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目ざめよ! 1981
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「私たちは自分の仕事に喜びを見いだしています」

日本の「目ざめよ!」通信員

日本で行なわれている一つの非常に特異な建設計画についてお話ししましょう。この工事は東京からそう遠くない海老名市で行なわれています。この工事のどんな点が特異なのでしょうか。まず,幾百人もの働き人がいずれも自発的に工事に参加している無給の奉仕者であるという点を挙げられます。

建設現場という苦労の多い生活条件や厳しい仕事量にもかかわらず,これらの働き人は明らかに仕事に満足を見いだしています。インタビューした人たちの口からは「私は自分の仕事に喜びを見いだしています」という言葉が幾度となく聞かれました。

例えば,ここで働いている人のひとりに,「一生懸命働いておられますね。やる事が多くて大変でしょう。一日の仕事が終わると,ほっとするのではありませんか」と話し掛けたところ,次のような答えが返ってきました。「疲れを感じ,夜の休息が待ち遠しいのは事実ですが,私はここでの仕事を楽しくやっています。この工事に自発的に参加している人は342人いますが,そのすべてが同じように考えています」。

別の人はこのように語りました。「確かに,あらゆる天候の下で長時間働き,宿舎と食事,それに少額の手当以外は一切給料を受け取っていません。それでも,私たちは自分たちの行なっていることから大きな喜びを得ています」。

インタビューを続けるうちに,それらの人々の喜びが仕事の目的と関係のあることがすぐに分かってきました。ここで働いているひとりの人は次のように語りました。「この仕事が自分の人生の目的と直接関係があるという事実が喜びの源となっています。毎日自分のすることがそうした目的すべてに寄与していることを知る時,深い満足を覚えます」。

どんなことが関係しているのかをはっきり知るため,ここで働いている人たちに次のような質問をしてみました。答えの幾つかを挙げてみましょう。

質問。「どうしてこの工事に参加することを自発的に申し出られたのですか」。

答え。(二口義信): 「エホバの証人が海老名に印刷工場を建てることを聞き,胸が躍りました。工場,事務棟,300人を収容する宿舎棟が建てられるということが発表されました。こうした施設が必要になったのは,日本における『目ざめよ!』誌と『ものみの塔』誌の印刷部数が増加の一途をたどっており,現在では日本だけで毎月合計170万部以上が印刷されるまでになったからです。また,新しい工場では,聖書を解説した書籍も印刷されることになっています。これらの文書はすべて,日本の5万5,872人のエホバの証人によって用いられます。これらのエホバの証人は昨年,公の宣教活動に2,000万時間以上を費やしました。

「建築工事はすべて自発的な働き人によって成されることが述べられました。それを聞いて,進んで労力を提供しようとする働き人たちが古代において幕屋の造営にあずかったことを思い起こしました。(出エジプト 35:1,2)海老名の工場の目的は,人々が神とその目的について学ぶのを助ける文書を生産することにありますが,そうした優れた目的を考えて,私もこの工事に参加したいと思ったのです。ここにいる仲間の働き人も同じように考えています」。

質問。「仕事にこれほど大きな喜びを見いだしている理由を話していただけますか」。

答え。(銭谷治幸): 「2年前まで普通の会社に勤めていましたが,そこでは激しい競争が当たり前のこととなっていました。だれもが出世することだけに関心を持ち,出世のためなら人を踏み付けてでも自分をよく見せようとしていました。

「ここではそれと全く対照的な光景を目にします。みんなが一つの家族となって共に働いています。個人の昇進ではなく,業そのものが最も重要な事柄とみなされています。一致した目的があり,出しゃばる人はひとりもいません。やり手のライバルに地位を奪われるのではないかと心配する人もいません。

「『愛は自分の利を求めません』という聖書の原則が実際的なものであることがよく分かります。(コリント第一 13:4,5)私たちの間に平和と一致が行き渡り,なおかつ高い生産性が保たれていることは,その原則がいかに優れたものであるかを物語っています」。

仕事に慣れていない人たちに対して多くの訓練がなされていることに気付きました。そこで,熟練していない人たちがどうみなされているかを知りたく思い,以前警察官だった人にそのことについて尋ねてみました。

質問。「ここで働いている人の人間関係のどんな点に引かれますか」。

答え。(鎌倉克行): 「特に注目できるのは,全体の働きが愛の原則に基づいていることです。警察のような法施行機関では,訓練から地位まであらゆるものが,強い人に有利なようになっています。恐らくそれはこうした世界特有の必要によるものと思われますが,愛に根ざした機構の下ではすべての人が互いに益を与え合います。

「例えば,強健でない人には思いやりが示され,その一方でそうした人々の努力から組織全体が益を得ます。物事を学ぶのに時間のかかる人も,取り残されて惨めに感じることはありません。そうした人は辛抱強い教えを受けて,多くの場合勤勉な働き人になります。

「ここで働いている人の多くは当初,腕の良い職人ではありませんでした。以前は腕の良い大工や配管工,電気工,製図工がごくわずかしかいなかったのに2年後の今日そうした人々が大勢いるという事実は,経験のある人々が経験のない人々に進んで技術を教えてきたことを物語ってはいないでしょうか」。

私が感銘を受けたもう一つの点は,始終どなり声を上げて指図する“ボス”の声が全く聞かれないことでした。それについてコックのひとりに聞いてみました。

質問。「ここで働いている人たちはどのような監督を受けているのですか」。

答え。(中村敬一): 「例を挙げて説明してみましょう。ここには20人のコックがいて,毎日550人分の食事を作っています。この550人には,建設奉仕者と沼津にあった以前の支部事務所から移って来た人々も含まれています。そして皆,食欲は旺盛のようです。

「厨房で働いたことのある人ならだれでも知っているように,食事の時間が近付くとてんてこまいの忙しさになります。プレッシャーがかかりますが,全員がクリスチャンの原則に基づく言動を取ろうとしているので,一致が増し加わります。また,よく組織されていることも助けになります。

「監督たちは,他の人と同じように,またそれ以上に一生懸命働きます。指図を与えるだけという人はいません。そもそも私がエホバの証人に引かれた一つの点は,監督たちが率先して仕事を行なうというこの原則でした」。

質問。「具体的に説明していただけますか」。

答え。「ではお話ししましょう。聖書を研究する前,私は非常に無政府主義的な考えをしていました。組織された政府や社会集団のない方が,人類の生活はよくなると考えていたのです。私が調理師になった理由の一つはそこにありました。コックになれば,組織に縛られる企業で働かなくてもよかったからです。人類は自滅の道を歩んでおり,世界の様々な組織は人類がそこへ進むのを助長しているに過ぎないと考えていました。

「聖書の研究を通して,神の目的を成し遂げるには活動を組織する必要のあることに気付くようになりました。しかし,この組織がいかに異なっているかを一層深く認識するようになったのは,ここで働くようになってからのことです。この組織には利他的な目的があり,親切で勤勉な監督たちがいますから,確かにすべての人の益になる組織と言えます」。

ここでは18歳から67歳までの様々な年齢層の人が働いています。20代の大勢の若い人々が働きながら訓練を受けて益を得ています。ところで,普通ならばこれほど一生懸命働かずに隠居してもよいような年配の働き人についてはどうでしょうか。私は次のように質問してみました。

質問。「65歳を超える年配の方が建設工事に加わっているのはなぜですか」。

答え。(辻 武男): 「確かに,私の年齢では年を取り過ぎていてとてもこの工事に参加できないと考えた人も中にはいました。65歳の時に退職し,安楽な生活を送ることもできました。でも,仲間のために自分を少しでも役立てたかったのです。私には配管の経験があったので,その経験が役立つのではないかと考えてこの工事に参加することを申し出ました。

「しばらくの間,配管部門で働きましたが,今は受付にいます。私にとってこれは本当に特権でした。同年配の人の多くには何もすることがありませんが,私の人生は報いの多い活動で満ちています。

「私は妻を亡くし,今は扶養すべき家族もいません。しかし,孫のような若い人々と一緒に働けるので,自分も若い気分でいられます。確かに,痛みや苦痛に襲われることはありますが,たとえ家にいてもそれは変わりません」。

中年の働き人のことが気になったので,子供のいる人が何人ここで働いているのか質問してみました。17人いるとのことでした。ここに来てこの工事を行なうために,これらの家族にはどのような調整が必要だったのだろうかと考えました。

質問。「家族と一緒にこちらで生活するには,調整が必要だったのではありませんか。どのようにその調整をなさいましたか」。

答え。(蒲田 求): 「自分で建築事務所を開いていたので,事情を調整することは可能でした。しかし,海老名の工事が大規模なものであるのを見て,仕事の割当てを受け入れるなら,全時間そこで働く必要があることを知りました。

「こうした見込みについて家族と話し合ったところ,私がその奉仕を行なえるよう全員が協力してくれると言いました。妻は4人目の子供を身ごもっていましたが,ためらうことなく私を励ましてくれました。妻のこうした自己犠牲的な精神があったからこそ,私はここに来れたのです。

「得意先には,事務所を一時的に閉鎖するつもりであることを告げました。初めのうち彼らは私の言うことを信じませんでした。しかし,私が“本気”であることが分かると,事務所を再開した時にはもう一度自分たちの仕事をしてくれるようにと念を押しました。

「それまでの家をあとにして,建設現場近くのもっと経費のかからない家に移る必要がありました。しかし,家族のすべてが喜んでそうした犠牲を払いました。人を本当に幸福にするものは物質ではないことを一層深く認識できるようになったのは一つの収穫でした。それによって,物質を相対的な位置に保つことができました。以前と同じ生活様式に戻った後でも,そうした認識を失いたくありません」。

扶養する家族を抱える別の人を探し,同じような質問をしてみました。

質問。「あなたにも扶養すべき家族があるようですが,必要な調整をしてここ移って来るのに何か問題がありましたか」。

答え。(佐藤優仁): 「私は下水処理と環境汚染防止の仕事に25年間携わってきたので,この工事に自分を役立てることができるのではないかと考えました。海老名における建設工事が終了しても,聖書を教える業に全時間携わっていこうという決意の下にそれまでの会社を辞めました。

「家内は,私がこの工事に参加することを喜んでくれましたが,引越したり息子が転校したりすることは望みませんでした。家内は交わりを楽しんでおり,聖書研究の面で近所の人を盛んに援助していたのです。それで1年ほど建設現場まで通いました。しかし,そこまではかなりの距離がありました。

「そこで,現場の近くに引越すことを提案したところ,今度は家内も同意してくれました。ところがどうでしょう。家内はここが大変気に入り,ここを去りたくないと考えています。他の人に仕え,そうした奉仕のもたらす幸福を味わうことが何を意味するかを私たちは学んだのです。『受けるより与えるほうが幸福である』とイエスがおっしゃられた通りです。―使徒 20:35。

「他の人も,これが真実であることに気付いています。様々な職業に携わっていた人たち,また異なった家族環境の中で育った人たちがここにやって来ています。そのすべての人が必要な調整を行ないました。ここで働いているそうした人のほんの何人かを挙げるだけでも,左官の仕事をしているオートバイの元テスト・ドライバーや鉄筋を曲げる仕事をしているかつての化学工学技師をはじめ,漫画家,ボクサー,農夫,調理師,原子科学者,ロック・ミュージシャンなどだった人がいます。様々な背景を持つ人々から成るグループなので,そうした人たちと交わるとその人たちをよく知るようになり,人生をより豊かなものにするのに役立ちます。このように,必要な調整をしてここに来ることにより,私たちは確かに益を受けています」。

ここで行なわれている建設の目的を理解すると啓発を与えられます。お金を得ることが主な関心事になっている他の仕事の場合,働いている人の多くは心を込めて仕事に携わりません。機会あるごとに楽をしようと手抜き工事をし,資材をむだに使うことも少なくありません。経営者の側にいる人の中には,仕事をいいかげんにしたり資材の質を落としたりしてもうけをふやす人もいます。

しかし,ここ海老名の現場ではそのようなことは全く見られません。多少経費がかさんでも良い資材を用いるように,また手を抜いたり資材をむだにしたりしないように勧められています。丈夫で耐久性のある,維持の容易な建物を造ることが目的とされています。ですから,設備は良いものをきちんと取り付けておかねばなりません。働き人のひとりが,「自分のした仕事に誇りを持つことができます」と語ったのももっともなことです。

次に,別の人に尋ねてみました。

質問。「仕事そのものに関することですが,自分の行なっている仕事に関連して“試み”を受けることがあると何人かの人が話していました。それについて説明していただけますか」。

答え。(加藤高章): 「私は比較的裕福な家庭に育ち,ここの奉仕を申し込む前は家業の管理をまかされていました。でもここで割り当てられたのは“魅力的”な仕事ではありませんでした。私を含めた23人には,ここで働いている人たちの宿舎の世話をする仕事が割り当てられています。シーツやタオルの配達からトイレの掃除まであらゆる種類の仕事をします。それまでこの種の仕事に慣れていませんでしたから,そうした意味で試みとなりました。

「ところが最近,宣教者として台湾に行くためビザの下りるのを待っている一人の奉仕者から謙遜さに関する教訓を学びました。その人は私と一緒に働くよう割り当てられ,私が指示を与えることになりました。その人はここ日本の支部事務所で長年働いており,ホーム関係の仕事は一つ残らず経験したと言ってもよい人でした。私よりはるかに経験が深いにもかかわらず,最も卑しい種類の仕事を行なう場合にも私の指示に忠実に従いました。この経験から私は謙遜さについて多くを教えられました」。

以前ロック・ミュージシャンだった宮下晴久は次のように言葉を加えています。「私たちの多くは何らかの試みを経験します。しかしそれはいずれも私たちの益になります。例えば,以前ロック・ミュージックの世界にいて快楽を追い求めていた時,私は健康をすっかり損なってしまいました。この奉仕を自発的に申し込んだ時には,自分は健康であると考えていましたが,激しい建設工事に携わるだけの肉体的な備えは全くできていませんでした。それでも楽観的な見方を保ち,健康を維持するために提案されている日課に従いました。その結果体重は6㌔増え,平衡を取ることを学び,快楽だけを追い求めていた時には決して得られなかった満足を味わっています」。

このように,この特異な建設計画に従事している人々は様々な教訓を学んでいるようです。新しい仕事を学び,数多くの友人たちといつまでも続く友情を築き,クリスチャンの行状と謙遜さの模範を目にしています。ここで働く人々の必要は霊的にも物質的にも十分にまかなわれています。

最近ここを訪れた地元の建設会社の社長は,ここで働いている人たちの印象をまとめて次のように表現しました。「ここには300人以上の人がいますが,その大半は経験のない若者たちです。それらの人が一致のうちに笑顔で働き,確かに快適に過ごしているのを見ると,すべての人が自分の仕事から同じように喜びを得られたらよいのにと思わずにはいられません」。

私は心の内でこう考えました。いつの日か,神の新秩序の下で生ける人すべてが正にそうなるでしょう,と。―詩 37:11。イザヤ 65:21,22。

[16ページの図版]

東京からそう遠くない海老名市に建てられている,ものみの塔協会の新しい施設を上空から見た図

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