あなたは読書を楽しんでいますか
もし読書が嫌いなら……これはあなたのための記事です
あなたは本当に読書が好きですか。読書は嫌い,という人は少なくありません。そういう人は,読書をいやな仕事と考え,他の人々がたくさんのものを読む理由を理解できません。
私もそういう人間でした。読むのが遅かったのですぐに関心を失ってしまいました。読むことが嫌いですから,余りたくさんのものを読みませんでした。たくさん読まなかったので,読書が上達するために必要な練習もできませんでした。
もちろん,学校を卒業するためにどうしても必要なものは読みましたし,点数も平均より上だったのですが,読書は面白くありませんでした。今でもよく覚えています。章のおしまいまであと何ページあるかを数えて,あとどれ位たてば庭に出て遊べるかと考えました。「2ページ半もある。これでは絶対に外で遊べない!」などと考えたものです。
妻はこのことを理解できません。妻はこう言います。「母は熱心に本を読んでくれたの。聖書だけではなくて,わたしの年齢に合ったものなら何でも読んでくれたわ。それからわたしを図書館に連れて行って,本を調べたり読んだりすることの楽しさを初めて体験させてくれたの」。
妻の場合は初めがよかったので,その読書量は大したものです。練習をしたおかげで,妻は楽々と,上手に読むことができます。ある人から,速読についての幾つかの原則を教えてもらったそうです。妻は私とは違い,本のページ数がもっと多ければいいと思っています。ページがもっと多ければ,それだけ楽しい時間が増えるというわけです。
多くの人は,楽しむと言えるほどに,楽々と,また速く読む方法を学んできたわけではありません。いろいろな本の中に書かれている事柄を知りたいという強い願いに動かされ,苦労らしい苦労をせずに楽々と読書ができるようにとたくさんの本を読み始めたのは,私が25歳くらいの時でした。
読書をすると何とすばらしい事柄が学べるのでしょう! わたしたちが会える人のことを考えてみてください。イスラエル国民に対するモーセの話が聞けるとしたら,また古代のソロモン王の知恵が聞けるとしたら,あなたは何を進んで行なったでしょうか。彼らは何千年も前に死にましたが,書物を書き記したので,あたかも今日話しているのを聞いているかのように,彼らの言葉を読むことができるのです。
イエスを個人的に知っている人の話が聞けるとしたら,あなたはどれほど遠くまで喜んで出掛けますか。ほぼ2,000年前,老齢の使徒ヨハネがイエス・キリストの親しい仲間としての自分の経験を座って書き記しているところを想像してください。そして,ヨハネが書き記したものを自分が読めるということを思い起こすのです。ヨハネの名が付された聖書の書の中に,その記録があります。
家族の方たちが読書から得られるすばらしい祝福をご存じなら,あなたにも上手に読むことを勧められたことでしょう。そして,神はわたしたちが神のみ言葉を読みまた使うことができるように,それを書き記させたという点も忘れてはなりません。
読書が難しい人の場合,簡単なものから始めることを恥ずかしく思ってはなりません。よく読めるようになるととてもうれしいものです。この雑誌を発行している協会が出している,「わたしの聖書物語の本」,「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」,「あなたの家族生活を幸福なものにする」,「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」などの本は,重要ながら読みやすい資料を提供しています。この雑誌に度々掲載される個人的な経験についても同じことが言えます。
進歩するにつれて,難しいものを読むことが段々楽しくなるでしょう。読むことは,話すことや書くことと同じように神からの賜物であることが分かってきます。読むことが教育と喜びを与え,永遠の命に至る道を歩むための助けとなることにお気付きになるでしょう。読書力というすばらしい賜物を培うことにより,何と大きな喜びを得ることができるのでしょう!―寄稿。