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目ざめよ! 1981
目81 8/22 28–29ページ

飛行機で地球の底へ

ニュージーランド航空は,毎年4回,地球の底,すなわち南極への一日飛行を行ないます。1979年11月21日,私はオークランドから南へ向かう,そういう飛行機の一つに乗っていました。

ニュージーランドを後にした飛行機は,高度を定め,一路かなたの氷原を目指して進みます。機内が暗くなったので,私たちも落ち着いた気分になりました。南極に関する映画が3本上映されるのです。最初の映画は,アムンゼンを隊長とする一行が1912年に行なった探検の模様を伝える白黒の記録映画です。彼らは何とたくましく,探検に心を打ち込む先駆者だったのでしょう。次いで,比較的最近行なわれた幾つかの探検の模様と,ニュージーランドのスコット基地の開設に関するカラー映画2本が上映されました。

目に映る光景

時間は瞬く間に過ぎ,やがて私たちは,光がまぶしく反射する中を雄大な風景の南極大陸へと降下して行きました。南極大陸は,世界で最も寒く,訪れる人のあまりない,特異な大陸です。1977年になってジェット機による南極「一日の旅」ができる時代になりましたが,それまでは,私のような一般人がここを訪れることなどまず不可能でした。

最初の南極探検家たちが目にした様子と,飛行機でやって来る今日の訪問者たちが目にする様子との対照ほど大きな対照はないのではないかと思います。スコット基地からのラジオ放送によれば,同基地の気温は11か月間で最高の摂氏零度ということです。私たちは暖かくて気持ちの良い機内から窓越しに目をこらします。乗客は重なり合うようにして窓のガラスに鼻を押し付けています。

浮氷は,インクを流したように黒い海に浮いている,すべすべした白い紙切れのようです。氷の薄い部分の割れ目は大理石模様の効果を上げています。想像していた状態とは大変違い,南極大陸は平たんでも,色彩にとぼしいところでもありません。むしろ美しい変化に富み,氷の厚さによってオパールのように輝く部分もあります。山脈もあれば,谷や大きな氷河,深いクレバスもあり,レースのように見える海の氷が硬い陸地の氷につながっています。氷塊の浮かぶ海に面してそそり立つ険しいがけもあります。

乗客は皆カメラを構えています。中には幾つもカメラを持った人がいます。テレビの取材班は今日の特別な旅行をするためにウェールズ,北米,フランスなどから来た人たちを撮影したり,その人たちにインタビューするために忙しく動き回っています。一人の婦人は目に映るものすべてを素早くスケッチしています。しかし,食べ物と飲み物がふんだんにサービスされたので,残念なことに,ある人たちは飲み過ぎて,すばらしい景色を大方見逃しています。

スコット基地の上は低空を飛んだので建物や乗り物がはっきり見えました。それから間もなく,アウターウイリアムフィールド空軍基地を通過します。飛行機4機が並んでいますが,全体が凍結していて,白黒の無声映画のようです。

私たちの乗った飛行機の影が,ちょうどスピードスケートの選手のように氷の上を滑るのが見えます。今世紀の初めに,人々が何日も何週間もかかって横断した地域の上空をわたしたちはわずか数分で巡航しました。有名な英国の南極探検家スコットがそれを聞いたら,信じられないと思うことでしょう。今日アメリカのマクマード基地では,夏の間は人口1,000人まで収容できます。そしてニュージーランドへはわずか数時間で行けます。

乗客の中に,1か月間「氷の上」で過ごしたばかりの探検家がいました。彼はどこに何があるかよく知っていて,興味深い点を絶えず説明してくれます。驚いたことに,年中寒いこの土地にエレブス山という活火山があるのです。海抜4,020㍍のその山のそばを通った時,火山の内部の熱で頂上の雪や氷が融けているのが見えました。活火山であることの証拠にその山の頂からは白い煙が出ています。この火山を,自分たちの船の名前にちなんで命名し,『炎と煙をおびただしく噴出している』と描写したのは,19世紀のもう一人の英国の極地探検家ロスです。

やがて,引き返す時間になりました。最後にスコット基地とマクマード基地の上空を通過し,再び高度を1万㍍に上げ帰路に就きます。

黙想の時間

わたしは目を閉じ,この目で見た驚嘆すべき事物を思い巡らし,それらすべてを創造された方に無言の賛美を捧げました。

やがてニュージーランドが再び見えて来ました。燃料補給のためクライストチャーチに1時間立ち寄り,搭乗員の交代があった後,オークランドへ向けてまた飛び立ち,その夜10時にオークランドの国際空港に到着しました。疲れてはいましたが喜びにあふれ,この経験は決して忘れることはないと思いました。

その記憶がまだ心に鮮明であった1週間後,家の電話が繰り返し鳴ります。南極へ飛び立ったニュージーランド航空の飛行機が行方不明になったと言うのです。私が南極見物の計画を持っていたことを知っていた友人の多くは,私がその行方不明の飛行機に乗っていたのではないかと非常に心配してくれました。

その後さらに入ったニュースにより,だれもが心配していた通りのことの起きたことが分かりました。飛行機はエレブス山に衝突し,乗っていた257人全員が死亡したのです。私は数日の間何とも言えない気持ちでした。自分が撮ってきたきれいな写真を見ることさえできません。ラジオやテレビのニュースは,救援隊が絶えず変化する天候と闘い,難しい地形を克服しながら死体や飛行機の壊れていない部品を飛行機で運ぶ様子を伝えます。私は遺族の方々を本当に気の毒に思います。南極行きの飛行機で私の隣に座っていた人も遺族の一人です。二人が別の飛行機で行けば,どちらかが良い天候に恵まれて写真を撮ることができるだろうと考えて,息子のほうは1週間後の飛行機を選んだのです。

“地球の底”への旅は,私に深い印象を残しました。創造者の知恵と美的感覚のすばらしさを深く認識することができましたし,また,命の不確かさ,「時と予見し得ない出来事とは,そのすべての者に臨むからである」ということも実感し,畏怖の念に打たれました。(伝道 9:11,新)― 寄稿。

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