読者の声
内気
「どうしてこんなに内気なのだろうか」という記事を読み終えたところです。(1983年1月22日号)『内気というのは,自分が他の人々と異なっているとか,変わっているとか,他の人々よりも劣っているという考えや信念が行動になって表われているものにすぎない』とこの記事には書かれています。私が小男であるということは,私の想像でもなんでもなく,全くの事実です。私は12歳のほとんどどの子供よりも背が低いのです。その子供たちは私の背が低いことを遠慮なく口にします。何人かの男性のグループと話す時には,木立ちの中に立っているような感じです。ほとんどの女性は私の頭上高くそびえ立っています。背が低くてもそのようなことを気に懸けない人たちがいることは事実です。だからといって,内気が想像の産物であるということにはなりません。皆が皆同じ強さを持っているわけではないのです。内気は想像から生まれるだけでなく,実際の状態からも生まれ得るということが,どうして分からないのですか。
M・W 米国アリゾナ州
わたしたちは内気が想像上の原因のみによると言うつもりはありませんでした。この記事の言いたいところは,内気になる原因を正しく理解すれば,問題をより良く克服できるということです。それに,内気とは,ある状況に対する振舞いもしくは反応を主に表わすものであって,状態もしくは境遇を表わす言葉ではありません。わたしたちは,原因が何であろうと,過度に内気な人たちを本当にお気の毒に思っています。そして,もしほかの人たちがその問題を正しく理解してあげるなら,内気な人がずっと楽になるということも認めています。しかし,すべての人がこの理解を持っているわけでないことは明らかです。ですから内気な人自身が内部から生ずる問題を克服するよう自分にできることをすることに努め,神の言葉から得られる良い助言から益を得るようにしなければなりません。1982年11月8日号(日本語版1983年2月8日号)に掲載されている「どうすれば内気でなくなるだろうか」という記事にはこの点に関する良い助言が載っています。―編集者。
内気についての記事に心から感謝します。(1983年1月22日号および1983年2月8日号)これらの記事は,内気をある程度克服するために自分にできることを知るのにどれほど助けになったか分かりません。
J・J 米国ニューヨーク州
出産
「出産 ― その苦痛は軽くできないものですか」(1980年12月22日号)という記事に感謝したいと思います。昨年私は二人目の娘をたいした痛みもなく出産しました。それも一つには,予定日前の三,四か月間あの記事を繰り返し読んだためだと確信しています。子供を産めるのはこれが最後だと思ったので,お産の時決して取り乱すまいと心に決めていたのです。
L・M カナダ
泣きやまない子供
「ジョニー,お願いだから泣かないで!」(1982年12月8日号)という記事には,そのような子供の親たちがどれほどの疲労と失意を経験するかがよく表われています。赤ちゃんをあやすための提案は効き目があります。子供を愛し子供に注意を払う必要には際限がないように思えますが,私たちはそれをすることによって報いを得ました。現在は,すぐに反応を示すかわいい子供と共に毎日を楽しく送っています。大変役立つ,そして励ましになる情報を提供してくださることを感謝しています。
D・W カナダ