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目ざめよ! 1981
目81 1/22 12–14ページ

マリア ― 助けになるか

ブラジルの「目ざめよ!」通信員

「これは西欧世界で最も重要な信仰の表明となろう」。ブラジルを訪れた最初の法王,ヨハネ・パウロ二世のブラジル滞在中に,こうして聖母マリア聖堂の献堂が宣言されました。1億2,000万を数えるブラジルの人口のおよそ9割がカトリックの教えを奉ずると自任しているのですから,そのような可能性は秘められていました。また,法王を見ようと群がり集まった大群衆は,前述の言葉を支持しているようにも思えました。

12日間におよぶ法王の訪問の日程はぎっしり詰まっていました。首都ブラジリアを皮切りに13の都市を訪問し,リオデジャネイロでは74人の司祭を叙任し,フォルタレザでは聖体大会を開きました。ブラジリアの刑務所,リオデジャネイロの貧民街,サルバドルとベレンの癩病療養所も訪問しました。法王は,社会正義・暴力・物質主義・若者・家族計画などの様々な問題について70ほどの講話を行ないました。しかし,ブラジルの人々にとって訪問の最高潮となったのは,リオデジャネイロとサンパウロの中ほどに位置している小都市アパレシダで行なわれた,国立聖母マリア聖堂の聖別式でした。

アパレシダ聖母マリア聖堂の名称の由来は,1717年に小さなマリア像が発見された時のいきさつにあります(Aparecidaは「出現した,突然見いだされた」を意味する)。言い伝えによると,州知事のための魚をとるよう選ばれた3人の漁師がいて,しばらくのあいだ漁をしたものの何も得られませんでした。もう一度網を引き上げてみると,魚の代わりに頭の取れた小さな像が掛かっていました。次に網を下ろすと,今度は像の頭の部分が上がりました。それからというものは魚が沢山とれ,舟は沈まんばかりになったと言います。

この“奇跡”がきっかけとなって,アパレシタの聖母マリア像が崇敬の対象とされるようになりました。高さ43㌢のこの像は現在大聖堂の中に安置されています。この聖堂は,大きさの点で,バチカンの聖ペトロ大聖堂に次ぐものであると言われます。そのため,待望の大聖堂の聖別式は非常に重要な行事として鳴り物入りで宣伝されたのです。

しかし,法王の訪問にはそれ以上の期待が寄せられていました。

「法王はカトリック教会の一致をもたらすために訪れ」,「全国民から平和を説く指導者として迎えられるであろう」とある新聞は述べました。ブラジルのカトリック教会の一致と平和が脅かされていることはまったく明白でした。

法王の訪問に先立つ何週間かのあいだに,社会問題に対する教会の役割をめぐって,ブラジルの枢機卿や司教の間に意見の相違のあることが広く知られるようになりました。法王の使節の話によると,『[法王]は意見の相違について十分知っており,信仰心の厚い人々の間の一致と友情を促進するために訪れる』ことになっていました。デーリー・ポスト紙は,「カトリック教会の保守派と改革派の間の闘い」を取り上げ,記事の終わりに,『教会と法王の行動は,ブラジルにおけるカトリック教会の存続を図ることに向けられている』と書きました。

駐ブラジル法王大使カーマイン・ロコは,同教会の抱えているもう一つの問題を鋭く指摘して,「叙任される司祭の数が非常に少ない」と言明しました。この点に関してベジャ誌は次のように論評しています。「ブラジルは世界最大のカトリック教国であるものと思われるが,教会に奉仕する点になると,ブラジル国民は明らかに,今日最も熱意に欠ける国民の一つである。全国にカトリック教徒であることを公言する人が推定9,000万人はいるが,法王ヨハネ・パウロ二世によって司祭として叙任される市民をわずか74人しか提供することができなかった。……今日のブラジルのカトリック教会を大いに悩ませている問題の一つは……司祭の数が少ないことである。……さらに悪いのは,司祭になろうとする人がいないことである」。

マリアは助けになるか

これらの問題を思いにとめ,アパレシタのマリア聖堂の聖別式のことを考えると,誠実なカトリック教徒は当然次のように尋ねることでしょう。マリアはこの危機のさなかにあるカトリック教会を助けることができるのだろうか。わたしの抱えている個人的な問題を解決する助けを与えてくれるだろうか。では,マリアがこれまでに行なった事柄をしばらくのあいだ思いめぐらしてみましょう。

今日の全人類は,神のみ子,イエス・キリストを世に生みだし,イエスが罪と死からの贖いを備えることができるようにしたという点で,マリアに負うところがあります。さらに,マリアは,貞潔・謙遜・信仰・従順といった特質の面で,クリスチャンの婦人に立派な模範を残しました。次の事実を考えてみるとよいでしょう。聖霊によって身ごもり子を産むであろうと告げられた時,マリアは謙遜な態度でそれに同意し,「ご覧ください,エホバの奴隷女でございます! あなたの布告どおりのことがわたしの身になりますように」と言いました。―ルカ 1:38。

のちに,「身重」のマリアは,夫とともに自分の生まれた都市で登録を行なうために旅をしなければなりませんでしたし,家畜小屋に泊まってそこで子供を産むことにもなりましたが,そのような時でも,不平をこぼすことはありませんでした。出産の何日かのち,自分の不完全さを認めていたマリアは,モーセの律法の定めどおり浄めのために従順に神殿に上りました。(ルカ 2:1-7,22-24。レビ 12:1-6)確かにマリアは過去において多くのことを行ないました。

では,現在はどうでしょうか。マリアは助けを仰ぐような存在でしょうか。そう考えている人は少なくありません。ある雑誌は次のように伝えました。「聖人に対するこうした信仰は大聖堂の存在にのみ認められるものではない。……“奇跡の広間”には……山と積まれた松葉づえ,おびただしい数の十字架,写真など,守護聖人の施してくれた恩寵や奇跡の証しと巡礼者たちが主張する幾百もの物品がある」。あるニュース雑誌は,「法王は,聖母マリアを表わす伝統的なシンボル,Maryの“M”を法王盾に付すことにより,聖母に対する信仰心の大切さを特別に強調した」と報じました。また法王は,聖別式の話の中で,マリアを「神の母」と呼び,『聖母・守護聖人・仲介者・代弁者として崇敬と祈願の対象になる』ものであることを指摘しました。

残念なことに,マリアに助けを祈り求め,失望させられてきた人は少なくありません。例えば,聖女カルメンとサンタ・ローザをそれぞれ守護“聖人”とするチリとペルーのカトリック教徒の置かれた状況について考えてみましょう。チリの多くの女性は,生涯を通じて茶色の服に身を包み,聖女カルメンに対する信仰心を示しています。しかし,南米の太平洋戦争(1879年-1883年)の時にどんなことが起きましたか。チリとペルーの両軍が死闘を繰り返している間,チリの人々は聖女カルメンに対して,またペルーの人々はサンタ・ローザに対して様々な誓いや祈りを行ないました。戦いはチリの勝利に終わりました。これは,聖女カルメンの方がサンタ・ローザより力があったことを示しているのでしょうか。どうしてそのようなことがあり得るでしょうか。どちらも同じ聖母マリアを表わすものなのです。

祈りについて聖書の述べる事柄が見逃されていたのでしょうか。つまり,受け入れられる祈りは,別のかたに対して,別のかたを通し,全く異なった事柄を求める祈りでなければならないということが見過されていたのでしょうか。(聖書が何と述べているか,ご自分で次の聖句をお調べになってください。ルカ 11:2。フィリピ 4:6。ヨハネ 14:6; 15:16。ヤコブ 4:1-3。ヨハネ第一 3:22; 5:14。)

ブラジルでは同様に,マリアに対する崇敬の行為とアフリカ伝来のブラジルの女神イエマンジャに対する崇敬の行為とが混同されていることも憂慮されています。ドミニコ会士ライムンド・デ・アルメイダ・シントラは,ブードゥー教儀式の一つカンドブレを行なう人たちにとって,「イエマンジャと懐妊の聖母は……まったく同一のものである」と語りました。(下線は本誌)同会士によると,第二バチカン公会議の文書は「[異なった宗教の]こうした諸要素の幾つかを取り入れて同化するよう勧めている」とのことです。(下線は本誌)ですから,マリアとイエマンジャの像が同じ祭壇の上に置かれ,イエマンジャに対してカトリック教会で行なわれているのと同じ形式や調子の崇拝や祈りがささげられていても驚くには当たりません。

このように礼拝形式が混同されてしまうと,崇拝されているのはマリアかそれともイエマンジャかという疑問が生じます。さらに,報告の示すところによると,ブラジルの名目上カトリック教徒とされる人々の7割は何らかの形式の心霊術を行なっています。なるほど,法王の訪問の目的の一つが「ブラジルにおけるカトリック教会の存続を図る」ことにあったというのもうなずけるような気がします。大聖堂の聖別式に大勢の群衆を集めれば,『多数の忠実な人々をアパレシタに引き戻し,その信仰を新たにさせる』一助になるものと期待されたのです。

しかし,人間にせよ他の何にせよ,被造物をあがめることについて,カトリック教徒は,使徒ヨハネがみ使いを崇拝しようとしてひれ伏した時,み使いがヨハネに語った言葉を心に銘記しておくべきです。み使いはこう語りました。「気をつけなさい! そうしてはなりません!……神を崇拝しなさい」― 啓示 19:10。

こうした事柄を考えると,たとえ訪問中の法王を見ようと群衆が群がり集まったとしても,マリアがあなたやブラジルのカトリック教会の助けになると信じる確たる根拠があると思われますか。

助けの源

聖母マリアに仕えていたチリのある婦人の次の経験は,誠実なカトリック教徒にとって実際に助けになる事柄をよく示しています。その婦人の娘は聖書を研究していました。彼女は母親に,「神の母なる聖母マリア」に呼ばわるのは正しくないと言いました。娘はある日,親に次のように尋ねました。「だれが世界を造ったの」。「神様に決まっているじゃない」。「それなら,どうして神に母親がいるの?」

しばらくの間この質問を深く思いめぐらしていた母親は,幾つかの質問をするようになりました。娘は,「この次エホバの証人が通りかかった時,聖書から説明してもらったら」と提案しました。母親はそのようにしてみました。何回かの討議ののち,自分の持っているカトリックの聖書から,マリアが神の母ではなく,神のみ子イエスの母であることを知りました。また,神が崇拝の際の像の使用を是認しておられないことも学び,自分の持っていた像をすべて捨て去りました。その婦人は,聖書が詩篇 121篇1,2節(新)の中で告げている次の言葉の価値を認識するようになりました。そこにはこう記されています。「わたしの助けはどこから来るのだろうか。わたしの助けはエホバから,天と地の造り主から来る」。

誠実なカトリック教徒であられるなら,これまでに教会内の不一致の理由や「信徒の間の友情」の欠如,異教の儀式とカトリックの儀式のはなはだしい混交に疑問を抱いたことがあるでしょうか。聖書の知識はそうした疑問の答えを得る上で助けになります。エホバの証人は,これまで幾年にもわたって,幾千幾万ものカトリック教徒,心霊術者,その他の人々にこうした知識を得る助けを差し伸べてきました。エホバの証人はあなたにも喜んで援助の手を差し伸べたいと思っています。前述のチリの婦人のように,この次エホバの証人が通りかかるとき,時間をとって話しかけてみてはいかがですか。

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