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  • お子さんにとって……あなたは一番すばらしい贈り物です
  • 目ざめよ! 1980
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目ざめよ! 1980
目80 12/22 5–8ページ

お子さんにとって……あなたは一番すばらしい贈り物です

幼い少年は胸を躍らせ,土曜日がやって来るのが待ちきれない様子でした。父親がその子を動物園へ連れて行くことになっていたのです。その子はその日のことを夢見ながら一週間を過ごしました。水の中をすいすいと泳ぐアザラシに見入ります。大きな象が持ち上げた鼻の先にピーナツを入れてやります。飼育係りの人がえさをやるために入って来た時のライオンのうなり声に心を躍らせます。とても待ちきれません!

時間はなかなかたちません。でもようやく土曜日になりました。すると父親はその子にこう言います。「ちょっと用事ができてね,動物園へ行く時間がなくなったんだよ」。男の子は悲しくなり,涙ぐんで,部屋いっぱいのおもちゃの中にすわり込みます。そして見捨てられたように感じます。

年月が流れます。その少年は成長し,結婚し,自分の息子を持つようになりました。父親は息子を動物園へ連れて行くつもりでしたが当日になって息子にこう言います。「ちょっと用事ができてね,動物園へ行く時間がなくなったんだよ」。家を出る時に父親は息子におもちゃを買ってあげようと心に決め,それから当面の重要な仕事のことについて考えを巡らします。

さらに年月が過ぎ去ります。その父親は年を取り,一人でさみしく暮らしています。しかし今日は成長した息子が訪ねてくれることになっているのです。父親の目は期待で輝いています。その時電話が鳴り,息子は父親にこう言います。「ちょっと用事ができてね,お父さんのところへ行く時間がなくなってしまったんですよ」。受話器をゆっくりと元に戻す老人の目からは輝きが消え去っています。父親は新聞を拾い上げ,それを広げますがその目は涙でくもり,何も見ることができません。老人は何十年も前のことに思いをはせ,昔の様々な時のことを思い出します。そして記憶の中から次の言葉が聞こえてきます。「ちょっと用事ができてね,時間がなくなったんだよ」。

親は自分の子供のために時間を作らなければなりません。物質的な物を与えるだけでは不十分です。おもちゃは楽しいものでしょう。しかしそれは壊れてしまうものですし,子供はそれに飽きてしまいます。子供は多く持てば持つほどもっと多くの物を欲しがり,物質主義的な人生観が培われてゆきます。子供が本当に必要としているものは愛であり,その愛の最善の証拠となるのは自分を与えることなのです。

ある国々では,自動車の後ろのバンパーに,「あなたは今日お子さんを抱きましたか」と書かれたステッカーが張り付けてあるのを見掛けます。米国フロリダ州の一精神科医はこう付け加えています。「愛情を込めて抱き締められることの少ない子供は引っ込み思案で,内気で,冷淡な子になりやすい。……子供を育てる際に,親子の間の体の接触は非常に肝要である。それで,生まれて最初の1年間に抱き締められたことのない子供たちの中には生き続けることのできない子供がいる」。

ある実務のゼミナールで,親のいない多くの子供のいる病棟に関して報告がなされました。ずらりと並んだベッドに寝かされた赤ん坊が病気になり,死んでいく子もいました。しかしその列の一番最後のベッドに寝かせてあった赤ん坊は例外でした。そのベッドの赤ん坊はいつも順調でした。担当の医師は納得がいきませんでした。看護婦は赤ん坊を皆公平に世話しました。どの赤ん坊も食物を与えられ,湯あみをさせてもらい,暖かくしてもらい,その世話の面では何の相違もありませんでした。それでもどの赤ん坊にも健康上の問題があり,死ぬ子もいました。しかし一番端のベッドの子供だけは例外でした。何か月かが経過し新しい赤ん坊たちが運ばれて来ても,結果は相変わらず同じでした。

ついにその医師は考え得るすべての事柄を調べたあげく,一晩中こっそりと見張ることにしました。看護婦たちが入って来て,予定の時間に赤ん坊に食物が与えられ皆同じように扱われました。真夜中ごろに掃除婦が入って来ました。彼女は四つんばいになって病室の端から端まで床をごしごしと洗いました。端の所で彼女は立ち上がり,背を伸ばし疲れた肩を自分でもみほぐし,一番端のベッドの所へ行きました。彼女は体を伸ばして赤ん坊を抱き上げ,床の上をあちこちと歩きながらその子に話し掛けたり,その子をあやしたり,抱き締めたり,腕の中で揺り動かしたりしたのです。

このことは当の医師にとってあまり重要なこととは思えませんでした。掃除婦はたまたまそのベッドの所に立ち止まったのです。それでも,医師は次の夜も見張りました。すると同じ事が起きました。次の夜も,また次の夜も同じでした。毎晩掃除婦は同じ場所で背を伸ばしました。そして,毎晩話し掛けられ,あやされ,抱き締められ,愛されたのは一番端のベッドに寝かせてあった赤ん坊でした。その赤ん坊はすくすくと育ちました。

養子として引き取られるためにアメリカ合衆国へ連れて来られた戦争孤児たちは様々な病気を患っていましたが,それらの孤児たちが一番苦しんだのは愛情の欠如でした。このことに関する報告はこのように述べています。

「まじめな表情をした戦争孤児たちは手で触れ,つかみ,しがみつく。孤児たちはしっかりと抱かれたがる。彼らは“孤児症候群”にかかっている。……少し年上の子供たちでさえ,火曜日にトラビス空軍基地からここに彼らを運んで来たバスからまるで赤子のように降ろされた。彼らはじっと見つめ,細い腕や足を志願兵たちの体に絡ませた。スタルカップ[担当医師]はこう述べた。『それはかなり深刻な事態であり,頭をなでたり,ひざの上であやしたりして満足させられるものではない。子供たちが成長するには,食物や水だけではなく愛を必要としているというのは事実である』」。

もしそれら戦争孤児たちが感情面で成長しないなら,彼らは内気で,敵意を抱いた,非行者,さらには自分の親をさえ殺す殺人者となりかねません。おもちゃの贈り物をもらわないからこうなるというのではなく,愛を受けないことがそうした原因となり得るのです。

ジェイムズ・ドブソン博士は愛の必要性だけではなく,あの論議の的となっている行動,つまり懲らしめの必要性についても書いています。博士はこう述べています。

「家庭環境が子供にとって最も健全なものであるためには,愛と抑制という二つの肝要な要素のバランスを注意深く保つことが必要だと私は固く信じている。これら二つのものが正しく用いられるとき,各々の子供は自分が非常に愛されており,自分の親が一個の人間として自分をとても高く評価してくれるということを知るのである。しかし,自分の親はその愛に促されて自分を教え,導き,指導し,そして従わないときには懲らしめを与えるということも子供は学ぶ。……

「この陳述の中で私が表明した見解は,実験的なものでも推測的なものでもなく,また私独自のものであるとも言えない。それらの見解は,ユダヤ教およびキリスト教の伝統のうちに2,000年間存在し続けてきた,子供の問題の取り扱い方を示すものである。その見解は難解な理論上の仮説に基づいたものではなく,むしろ現実的な結論に基づいたものである。ジャック・ロンドンは次のように述べている。『何事に対しても最善の物差しとなるべきものはこうである。それは実際にうまくゆくか?』 正しく適用するときに,愛のある大人の指導はうまくゆくのである」。

ジャック・ロンドンがこの教えを述べるずっと昔に,イエス・キリストはそのことを次のように述べました。「知恵はその働きによって義にかなっていることが示されるのです」。(マタイ 11:19)ドブソン博士は,親の権威を放棄し,子供に対して放任主義をとるよう提唱するある心理学者たちの傾向に関して注解を述べ,その記事を次のように結んでいます。「私は,アメリカ人が,特に子供に関連して,ばかげた行動を提唱する無責任な指導者に従って,その価値ある豊かな伝統を放棄しないようにと希望する」。

お子さんにあなた自身を与えることを差し控えたとしましょう。そうなればお子さんは自分が必要とされていないことを感じ取るでしょう。世界中のすべてのおもちゃも愛ある親に代わるものではありません。そのような愛ある親は,物質的な必要物と贈り物と共に自分自身を与えるのです。子供の霊的な成長のために家族のきずなは欠かせないものです。このことは昔のイスラエルにおいてよく理解されていました。子供は家族に不可欠な部分となっていました。家庭でよく教えられ,親と一緒に働くことによって仕事を教えられました。さらには大家族の間でレクリエーションを楽しむこともできました。

現在の体制下の世界の多くの場所では,子供の必要とするものを家庭の外で与えようとする傾向があります。子供は学校や日曜学校に送り出され,夏期キャンプや映画へ送り出され,仕事へ送り出されます。また親が外出をする際に子供は子守りを付けられて残される場合もあるでしょう。家族の中心から押し出され,いわば遠く離れた軌道上を回りながら,子供は無意識のうちに,自分は実際にはその一員ではないと感じるようになるのです。自分はなおざりにされており,求められても愛されてもおらず,敵対する大人の世界に囲まれていると感ずるのです。

そのような子供たちは,当然のことながら憎しみを抱くようになり,自分たちが受けるべき愛を与えてくれなかったと思われる人々や社会全体に欲求不満をぶちまけようとします。親に対して,また多くの場合大人全体に対して敬意を抱かなくなります。世代の隔たりが根深いものとなります。そのような子供は家出をして,犯罪,麻薬,売春,そのほかとても対処しきれない問題を抱える大都市に住みつくようになるかもしれません。

問題の解決へのかぎは,子供が生まれた時から家族の中で愛を示すことです。もしすべての大人が聖書中に示されている原則に従って生活したならば,子供に関する諸問題は大幅に減少することでしょう。

もしすべての夫婦がコリント第一 7章10,11節に述べられている聖書の諭しに従ったとしたなら,離婚や別居によって家庭が崩壊し,その犠牲となった子供は一人でも存在したでしょうか。―「結婚している人たちにわたしは指示を与えます。……妻は夫から離れるべきではありません。……夫も妻を去るべきではありません」。

もし親たちがエフェソス人への手紙の5章18節とローマ人への手紙の13章13節にある聖書の諭しに従ったとしたなら,大酒飲みの父親や母親からなおざりにされ虐待される子供は一人でも存在したでしょうか。―「酒に酔ってはなりません。そこに放とうがあるのです」。『浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行,また闘争やねたみのうちを歩むのではなく,正しく歩みましょう』。

もし親がコロサイ 3章21節とテトス 2章4節で与えられている諭しに従ったなら,虐待され,打ちたたかれる子供は一人でも存在したでしょうか。 ―「父たちよ,あなたがたの子どもをいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。『若い婦人たちに,夫を愛し,子どもを愛すべきことを自覚させなさい』。

もし親たちが申命記 11章19節(新)の諭しに従っていたなら大人たちが自分たちに関心を払っていないと感じる子供は一人でも存在したでしょうか。―「あなた方はまた,[神聖な諸原則]をあなた方の子らに教え,家に坐るときにも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときもそれについて語るようにしなければなりません」。

要するに,もし大人たちがマルコ 10章14,16節に示されているイエスの手本に倣ったならば,望まれても愛されてもいない子供は一人でも存在したでしょうか。―「『幼子たちをわたしのところに来させなさい。止めようとしてはなりません』……それから,子どもたちを自分の両腕にだき寄せ,その上に両手を置いて祝福しはじめられた」。

そのことに関して言えば,キリスト・イエスによってマタイ 7章12節で示された教えに全世界が従ったとしたならどうなっていたことでしょう。―「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません」。

エホバ神は人類に対するご自分の愛を示されました。『神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされたのです』― ヨハネ 3:16。

イエスはご自分の命を与えることによってその愛を示されました。『人の子は,仕えてもらうためにではなく,むしろ仕え,かつ自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのです』― マタイ 20:28。

よみがえらされたイエス・キリストが天に昇られた時,彼はクリスチャン会衆に「人々の賜物」を与えました。―エフェソス 4:8。

エホバ神はご自分の独り子をお与えになりました。イエスはご自分を与えられました。イエスはまた,ご自分の会衆に仕えさせるために賜物として人々を与えました。さらに,非常に多忙でその使命は非常に重要であったにもかかわらず,子供たちのためにいつも時間を与えました。親の皆さん,与えることに関するこれらの手本に見倣ってください。お子さんたちに自分自身を与えてください。あなたの愛を示してください。あなたの時間を与えてください。「時間がなくなったんだよ」と軽々しく言わないようにしてください。もしこうした言葉をまくなら,それを刈り取ることになるでしょう。時間を作るのは肝要なことです。贈り物をする時としてこの世が定めている,1年のうちの1日だけではなく,毎日が重要なのです。

忘れないでください。あなたはお子さんに与え得る最も重要な贈り物なのです。

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「まじめな表情をした戦争孤児たちは手で触れ,つかみ,しがみつく」。

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「知恵はその働きによって義にかなっていることが示されるのです」。

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「あなたがたの子どもをいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。

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「『時間がなくなったんだよ』と軽々しく言わないようにしてください」。

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