北極の氷上にすむ大きなクマ
わたしの姿は見えませんね。わたしがいる氷の山を,恐れた様子を少しも見せず真正面から眺めているあなたの様子ですぐにそれが分かるのです。あなたは景色に全く見とれていて逃げ出そうとする素振りさえ見せません。でも,もしわたしがここにいることが分かればそうはいかないでしょう。わたしは,疾走すると時速40㌔のスピードを出すことができるので,あなたが立っている所まで数秒で行けます。
この黒い鼻の前にあるわたしの足を動かしたら,きっとわたしの姿が見えるでしょうが,あなたを驚かせたくはありません。その上,今わたしは食事を済ませたばかりで,わたしたちクマが食後によくするように,くつろいでいたいのです。
その間に,少しわたし自身のことをお話ししてもよろしいですか。そうすれば,地球のこのあたりの風景の魅力も高まろうというものです。わたしは,この厳寒の地域の代表選手なので,「まさに北極の象徴」と呼ばれています。
家族についての説明
「わたしたちクマ」と言ってしまいましたから,もうお分かりでしょう,わたしはホッキョクグマです。ご承知のように,南の地方には色のもっと黒いわたしの親戚がいますが,わたしの属する科のあるもの ― ハイイログマやアメリカクロクマ ― は北極圏でも見られます。
わたしたちとほかのクマとの間には顕著な相違点があります。例えば,わたしたちの首と頭をほかのクマと比較してください。わたしたちの首のほうが長く,わたしたちの頭のほうが小さいことが分かるでしょう。それに,この科のほかの成員のように乾いた陸地にいるということは,ほとんどありません。わたしたちは海のクマなのです。(そういうわけで,科学者たちはわたしたちをUrsus maritimus[海の雄グマ,の意]と呼んでいるのかもしれません。)もう一つの相違点は,やむを得ないことですが,わたしたちの食物がほとんど例外なく何らかの動物の肉であることです。
ご承知のとおり,わたしたちは黄色がかった白い色をしています。そういうわけで,なかなかわたしが見つからなかったわけです。わたしは成獣としては平均的なほうで,体重が540㌔ほどあります。“大”おじさんの中には,体重約720㌔,体長約3.4㍍にもなるクマもいます。わたしたち雄の体長は平均約2.4㍍で,雌は比較的小型です。
わたしたちの住みか
わたしたち体の大きなホッキョクグマは,北半球のこの水の多い極地にいると本当に落ち着けます。なるほどわたしたちは南極にはすみませんが,ペンギンもここ北極圏まではやって来ません。国際的な旅行をする多くの動物と同じように,わたしたちも国境など完全に無視して北極地帯を歩き回ります。わたしたちの中には,ノバヤ・ゼムリャのようなソ連領で生まれ,スバールバル諸島のようなノルウェー領の島に旅する者がいるようです。冬期になると,ここカナダのわたしの家族の中のある者は,セントローレンス湾やガスペ半島といった南の遠い地方で発見されています。しかし夏期には,ずっと北の方にとどまります。わたしの親類にあたる一頭のクマは,米国の原子力潜水艦スケート号が数年前に北極点の近くに浮上したのを見て覚えています。
わたしたちがこのようにあちこち渡り歩くのはなぜでしょうか。それは食物を探すためです。ですから,わたしたちの旅は目的のない放浪ではありません。わたしたちは北極海の季節的な型に従っているのです。氷山の南限は季節によって異なります。
人間は長距離の水泳選手の技術に感嘆の声を上げるかもしれませんが,わたしたち海のクマの中には,陸地から60㌔以上離れた所で見つかった者もいるのです。どうしてそんなところに行けるのでしょうか。わたしたちの強い前足を動かし,その力で一つの浮氷塊から氷の海の別の浮氷塊へと移動するのです。前足を使って泳ぐこのスタイルはホッキョクグマ独特のものです。
わたしたちの生息環境に適応する
わたしの足をよくご覧ください。1本1本の足に見られる,毛で覆われた足裏の膨らみが,氷上の生活をするクマにとって理想的な摩擦装置となっています。もう一つ,食物を探す上で役立っているのは,わたしたちの優れた嗅覚です。わたしたちホッキョクグマは,3㌔以上遠くで人間が焼いている脂身のにおいをかぎ付けることでも知られてきました。それに,クマ全体の中でも最も優れた視力を持っています。この二つの感覚が相まって聴覚の欠陥を補っています。そしてわたしたちの目には,吹きつける雪から,またどこまでも続く白い世界に照る太陽のために目がくらんでしまうことからわたしたちを守る1枚の膜があることをご存じでしたか。サングラスは必要ではないのです。
わたしたちが水の中で落ち着いていられるのは,体脂肪と,密生した油性の体毛のために体が浮きやすくなり,海と陸のどちらにおいても厳しい寒さから守られているためです。わたしたちの体を覆っている毛でさえ,紫外線をわたしたちの皮膚の表面に伝達する効果を持つと言われています。このためにわたしたちはいつも温かくしていられます。
わたしたちの体に組み込まれている航海装置は,季節が変わる時に生ずる,食物供給の鎖の移動を追って行くわたしたちにとって,一つの祝福です。この航海装置の効果性は,カナダ北部にあるチャーチル岬のごみ捨て場から幾百キロも離れた所に連れて行かれたホッキョクグマが,間もなくわたしたちの所に帰って来たという事実に示されています。しかし,通常わたしたちは冬の間じゅう獲物を求めて狩りをします。
家族生活
交尾の時期は春か初夏で,わたしたちが3ないし4歳になった時に始まります。交尾の後,わたしたち雄は食物を求めて移動します。冬には雌たちが雪の穴の中に移動します。そうした穴の地域の中には200頭もの雌がいる所もありました。子供たちはだいたい12月か1月に2頭産まれますが,目が見えず,小さなウサギよりやや大きい程度です。これが,成長時には500㌔以上の重さになるこの動物の小さな始まりです。しかしわたしたちはすぐに大きくなります。
わたしは今でも穴の中の生活のことを思い出します。外界の要素からは保護され,母親の体脂肪と,入り道よりも高い所にある室内に閉じ込められた暖かい空気のおかげで体が温まるのです。これは授乳と成長の時です。母親が出す,独特の豊かな風味を持つ温かで濃厚なミルクの味を今でも思い出します。とてもおいしいミルクです。しかし,それも3月ごろまでしか続きません。それから母は雪の穴の屋根を打ち破り,わたしたちはよじ登って外界へ出ました。妹もわたしも本当に胸を躍らせました。その時までにわたしたちは約11㌔になっていました。
訓練が始まったのもその日のことでした。光に慣れてくるなり,わたしたちは母親と一緒にすぐに水の中に入り,泳ぎ始めました。これはわたしたちにとって自然なことでした。アラスカ・エスキモーの人々は適切にもわたしたちのことを,「海に下る者たち」という意味の,アー・ティク・トクと呼んできました。泳ぎに飽きると母さんのしっぽにただ捕まって引っ張ってもらいました。ほぼ2年間にわたり北極での生活の訓練を母から受け,それからわたしたちは独り立ちします。家を出て自分の家族を設ける準備ができたのです。
わたしたちホッキョクグマの住みかは非常に美しく,さまざまな形に刻まれた雪と氷,果てしなく続く海,入り組んだ海岸線などを楽しむことができます。しばしばわたしたちは,賛同の大きなうなり声で喜びを表現することがあります。この環境の中でわたしたちには30年余りの寿命があります。もっともわたしたちの中には,人間の動物園に連れて行かれて40年生きた者もいると聞いています。
さて,十分休息は取れたようです。わたしの話を楽しんでくださったのならうれしいのですが。北極のこれほど厳しい環境の中でも生物がすばらしく生き続けているということを知る助けになったものと思います。ですから動物園で次にホッキョクグマを見る時には,思い違いをしないでください。北極の氷上のクマの実生活ははるかに魅力的なものなのです。次に北極に探検に来られる時にまたお会いしましょう。
[18ページの図版]
「わたしの育児室はこの雪の穴でした」