに高める,宗教的な「不法の人」の登場について予告しました。(テサロニケ第二 2:3,4)パウロは,この「不法の人」が,長老たち,つまり監督たち(「司教たち」,アメリカ標準訳)の中のある者たちから起きることを示しました。その者たちについては,「弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者が起こる」と,言われています。―使徒 20:28-30。

預言の通り,イエスの忠実な使徒たちの死後,偽の擬似クリスチャン,すなわち「雑草」が姿を現わしました。(マタイ 13:24-30,36-43)中には分派を組織した者もおり,その者たちは聖書の意味を曲解しました。(ペテロ第二 3:16)その結果生じた事柄を,ある人々は取るに足りない策略とみなすかもしれませんが,それこそ破壊的な影響を及ぼしたものだったのです。

「我々に信仰を起こさせ,知識の先駆となっている聖書そのものは,正しく理解しない限り何の役にも立たない」と語ったのは,4世紀の教会の指導者,アウグスティヌスです。オリゲネスは,その著作,「原理論」の中で,次のように述べています。

「教会の教えは使徒たちから秩序正しく連綿と受け継がれてきており,諸教会には今日に至るまでその跡が残っているので,それだけが真理として受け入れられて然るべきである。それはいかなる点においても,教会および使徒の伝承と異なってはいない」。

異端や宗教上の誤りと思われる教えを未然に防ぐという目的で,「教会の教え」や「教会および使徒の伝承」が聖書と同じレベルに置かれたのです。

同時に,教会の儀式や典礼が重視されるようになりました。「聖書の深み」を探らせて混乱させるよりは,儀式に重きを置くほうが会員にとって有益だとされたのです。壁に聖書にちなんだ彫刻を刻み,聖書中の人物の像を収めた壮麗な教会堂は,“無知な者のための本”とみなされました。

それでもなお,4世紀のクリュソストモスのように,万人が個人的に聖書を読むことを擁護する宗教指導者もいるにはいました。しかし,すでにさいは投げられていました。ほとんどの人は,もはや個人的に聖書を読んだり,学んだりすることの重要性を認めなくなっていました。ある人はクリュソストモスに次のように語って反論しました。

「我々は僧侶ではない。公の業務の方に注意を向けなければならない。私は商売をしているのだ。妻子や召し使いを養わねばならない。端的に言えば,私は俗界の人間なのだ。聖書を読むなど,私の知ったことではない。それは,世を捨てて,山の上で寂しい生活をするために身を捧げた者のすべき事柄だ」。

こうして,聖書を読んだり,研究したりすることは,僧職者と高い教育を受けた知識人にしかできないという考えが徐々に広まって行きました。

聖遺物?

やがて,聖書は当時の一般大衆の言語であったラテン語に翻訳されました。教会当局者は,ラテン語を神聖な言語とみなすことに決めました。聖書はラテン語で保存されることになりました。ところが,後日,徐々に変化が生じ,一般の人でラテン語を読める人はほとんどいなくなってしまいました。もはや聖書を理解するために努力を払う意欲を失った多くの人々は,その書物そのものをあがめるほうが手っ取り早いと感じるようになりました。聖書は,魔力のあるお守りとして用いられました。重大な,あるいは危険な何らかの企てに携わろうとしている場合,人は聖書を開き,自分の目に入った最初の節を神のお告げと解釈しました。紫色の羊皮紙に金銀の文字で書かれた,豪華な装丁の写本が作られました。残念なことに,そうした本は単に飾っておくだけのものとなり,ほとんど読まれなくなってしまいました。そうです,聖書は生きた本,有意義な本であるというより,徐々に“聖遺物”になりつつあったのです。

聖書が危地にあったことは,容易に認められるでしょう。司祭や僧職者の中にさえ,ラテン語の聖書をもはや読めない者がいました。古代ローマの「聖なる」書物の幾つかに起きた事柄は,聖書にも臨みかねない出来事を如実に物語っています。「新カトリック百科事典」はこう説明しています。

「異教のローマは,僧侶たちももはや理解できなくなった,特定の古い聖典を保持していた」。(下線は本誌)

だれもそれらの書物を読めなくなってしまいました。神聖視され,高く評価されてはいましたが,死んでしまっていたのです。聖書にも同じ運命が臨むでしょうか。

一般大衆の言語への翻訳

ローマ・カトリック教会は,幾世紀もの間,日常語への翻訳を手掛けてきましたが,それは大衆を対象にしたものではありませんでした。中世の教会当局の態度について,「ロラード聖書」という本は次のように述べています。

「この翻訳が王や高貴な人物のために作成されるか,あるいは世捨て人の研究者の手によって作られ,しかも聖なるものとされながら,王室や修道院の図書館に事実上使われることのない本として残されているのであれば,そのような翻訳に対する反対の声は上がらなかった。ところが,その翻訳が平信徒[一般大衆]の間に聖書の知識を広めるために使われるなら,すぐさま禁令が敷かれた」。

そのような翻訳は12世紀になるまで作られませんでした。そして,それが登場したとき,火花が飛び散ったのです。

フランスのワルド派

フランス南部の美しい渓谷に,ワルド派と呼ばれる宗派の人々が住んでいました。1180年になろうとしているころ,このグループの主立った人物,ピーター・ワルドが,二人の司祭に報酬を払って聖書の一部を日常語に訳してもらった,と言われています。それを読んだ人々は,自分たちの生活を真に変化させました。その宗派に対して最大の敵意を示した者たちの中にさえ,その派の人々の振る舞いと一般の人々の振る舞いの間に著しい対比が見られることを認めた人がいます。その人はこう述べています。

『この異端者たち[ワルド派]は,その礼儀作法や言葉遣いによって知られている。礼儀作法や振る舞いの点で,秩序正しく,慎み深いからである。偽りや欺きは彼らとは無縁であり,貞潔で,節度があり,まじめで,怒ることのない者たちである』。

聖書を個人的に読んで熱意に満たされたこの人たちは,二人一組になってフランスの田園地帯を行き巡り,他の人々に聖書を読み聞かせ,その内容を教えました。その熱意の程は,「夜間であろうと,冬期であろうと,[ある人の]もとへ行って,その人を教えるため,川を泳いで渡った」者がいた,と伝えられていることにもうかがえます。聖書の中に見いだされた事柄は,その人たちにとって,「生きた力」となったのです。

熱意に満たされたワルド派の人々は,法王アレクサンデル三世から自分たちの聖書を用いて他の人々を教えることに対する公式の認可を得るために,イタリアのローマまで旅をしました。ところが,申請は却下されたのです。この第三回ラテラノ公会議に出席していた高位僧職者の一人,ウォルター・マップはこう叫びました。

「ゆえに,無学な者たちにみ言葉を与えることは,豚に真珠を与えるようなことになるではないか!」

考えてもみてください。一般大衆に理解できるような言語で聖書を読めるようにすることは,『豚に真珠を投げる』に等しいとみなされたのです。

法王インノケンチウス三世は,この異端者を「撲滅」するための聖戦を組織しました。その聖戦の先頭に立った者たちの報告によると,幾百人もの男女子供が残忍にも虐殺され,その人たちの聖書の写本は焼かれました。その理由については,当時の一宗教裁判官,つまり異端審問官が次のように述べています。

「あの者たちは旧約および新約聖書を日常語[一般人の言語]に翻訳し,かくしてそれを教え,また学ぶようになった。私は,ある無知な田舎者がヨブ記を一語一語暗誦するのを聞いたことや,新約聖書全体を知り尽くしている者を大勢目にしたことがある」。

聖書は一般大衆の言語で広まる

ワルド派の人々は,火や剣に追われて,他の国々へ逃亡することを余儀なくされました。その後間もなく,一般の人々にも読める聖書の翻訳が,スペイン,イタリア,ドイツなどの国々でも世に出ました。それらの翻訳が世に出ると,どこでも,それを追いかけるようにして禁令が出され,激しい迫害が起こりました。聖書に対する幾つかの公式の禁令が,前ページに示されています。これら宗教界および俗界の法を犯すと,大抵の場合,火あぶりの刑に処されることになりました。

英国では,1382年前後に,ジョン・ウィクリフとその仲間たちが,英語の聖書全巻を初めて完成させました。しかし,一般大衆の多くは文盲でした。そこで,ウィクリフはロラードと呼ばれる人々のグループを組織し,出掛けて行って,人々に聖書を読み聞かせるよう取り決めました。

衝撃的な迫害

“聖書の人”と呼ばれることのあったこの人たちは,かなりの騒ぎを引き起こしました。英国の教会当局は,信じ難いような迫害をもってそれに対処しました。1401年,英国の議会は,一般大衆の言語で書かれた聖書を所有している者は「公衆の面前の高い所で火あぶりにされ[ねばならない]。そのような刑罰によって,他の人々の心に恐れの気持ちを抱かせるためである」と,定めました。

そして,それは案の定恐れを引き起こしました。英語の聖書を所有していた一人の人は,そのために罪に定められるのを恐れ,「自分の本を燃やしてしまうほうが,自分の本のために火あぶりにされるよりはましだ」と述べました。しかし,それほどやすやすとは,神の言葉を読むことをやめなかった人も少なくありません。裁判所の記録の示すとおり,「英語で書かれた聖書の一部分を所有していた」というだけの理由で,生きながら火あぶりにされた人々は幾百人となくいます。大抵の場合,そうした人々は,「自分たちの教えの書[聖書]をくくりつけられて」火あぶりにされました。

こうした迫害は猛威をふるい,国から国へと広まってゆきました。国によっては,人々が日常語で書かれた聖書を読むことに固執したため,村人全員が皆殺しに遭ったようなところもありました。隣人や従業員,あるいは我が子にさえ気を許すことはできませんでした。すべての人は,自国語で聖書を読んでいる者を見掛けたら通報するよう厳しく申し渡されており,さもなくばひどい報復を被るおそれがありました。言うまでもなく,多くの人は人目を忍んで深夜に聖書を読みました。

そのような状況の下に置かれた場合,あなたならどうしますか。命がけで聖書を読むほどに,聖書の音信を高く評価しますか。

それでも,日常語で書かれた聖書は,作成されるよりも早い勢いで破棄されてゆきました。聖書は手書きで写されねばならなかったからです。この仕事の難しさも手伝って,聖書は非常に高価なものになってしまいました。確かに,裕福な人以外の手には届かないものでした。ドイツ語の聖書全巻は,70フィレンツェ・グルデンもしました。当時,グルデン金貨一枚か二枚で,肥えた雄牛を買えましたから,一冊の聖書は一群の牛に相当するほどの価値があったのです。歴史家,ジョン・フォックスによれば,貧しい人の中には『英語のヤコブ書やパウロの著作の数章と引き換えに,干し草一山を与える」者もいました。

一般の人々に生きた力を及ぼす本としての聖書は,徐々に死へ向かっているように見えました。しかし,この暗黒時代のただ中で,事態をがらりと変えてしまうものが発明されました。

活版を用いた印刷機

印刷機のおかげで,聖書は破棄されるよりも早い勢いで生産されるようになりました。最初に印刷された書物は,ラテン語の聖書だったと言われています。しかし,ほどなくして,一般大衆の言語で書かれた聖書が印刷されるようになりました。

こうして聖書の大量生産が可能になったため,聖書一冊の価格は,普通の人が一冊個人用に持てるほど安くなりました。単にラテン語からではなく,原語から聖書を翻訳したマルティン・ルターとウィリアム・ティンダルは,聖書を一層読みやすくしました。ティンダルは,『すきを引く牛馬を駆る若者』にも理解できるような言葉を使いました。ティンダルは,「慈善」の代わりに「愛」を,「教会」の代わりに「会衆」を,「悔悛」の代わりに「悔い改め」という語を用いました。これは,聖書を『普通の人』にとって生きたものにするのに役立ちました。

しかし,聖書に対するそのような戦いは終わったなどとはとても言えませんでした。1456年に印刷機を用いて最初の聖書が作られるようになってから数十年を経た後にも,日常語で書かれた聖書を破棄するための文字通りの戦いが行なわれていたのです。ロンドンの司教は,ティンダル訳聖書を没収すると,すぐにそれを焼き捨てました。この僧職者はティンダル訳聖書を破棄するのに没頭するあまり,焼却する目的でそれを買い集めたほどだったと言われています。ある時,ティンダルは,友人を通してこの司教に失敗作を幾冊か売って,その代金を使って改訂版を完成させたことがありました。その結果,さらに多くのティンダル版の聖書が英国へ流れ込みました。

幾年もの間,ティンダルは追い回され,最後には裏切られて捕らわれました。ティンダルは杭につけられて絞め殺され,焼かれたので,その努力のために一命をささげたことになりました。

翻訳が反対された理由

どうして教会当局者の多くが,聖書を一般大衆の言語に翻訳することに反対したのか,理解し難く思われますか。これらの人すべてが直接,聖書そのものに敵対していたのではありません。中には聖書に対して深い敬意を抱いていた者もいます。それらの人々は,権限を与えられていない者が訳すと誤った翻訳をするおそれがあり,神の言葉を侮辱しかねない,という誤った恐れを抱いていました。新興の日常諸言語へのぞんざいな翻訳によって「冒涜」されないよう聖書を守るための方法として,そうした人々は聖書を威厳のある,安定したラテン語のままにしておこうとしたのです。

では,どうして「権威のある」翻訳を作らなかったのでしょうか。時たつうちにそのような翻訳ができました。1527年ごろにはエムゼルによるドイツ語訳が出版され,1582年には英語のレーンス新約聖書が発行されました。カイゼルズベルク(ドイツ)のローマ・カトリック教会の当局者,ガイラーは,1500年前後に,翻訳が遅々として進まない理由を次のように言い表わしました。

「子供の手に包丁を渡して,自分でパンを切らせるのは危険なことだ。子供は自分を切ってしまいかねないからだ。神からのパンを内に収めた聖書の場合も,すでに知識と経験の点で大いに進歩し,疑問の余地なく意味を付すことのできるような人が読んだり,説明したりすべきものである。経験のない者は,その読書から容易に害を被る。……ゆえに,聖書を読みたいと思うなら,誤りに陥らないよう注意するがよい」。

しかし,教養のない読者が『誤りに陥る』かもしれないというだけの理由で,聖書を読むことを勧めなかったのでしょうか。そうではありません。カトリックの著名な学者エラスムスは,他の人々に率直な言葉でこう述べているからです。

「聖なる書物に読みふける婦人は家事をないがしろにし,……兵士は戦いへ出かけてゆくのをためらうことになるだろう。それは大変危険なことになる。……聖なる書物は多くの箇所で,聖職者や君主たちの悪徳を戒めている。それで,人々がそれを読むならば,自分たちの上に立てられた者たちに対して不平を言うようになるであろう」。

理由は何であれ,その結果として,聖書は一般大衆の生活における生きた力を失いかけていました。そのような態度が行き渡るなら,たとえそれがどれほど善意によるものであったにしても,聖書は確かに“聖遺物”となっていたことでしょう。

幾人かの非常に献身的な人々の努力と印刷機の使用により,聖書が生きた言語で出版され,一般大衆がそれを用いられるようになったことにわたしたちは深く感謝できるでしょう。しかも,大多数の人が求めることのできる価格で提供されているのです。確かに,聖書は極めて残忍な攻撃にもよく耐えてきました。

しかし,二番目の攻撃方法,すなわちその内容に手を加えようとする試みのほうはどうでしたか。グラス一杯の真水に泥を入れれば,その水は損なわれてしまいます。聖書はこの巧妙な攻撃に面してどうなりましたか。

[8ページの拡大文]

一般大衆が聖書を所有するのを妨げるために,幾世紀にもわたって絶えることなく続けられてきた闘いを,どう説明したらよいのでしょうか

[13ページの拡大文]

聖書を読むという理由で自分の命が脅かされた場合,あなたならどうしたと思いますか

[13ページの拡大文]

『経験のない者は,聖書を読むことから容易に害を被る』と,一教会当局者は説明しました。しかし,学者エラスムスは率直にこう述べています。「聖なる書物は多くの箇所で,聖職者や君主たちの悪徳を戒めている。それで,人々がそれを読むならば,自分たちの上に立てられた者たちに対して不平を言うようになるであろう」。

[10ページの囲み記事]

聖書に対する禁書令

「だれもロマンス語[一般人の言語]の旧約あるいは新約聖書を所有することがあってはならない」。―アラゴン(スペイン)王,ジェームズ一世,西暦1223年

「平信徒[一般大衆]は聖典中の書物を持っていてはならない。……さらに,平信徒に対して旧約あるいは新約聖書中の書物を持つことを許可することを禁ずる」。―トゥールーズ(フランス)の宗教会議,西暦1229年

『ここに,朕は,諸々の大司教,司教,並びに聖職者すべて,諸々の君主,諸候等に厳しく申し渡す。前記の審問官を助け,いかなる者からも俗語で書かれたそのような本を没収するように。そして,このすべてはすべての者,俗界の者,主に平信徒[一般大衆]から取り上げられるべきである(なかでも特に平信徒からは取り上げねばならない。教会法によれば,性別を問わず平信徒が俗語で書かれた聖書のどこかを読むことは不法とされるからである)』。―ドイツ皇帝,カール四世,西暦1369年

[8ページの図版]

ローマ皇帝は,聖書を押収し,焼却するようにとの布告を出す

[9ページの図版]

豪華で,高価な聖書が作られたが,あたかも“聖遺物”であるかのように扱われた

[9ページの図版]

聖書を読むのは僧職者だけのする事柄とみなされるようになった

[12ページの図版]

当局者は,一般大衆の言語で書かれた聖書を所有する者はだれであれ火あぶりにするよう布告した

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