生まれてきた子は障害児でした
待ち遠しくてたまりません! 初めての子供がこれから生まれるのです。その日の私は,メスを手にしたいつもの姿ではなく,人生のこの重大事件を記録に収めようとカメラを手にして病院で待ち構えていました。小さな頭がゆっくり姿を現わし始めたのを見て,胸は高鳴りました。私の息子,私の跡取りです! ところが何ということでしょう! その子はだれの目にもはっきりと分かる障害児だったのです。みつくちで,後になって分かったことですが,完全な口蓋裂という障害も負っていました。私はただぼう然として,落胆の余り震え出してしまいました。同じようなショックを与えないようにするため,妻にはすぐに鎮静剤が与えられました。部屋を出ようとしたとき,涙があふれました。
それから病院の新生児室へ行き,幻滅の悲哀に涙を流しました。なぜ私たちがこんな目に遭うのでしょうか。初めての子供なのです。どうしてこんなことが私たちの身に降り懸かったのでしょうか。愛する妻イザウラは,そのことを知ってどんな反応を示すでしょうか。少したってから私は平静さを取りもどし,頭の中を整理し始めました。
聖書の教えによれば,人間は皆不完全で,弱さ,病気,欠陥を免れ得ないことを思い出しました。私たちの子供が障害を負って生まれたのは,その親である私たちが不完全だからです。私たちの遺伝子の構造や環境に何かの異常があって,こうした欠陥が生じたのです。親の方としても,先祖から,もとはと言えば最初の親であるアダムとエバから不完全さを受け継いだのです。自分にとっては大きな失望をもたらすものとなったこの事態に関して神を非難せずに済んだので,私は本当にほっとしました。―詩編 51:5。ローマ 5:12。
外科医である私にとって,この障害の原因について医学は何を示しているかと考えるのはごく当然のことでした。これがその原因だとして一つだけの要素を取り出すことはできません。ストレス,抗生物質や避妊薬などの薬の服用,環境汚染,遺伝的な特質などが考え得る要素として挙げられます。
挑戦にどのように立ち向かうか
私たちの場合に原因がどこにあろうと,主要な問題は,どのようにこの挑戦に立ち向かえるかということでした。医学部の学生仲間で,やはり口蓋裂とみつくちという障害を負って生まれ,後に手術を受けたという人の話を思い出しました。しかし,その人は自分を理解してもらうために大変な幼年時代を過ごしたのです。そして特に,他の人々から意地の悪い言葉を浴びせられたり,自分のまねをされたりしたためにその人が直面しなければならなかった心理的な問題のことを考えました。そのような経験にしっかり耐えられるよう息子を備えさせることができるでしょうか。それ以上にそのとき差し迫っていた問題は,どのように話せば妻に与える心の打撃を最小限に食い止めることができるかということでした。一度試みてみましたが,涙をこらえ切れなくなって部屋を出てしまいました。
イザウラは子供の顔を見たくてたまらず,二日目に,「赤ちゃんはどこか具合が悪いの? 顔が見たいわ」と私に頼みました。ベッド際での医師としての職業的なマナーをかなぐり捨て,私は涙ながらに事情を話しました。「それだけ?」と妻は驚いたように答えました。「大切なことはあの子が生きているということよ。死産だったらとても悲しいけれど,あの子はわたしたちの子供だし,生きているわ。ぜひともあの子の世話をしたいわ」。
妻がこのように冷静な反応を示すとは思いもよらなかったので,私は以前の自分の反応を恥ずかしく思いました。妻がとても優しく子供を抱くのを見たときにはなおさらそう感じました。後で妻によくよく聞いてみると,妻はこう答えました。「もちろん子供に問題があったことは分かっていたわ。脊髄だけの局部麻酔だったでしょう。だから電球に映る様子を見ていたの。息子に欠陥があることは分かったけれど,どれほど深刻なものかは分からなかったわ。一番恐れていたのは死産の可能性だったから,子供の産声を聞いたときにはとてもうれしかったの」。私の心配はすべて不要だったのです。
私たちは子供を育てるときに直面するであろう様々な問題を理解するようになりました。口蓋裂のあるどの赤ちゃんも同じですが,母乳を与えたり乳を吸わせたりすることはできませんでした。まずイザウラの乳をとってから,それを小さなスプーンで子供に注意深く与えねばなりませんでした。
治療が始まる
私は1度だけ,口蓋裂のある子供の出産に立ち会ったことがありますが,それを除くと,この問題については何一つ経験していませんでした。それで特に治療法を扱った本を読み始めました。この研究をしていて知り合った一人の形成外科医は,ブラジルのサンパウロ州バウルにある,国営の唇–口蓋障害研究・リハビリテーション病院を私に紹介してくれました。その病院はオ・セントリニョ(小センター)という愛称で呼ばれていました。そこで私たちは次のように言われました。『喜んで治療に当たらせていただきますが,お子さんが3か月を過ぎてからでなければ無理です』。その間は,私たちがそれまで行なってきたように子供に栄養分を取らせるため最善を尽くさねばならないということでした。確かな目標に向かっているのかどうかもよく分からぬまま,私たちはわずかな失望感を抱いて車で家に戻りました。
3か月が過ぎ,私たちはついに,決められていたその日の早くに車でバウルに向かいました。その日にそこで聞かされた事柄は驚きでもあり,同時に希望を与えるものでもありました。息子はその日にすぐ手術を受けることになり,私たちは待っている間関係している事柄を知らされることになりました。最初の唇の手術は始まりに過ぎず,息子の治療には数年をかける心積もりでいなければいけないということが分かりました。形成外科医だけではなく,治療の様々な段階で他の専門家たちも加わることになります。例えば,小児科医,耳鼻咽喉の専門家,歯科矯正術の専門家,言語障害の専門家そして心理学者などです。「子供の治療にはそのような人すべてが必要なんですか。それほど重症なんですか」と私たちは尋ねました。「ええ,恐らくお子さんにはそうした専門家すべての助けが必要でしょう」という答えでした。
小児科医が子供に手術を受ける備えをさせてくれた後,今度は外科医が唇の手術を行ない,その約18か月後に息子の口蓋を治療するための手術を行なうのです。口蓋裂のある子供たちは,ほぼ例外なくのどと耳に障害があり,そのためにそうした分野での専門家たちの手当てが必要となることも分かりました。大体どの口蓋裂の症例を見ても,子供の歯の生え方が曲がっていたり不ぞろいだったりするので,乳歯だけではなく永久歯を診てもらうために歯科矯正術の専門家も関係してくるのです。みつくちや口蓋裂のある人々は言葉をはっきり話すことが困難であるため,言語障害を克服するための特別な訓練が必要になります。最後に,心理学者が患者とその両親に付いて,子供が学校や遊び場で他の子供たちと接触するようになるにつれて生ずる様々な問題に対する備えをさせます。
セントリニョで最初の日に行なわれた約8時間にわたる話し合いと面接により,私たちはこれからの問題をよく理解するようになりました。スライドを見せていただいて,忍耐強くあることの必要性を銘記させられました。治療期間中の私たちの態度と努力に多くがかかっているからです。私が最初に示した消極的な反応は,こうした状況にある親にはごく普通に見られることが分かりました。実際,私の反応は別の幾人かの人と比べると程度が軽い方でした。『こんな子が生まれるなんて,何ていまいましい』とか,『この子がこんな姿で生まれてきたのはわたしたちを罰するためだ』などと言って,親が子供に対して実際に拒否反応を示すことも珍しくありません。ある親などは,子供を病院に置き去りにし,子供のことはもう忘れたいと思ったりします。こうした消極的な考えと対照的なのは,子供に対する真の愛と,何でも子供の福祉のためにできることを行ないたいという純粋な願いです。
食事が問題
手術のおかげで息子の顔の様子は非常によくなり,時たつうちに傷跡もほとんど目立たなくなりました。しかしほかの問題が残っていました。口には口蓋がないので,液体を飲み込むことはまさに大仕事でした。物を吸うことができず,食物を子供に与え過ぎると,すぐに鼻から出してしまいます。窒息しないように絶えず注意を払わなければなりませんでした。状態を調べるためにセントリニョに毎週通院することがどうしても必要でした。しかし時がたつにつれ,子供に食物を与えたり子供の世話をしたりすることがだんだん上手になりました。うれしいことに,最初から言われていた事柄を私たちは確信できるようになりました。つまり息子の欠陥は,知能の働きには影響を及ぼさないということです。子供が,他のすべての面では正常な,活動的で元気な子に成長していくのを見るのは本当に大きな喜びでした。
セントリニョで与えられた助言には本当に感謝しました。みつくちの子供を初めて見た他の人の反応に対処する助けになったからです。この息子のアドネルが生まれて間もなく開かれた宗教的な大会に出席したある時のことを思い出します。友人の一人が,「まあかわいそうに! 余り長くはもたないわね」と言いました。幸いなことに,事実を説明することができました。息子の欠陥を隠そうとはしませんでしたし,息子を甘やかさないようにしてきました。むしろ私たちは,ほかの子供たちを育てるのと同じようにしてこの子を育てるようにしました。
その後の数か月間,私たちは一つの決定をしなければなりませんでした。もう一人子供をもうける方が良いのではないかと考えました。特殊な治療が必要な子供を独りっ子として育てると,子供をだめにしてしまうおそれがあります。しかし,2番目の子も障害児となる危険があるのに,その危険を冒すべきでしょうか。私たちはあえてその危険を冒すことにし,アドネルが口蓋の手術をいよいよ受けるころには,イザウラが2番目の子を身ごもってからだいぶたっていました。
口蓋の手術は唇の手術よりも難しく,長い時間がかかりました。息子が病院から退院できるまでは顔を見ることができなかったので,私たちの心配もひとしおでした。しかし,その手術も成功したということを知らされたときには,言い知れぬ喜びを味わいました。今では唇も口蓋も治療が済み,息子はやっと何の苦もなく食事ができるようになりました。大きな障害をもう一つ乗り越えたのです。次の障害物は,息子に正しく話すことを教えるということでした。
はっきり話すことを学ぶ
唇と口蓋の手術は,当然この点に関する息子の能力に影響を与えました。その問題を理解するために,話すことには一体どんな事柄が関係しているのか少し考えてみましょう。母音(a,e,i,o,u)を発音するときの口の動きをよく観察してください。口や唇をごくわずか動かすだけで母音を発音できることが分かるでしょう。母音は主に,のどから出た空気が何の妨げも受けずに口から出てゆくときに形成されます。しかし今度は子音(b,c,d,fなど)を発音してみてください。これらの子音を発音しようとするときには,唇や舌やのどをより大きく動かさなければならないことに注目してください。この動きを妨げるものが何かあると,音を出しにくくなります。これで,唇と口蓋の手術を受けた子供がどんな問題に直面するか,お分かりになるでしょう。
口蓋裂のある人が話すとき,ひどい鼻声になることにお気づきかも知れません。それは,口蓋がないために,のどの奥にある声帯を通る空気が,どうしても,明らかに鼻声と分かるような仕方で抜けていってしまうのです。口蓋の手術の目的は,その口蓋の裂け目を閉じることですが,これは非常に細心の注意を要する手術です。息子の場合,手術が成功したためにほとんど鼻にかからずに話ができるようになりましたが,それでもはっきり話すためにセントリニョで数か月間特別な訓練を受けなければなりませんでした。自分が正確に話せなかった場合に息子が自分でそれを悟り,自分で矯正しているように見受けられることがありました。息子の進歩は大きな喜びでした。5歳の時に,はっきり話ができるようになり,病院通いは約1年間中断されることになりました。
次の治療の段階は,永久歯が生えはじめる時にそれを矯正することです。みつくちと口蓋裂のある子供たちは一般にそうですが,乳歯も永久歯も,数や形や大きさがきちんとしていなかったり,おかしな場所に生えてきたりすることがあります。全く生えてこない歯もあります。治療法としては,曲がった歯を真っすぐにするために歯列矯正器を取り付けたり,多くの場合は欠けている歯の代用をする補綴物を入れたりします。アドネルがこの治療を受けるときには,何も問題は生じないと思います。
苦労するだけの価値があったか
これは,ある人々から尋ねられた質問です。この5年間というもの,確かに私たちは心配で胸を痛めたことが何度もありました。特にイザウラにとって,セントリニョに毎週通うことは一つの試練でした。また,息子の手術が終わって回復途上にあったときには,眠れぬ夜が幾晩もありました。しかし唇と口が急速に治癒するのを見,息子の話し方がだんだん改善されていくのを聞いて,私たちは詩編作者の述べた『わたしたちは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られている』という考えをただ復唱するだけでした。(詩編 139:14)さらに,この子が自分用の「わたしの聖書物語の本」を使って弟(幸いにも,何の問題もなく生まれた)を教えている様子を聴いていると,私たちが正しいことを行なったかどうかについて何の疑念も残りません。
セントリニョの医師団の皆さんには,息子にしてくださったことに対し,また口蓋裂とみつくちという障害を負った人々のために行ない続けておられることに対し,感謝の念を覚えます。なかんずく,私たちは,私たちのすばらしい体の偉大な創造者に感謝しています。創造者は,病気も身体的な欠陥もない状態で新秩序で生きるというすばらしい希望を与えてくださっているのです。次の聖句に用いられている表現は,他の聖句とあいまって,特に私たちの心を希望で満たしてくれます。「その時,盲人の目は開かれ,耳の聞こえない者の耳も開けられる。その時,足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる」。(イザヤ 35:3-6)― 寄稿。
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「赤ちゃんはどこか具合が悪いの? 顔が見たいわ」