その起源はどこにあるか
三位一体の教理は,キリスト教世界の諸宗教の中心的な教理として,カトリックとプロテスタント双方の諸教会で長年にわたって教えられてきました。
それは聖書に起源を有するものなのでしょうか。ブリタニカ百科事典は,「聖書には『三位一体』という語やその教義そのものを明白に述べている箇所はない」と説明しています。(1973年版,第8巻441ページ)「三位にして一つの神」という教義について,カトリック百科事典(英文)は,「これが……神の言葉そのものであるというわけではない」ことを認めています。(1967年版,第14巻304ページ)
ではこの観念の起源はどこにあるのでしょうか。三神一体という考えは,古代エジプトやバビロニアの神話,およびヒンズー教や仏教に広く見られます。右にあるのは,古代エジプトの三つ組の神々,イシスとオシリスとホルスです。
「新シャフ-ヘルツォーク宗教知識百科事典」(英文)によると,異教ギリシャの哲学者たちがキリスト教世界の教えに影響を及ぼしました。「ロゴスと三位一体の教理はギリシャ人教父からそのはっきりした形を与えられた。彼らは,学校でその訓練を受けなかったとしても,[異教の]プラトン哲学から直接,あるいは間接に大きな影響を受けていた」。(第9巻91ページ)
ローマ皇帝コンスタンティヌスも重要な役割を果たしました。宗教上の分裂は帝国の一致を脅かすと見たコンスタンティヌスは,西暦325年にニケアで司教たちを召集して公会議を開きました。二か月に及ぶ討論の末,バプテスマを受けていない同皇帝は三位一体論者に有利な裁定を下しました。ブリタニカ百科事典は次のように伝えています。(第8巻107ページ)「[コンスタンティヌス]に威圧され,司教たちはただ二人を除いてその信条に署名したが,彼らの多くは不本意ながらそうしたのであった」。反対者たちは追放されました。
しかし,その後間もなく,ニケアでの反対者たちはコンスタンティヌスの好意に再び浴するようになり,三位一体論の主な提唱者は破門されました。後日,三位一体論者たちは,テオドシウス帝によって再び日の目を見ました。同皇帝は,三位一体を受け入れようとしない者たちの崇拝の場所を閉鎖しました。
ですから,三位一体の教理が形成され,今日それが広まったことには,異教哲学と政治支配者の布告とが一役買っているのです。