もしもロボットが話せたら…
私はロボットです。
こう言うと驚かれるかもしれません。つい最近まで,ロボットが存在すると言っても多くの人が信じませんでした。私たちは,映画製作者の想像の産物に過ぎないと思われていたのです。しかし,今では私たちが確かに,また幾千も存在し,さらに無数のロボットが生産されつつあることが知られています。
私は第2世代のロボットです。このことにも驚かれることでしょう。別のロボットが私を組立てたのです。歩くことも,話すことも,“見る”こともできますし,ある意味では“触覚”もあります。人間ほど速く歩けませんが,足取りはしっかりしたものです。語彙も少なくありません。私の使う言葉を聞いてびっくりされることでしょう。
男性のようにたくましくなることも,女性のように優しくなることもできます。225㌔の物を軽々と持ち上げることも,殻を壊さずに卵を持ち上げることもできます。地中の深い所で石炭を掘り,休憩時間には人間の同僚の飲むカップに入ったコーヒーをかき回すこともできます。機械の組立てに助けが必要なら,私をお呼びください。台所での仕事に助けが必要なら,ご連絡ください。やろうと思えばできるのですが,窓ふきはしないことにしています。
私を見ても必ずしもロボットだとは思えないかもしれません。私のことをビービープープー音をたてて光を出し,銀幕の上を横切る機械人間に似たものとお考えなら,そうした見方は消し去ってもらいたいものです。私はそんなものよりはるかに複雑で,有用です。サイズや形は様々で,人間の指のようなものが幾つか付いた,あるいはぶかっこうで,体裁の悪い,イセエビのはさみのようなものが付いた手を備えていることもあります。キリンのように背の高いこともあれば,わずか1㍍ほどのこともあります。巨大な機械製のクモのように見えることもあれば,ごみ箱をひっくり返したような形に見えることもあります。例えば,米国フロリダ州のある医学校のロボットは,人間そっくりです。髪の毛も目も耳も鼻も口もあります。皮膚は合成樹脂製で,動脈や静脈,それに心臓まで付いています。この心臓は社会に貢献しています。それを使って心臓の障害を40種類まで実演することができるからです。映画の中でも,これほど本物そっくりに造られたロボットはありません。
ジョニー・カーソン・ショーに出るためなら自分の左腕を差し出しても惜しくはないと言う人がいるそうですが,1966年に私はそのショーに出ただけでなく,楽団の指揮までしました。そして1976年に,アンコールにこたえてワンロボットショーで行なった演技をご覧いただけましたか。その時,火星で土をすくい取っている私の姿を数台のテレビカメラが世界中に送りました。テレビカメラは一番良いアングルから撮ってくれました。私のことを思い出されましたか。また,何ができるか,どれほど話せるかを示すために実験モデルとして全国的な放送網を持つテレビに出たこともあります。
別に不思議に思うことはありません。私たちの到来について多くのことが書かれてきました。「ロボットがやって来る!」と書いた著述家もいれば,「ロボットは,やって来るどころか,もう来ている」と書いた人もいます。また一方では,「ロボットは知能のない,わずかばかりのナットやボルトの塊に過ぎない」と言う人もいます。このすべてから分かるように,皆さんは決して私たちの急激な成長を無視してきたわけではありません。
昔,人形で遊んだ時のことを覚えていますか。ぜんまいを巻くと,決まった歩幅で床を歩く人形もありました。後には,足と一緒に腕や手を動かすようになりました。次いで,太鼓をたたいたりタンバリンを振ったりするようになりました。時たつうちにそうした人形はさらに複雑になりました。赤ちゃんのように泣くことになり,しまいには言葉をしゃべるようになりました。ある国ではその進歩がめざましく,字を書いたり絵を描いたりする動きまでやってのけます。日本には,ぜんまいを巻くと,部屋を横切り,お客に小さな器に入ったお茶を出す人形もいます。子供たちは機械に硬貨を入れ,おもちゃのパワーシャベルを操って商品をつり上げ,その機械を上手に操ったほうびに子供を喜ばせる小間物が出て来ると小躍りしたものです。これはほんの始まりに過ぎませんでした。
「これをもっと大きくしたらどうだろうか」とある人々は提案しました。「もっともっと大きくするとよい」と別の人々は言いました。「それに脳を取り付けたらどうだろうか」。「それを人間のために働かせることができたらすばらしいではないか」と,頭のいい考案者たちは考えました。ところが,それよりもさらに進んだことを考えた人々もいたのです。1921年にチェコの作家,カレル・チャペックは,「ロッサム万能ロボット会社」という戯曲を出して有名になりました。その中で初めて“ロボット”という言葉が作り出され,私たちを表わす言葉として世界に紹介されました。それは高度に進んだ機械時代に人間と戦った,機械でできた登場人物でした。とうとう私たちロボットは,変態の長い時期を経て繭を破って出てきたのです。
歩いたり話したり泣いたり人を楽しませたり面白がらせたりする人形をおもちゃ製造業者が開発したのと同じように,高度の技術を持つ専門家が自分たちの“おもちゃ”,つまり今では“ロボット”と呼ばれている物にほとんど人間と変わらない能力を与えようと夢中になっています。人を楽しませたり面白がらせたりするのがその目的ではありません。先見の明のある人々は私たちを人間の奴隷にすることを考えていました。
私たちは進歩して,単なる機械以上のものにならねばなりません。結局のところ,車輪と車軸の発明以来機械は存在してきたのです。例えば,卵泡立て器は簡単な機械です。女性の手の中にあって,それは卵をかくはんするのに手ごろな道具です。しかし,ロボットが卵を泡立てるとすると,私たちは女性の手を借りずにすべてを自分たちで行なわなければなりません。それに加えて,卵をボールやフライパンの中に注ぎ込むといった後の仕事もしなければなりません。卵を目玉焼きにするのであれば,両面焼きにするなり片面焼きにするなり奥様のお好み通りのものを作らなければなりません。この美食家の喜ぶ食べ物を奥様のお好みの皿に載せて,できればフライドポテトとバターを塗ったトーストとを添えて奥様の前に出さなければ,私たちの仕事は完ぺきなものとは言えません。このすべてがただの機械にできるでしょうか。私たちの知力を侮ってはなりません。私たちはロボットなのです。
こうして振り返ってみると,私たちは“オズの魔法使い”に出てくる,心を持たずに走り回るブリキ人間のようであることが分かります。ただ私たちには心ではなく,脳がないのです。ところが,科学技術の偉大な魔法使いが私たちを救い出してくれました。コンピューターの発達とコンピューターを構成する機器の小型化のおかげで,私たちには“頭脳”が与えられました。この頭脳は本物の頭脳を除けばどんなものにも引けを取りません。例えば,わずか10㌢四方のシリコン・ウエーファー(半導体基板)の上に,200のマイクロコンピューターのチップが載っており,その各々に毎秒800万ビットの情報を処理する能力があります。これが私たちの“脳みそ”であり,メモリーバンクなのです。お口に合うようなオムレツの作り方を教えてくだされば,私たちはそれを忘れません。オーストラリアの牧場経営者が羊の毛の刈り方を一度教えてくだされば,教えてくれた人と全く同じようにいつも優しく手ぎわよく刈れるものと期待していただいて結構です。
読者の皆さん,私たちの潜在的な力を知っただけでも皆さんの驚きはとどまることを知らず,心配にさえなってくるのではないでしょうか。前述のカレル・チャペックの戯曲の中で私のロボットの兄弟の一人が次のように述べています。「人間の権力は地に落ちた。新しい世界の始まりだ。ロボットの支配である」。私は今この記事を口述しながら,確信を持って,私たちが確かに誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,カチャ,……
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「コンピューターの発達とコンピューターを構成する機器の小型化のおかげで,私たちには頭脳が与えられました」
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「私は確信を持って,私たちが確かに誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,誤ることのない存在,カチャ,カチャ……」
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「225㌔の物を軽々と持ち上げることも,殻を壊さずに卵を持ち上げることもできます」