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目ざめよ! 1983
目83 1/8 9–13ページ

自然界すべてが調和するとき

自然界に見られる意図的造りには理知ある設計者が必要とされる,ということを示す証拠があり余るほどあるのに,多くの人は神の存在を信じません。愛ある創造者は,暴力や殺りくや悪が地上にこれほど広まることを意図しておられたはずがないと考えます。

では,神が暴力や殺りくを意図しておられなかったとしたらどうでしょうか。人間の間に見られるはなはだしい悪の責任が神になかったとしたらどうでしょうか。それどころか,神がこうした事柄を嫌悪しておられ,ご予定の時にそうした事柄を完全に終わらせることを約束しておられるならどうでしょうか。

責任はだれにあるのか

ある会社は野菜を切るための包丁を製造するかもしれません。ある人がその包丁を使って別の人を殺したとしたら,その責任はだれにありますか。罪ありとされるのは包丁の製造業者ですか。いいえ,罪があるのは包丁を誤用したその人です。

人間の手は非常に多くの建設的な仕事をするためにすばらしい仕方で用いられています。家を建て,木を植え,針を手に取り,赤子を優しく抱くのは人間の手です。では,ある人が別の人の首を締めるのに自分の手を用いるなら,その手の造りがよくなかったとして非難できるでしょうか。いいえ,悪いのは設計者ではなく,所有者です。

ある人が美しい家を建て,それを任された借家人がその家を破壊するなら,悪いのはだれでしょうか。その犯罪の責任は建築した人にありますか。いいえ,その悪行の責任は破壊者にあります。そして,借家人が非行を犯したというだけの理由で,建築者が存在したことを否定したりはしないはずです。

潔白な側を非難するのは道理に反し,公正なことでもありません。神が良い目的のために設計された肢体や器官が現在異なった仕方で用いられているからといって,そうした肢体や器官に罪ありとするのは道理にかなったことではありません。

聖書の中には,地上の人間と動物に対する神の目的および人間や動物が今日混とんとした状態に置かれている理由を説明する,はっきりした記録が収められています。さらにその記録は,自然界全体が間もなく完全な平和と調和に至ることについて述べています。

そのような造りにはなっていない

創造された人間や動物は常に現在のような仕方で行動してきたのでしょうか。それらの被造物は常に他を傷付け,障害を負わせ,殺害してきましたか。そうするように造られていたのでしょうか。

こうした質問に対する答えは,いいえ,決してそうではありません! というものです。

実のところ,神はこの現在の体制の支配者でもあられるのでしょうか。他の国民に対する諸国民の行動を神は導いておられるのでしょうか。こうした質問に対する答えもやはり,いいえ,決してそうではありません! というものです。

では,ずっと昔はどうだったのでしょうか。どうして物事は現在のような状態になっているのですか。実際には,一体だれがこの世を支配しているのでしょうか。また,神は一体どのようにして自然界全体に完全な平和と調和をもたらされるのでしょうか。

昔の状態

神が人間と動物をこの地上に生きるように造られた時,そうした人間や動物がほかのものを殺すことを意図されませんでした。動物も人間も互いに平和な関係を持つよう造られました。ですから,事態は今日の状況とは全く異なっていました。記録はこう述べています。「神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,それは非常に良かった」― 創世記 1:31。

被造物である人間は,「海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物」を愛をもって服従させることになっていました。(28節)エデンの園にいた動物たちはいずれも殺りく行為を行ないませんでした。そうした動物は人間にとって脅威となる存在ではありませんでしたし,人間もほかの動物にとって脅威とはなっていませんでした。

神の言葉聖書は最初の人間たちに関してはっきりとこう述べています。「わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように」。(創世記 1:29)ですから,人間は動物を食用に供してはいませんでした。

動物は何を食べていたのでしょうか。霊感を受けた記録はこう述べています。「地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。あるいは,「今日の英語聖書」の翻訳によれば次のとおりです。「すべての野生動物とすべての鳥のために,わたしは草と葉の茂った植物とを食物として与えた」― 創世記 1:30。

このように神は人間の造りをお定めになったとき,エデンと呼ばれる平和な楽園に人間を置かれました。神は人間が動物と平和に暮らし,動物や人間の間に食物をめぐる暴力行為や殺りくが起きないようにお造りになりました。そして人間は,自分たちや動物,それに庭園のような楽園の世話をしてその状態を保ち,やがて全地に広まって自分たち,また自分たちの子孫で地を覆うことになっていました。―創世記 1:27,28。

かぎ

人間はどのようにしてこの平和な楽園の状態を保ち,与えられた見込み通りに地球で永遠に生きられるのでしょうか。神の律法に従うことによります。それがかぎです。それはどうしてそれほど大切なのでしょうか。神は,人間が自分たちの造り主から独立してもなおうまく生きていけるような造りに人間を創造されなかったからです。聖書ははっきりとこう述べています。『地の人の道はその人に属していません。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません』― エレミヤ 10:23。

人類の諸問題の発端は,わたしたちの最初の親が自らの自由な道徳能力を誤用したことにありました。二人は反逆した霊の被造物にたぶらかされて,神の助けなしに自分たちで正邪を判断できると信じ込まされました。そして神から独立することを選んだのです。しかし,それは設計者の責任ではありません。「そのみ業は完全,そのすべての道は公正である。忠実の神,不正なところは少しもない。義であり,廉直であられる」と,聖書は述べています。反逆の結果に対する責任は反逆者たちにあります。「彼らは自ら滅びとなることを行なった。彼らはその子供ではない。その欠陥は彼ら自らのもの」― 申命記 32:4,5。創世記 2:15-3:24。

人間が独立を望んだので,神はそれを人間にお与えになりました。しかし,もはや完全な状態に人間をとどめておくことはされません。そのため,不完全さと死がもたらされました。(ローマ 5:12)そして神は,独立の道が人類に,また動物や地球にどれほどの損害を与えるかをすべての者が知るよう,こうした状態を一定の期間お許しになったのです。神はこれまで幾千年にもわたって,反逆の悲しい結果がこれを最後に明らかになるようにするため,こうした事態を許してこられました。

このように,人間は神とその律法から独立したために,不完全と暴力と死の道へ向かうようになったのです。また,人間が不法へと向かうにしたがって,地上の被造物の間にもやはり混とんとした状態が生じるようになりました。人間は愛のある仕方で動物を支配することができなくなりました。人間が自分たちの間の平和を保つことができないのですから,動物が同じような状態に陥ったとしても何ら驚くことはありません。

人間が最初菜食だったように,エデンでは草食だった動物も,別の動物を食べて生きるようになり,できる時には人間を食べる動物まで現われました。(創世記 1:30)そして,人間が生き延びて行くための譲歩として,大洪水後人間には動物の肉を食用に供する権限が与えられました。―創世記 9:2-4。

殺すための造りではない

では,動物や人間の体の特徴で,傷つけたり殺したりするために用いられているものはどうなのでしょうか。神は創造に際して実に多種多様な特徴をお与えになったので,その多くは新たな状況に適応して生存していくのに役立つように用いることが可能でした。

例えば,ほとんどの動物は,今日に至るまでそうであるように,草食のままにとどまりました。その一例は恐ろしいきばを持ったゴリラです。そのきばは今でも大きな植物を引き裂いて食べるのに用いられています。しかし,肉食へと自らを適応させていった動物もいました。それでも,捕食動物は動物全体の中ではごくわずかの割合しか占めていません。

人間もやはり適応しました。不完全でわがままなゆえに,人間は傷つけたり殺したりするためにしばしば自分たちの頭脳と手を用います。人間はほかの人間を食用に供して,人食いまでしました。また,肉はエデンでの人間の食物に含まれていなかったとはいえ,人間の歯は肉食に適応することが可能です。

しかし,“自然の平衡”はどうなるのでしょうか。殺し合いがなければ,どのようにしてこの平衡が保たれるのでしょうか。一つの点として,地上で永遠に生きることになっていたのは人間でした。動物にはそのような約束が与えられていませんでした。動物はその寿命が終われば死ぬことになっていました。

また,多くの動物にはその数が多くなりすぎると自分たちの生殖を減らす生来のメカニズムが備わっています。しかも,神が直接関与しておられない今でさえそうなのです。確かに,全地が平和なエデンのような状態に戻される神のご予定の時が来れば,動物と人間の偉大な設計者にとって,暴力行為なしにその数を抑制するのはわけのないことです。

神が凶暴な動物を服させる力を持っておられることを示す例は,ノアの箱舟の中で約1年にわたり獣や人間の間に平和が存在したことに見られます。

今日存在している物事はエデンの楽園での様子とは異なることを念頭に置いておかなければなりません。その環境は大いに異なっていました。食べ物の多くも異なっていたことでしょう。がんじょうな歯を持つ動物はきっと食べにくい物を常食としていたのでしょう。その歯はそうした食べ物に合った造りになっていました。

なるほど,エデンでの正確な状況について現在答えることのできない質問もありますが,それは設計者が存在しなかったという論議にはなりません。

だれがこの世を支配しているか

では,バートランド・ラッセルの挙げたような論争点,すなわち全知全能の存在者であればこの世界をこれほどひどい事態に陥れることはなかったはずだという点についてはどうでしょうか。ほかの人々同様ラッセルは,神が存在するなら,この世界の有様の責任は神にあると想定しました。

しかし,創造者であられるエホバ神はこの世の支配者ではありません。この現在の事物の体制を支配しているのは神から独立した人間であり,目に見えない霊的な反逆者であるサタン悪魔がその体制を背後で操っています。聖書はサタンのことを,「この事物の体制の神」と呼んでいます。(コリント第二 4:4)イエスはサタンを,「この世の支配者」と呼ばれました。(ヨハネ 12:31; 14:30; 16:11)サタンはイエスを神に反逆させようとして,諸国民を監督する権威を提供しました。―ルカ 4:5-8。

ですから,人間の引き起こすあらゆる困難と暴力行為の責任は,反逆的な人間と邪悪な霊の勢力にあります。神に責任はありません。

回復

聖書は,「すべての事柄の回復」について述べています。(使徒 3:21)これは,神からの独立という惨めな実験が間もなく終わりに至ることを紛れもなく示しています。天の場所の邪悪な霊の勢力と地上の反逆的な人間が共に一掃され,「新しい天と新しい地」のために道が開かれます。「そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:13。箴言 2:21,22; 啓示 19:11-21もご覧ください。

次いで,エデンのような状態,つまり楽園が回復されはじめます。(ルカ 23:43)それは人間と動物の間の平和と調和が回復されることを意味しています。もはや互いの肉を食用に供することはありません。聖書はイザヤ書 11章6-9節で次のように述べています。「おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。また,雌牛と熊も食べ,その若子らは共に伏す。そしてライオンでさえ,雄牛のようにわらを食べる。そして乳飲み子は必ずコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子は毒へびの光り穴の上にその手を実際に置くであろう。それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない」。

人間の領域では,全面的な平和がやはり実現します。「神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる。神は弓を折り,槍を断ち切り,もろもろの[戦争のための]車を火で焼かれる」― 詩編 46:9。

ですから,間もなく来ようとしている偉大な設計者の新秩序について,霊感による聖書預言が次のように述べていることにはもっともな理由があるのです。「柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう」― 詩編 37:11。マタイ 5:5。

反逆の結果はこのようにしてぬぐい去られはしますが,わたしたちの最初の親であるアダムとエバが神に反逆したという考えに首をかしげる人もいます。そうした人々はアダムとエバを神話的な人物とみなすよう教えられてきました。では,アダムとエバが本当に存在したとの確信を抱くことができるでしょうか。

[10ページの拡大文]

ある人がほかの人を傷つけるのに自分の手を用いたとしたなら,罪ありとされるのはだれだろうか。―手の造り主か,それともその手を使った本人だろうか

[11ページの拡大文]

人間が不法へと向かうに従って,地上の被造物の間にもやはり混とんとした状態が生じるようになった

[11ページの図版]

ゴリラの恐ろしい歯は肉ではなく植物を食べるために用いられる

[12ページの図版]

アダムとエバはエデンで動物と共に平和に暮らしていた ― すべてのものに対する食物とされた植物で満足していた

神は楽園とされる地球にエデンのような状態を間もなく回復される

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