読者の声
どうして成績のことを心配するのだろう?
「若い人は尋ねる……どうして成績のことを心配するのだろう?」(1984年6月22日号)という記事に,実際的で現実に即した助言を載せてくださってありがとうございました。私は自分の経験から,あの雑誌に書かれていた通りであることを知っています。私は学校で成績の一番良い部類に入っていました。それというのも,先生が話されるとき注意深く聴き,クラスの討論には活発に参加し,自由に質問をしたからだと思います。
R・V イタリア
「目ざめよ!」誌に載せられた成績に関する記事はとても役立ちました。試験の心配は少なくとも50%軽くなりました。学校の成績は悪くないので,本当に心配する理由はないのですが,以前は試験のことをひどく心配していました。
M・M ドイツ連邦共和国
恋愛小説
私はいま90冊の恋愛小説を処分しているところです。これは私にとっては大変思い切った処置です。「目ざめよ!」誌の「恋愛小説は無害な読み物だろうか」(1984年2月8日号)という記事を読んだので,恋愛小説の本を処分するのに必要な刺激が得られました。
E・R ブラジル
司教と核爆弾
「目ざめよ!」誌の「司教と核爆弾」(1984年6月22日号)という記事は,カトリックの司教や他の人々の立場と声明の出された時を問題にしています。歴史のこの時点における宗教と,地上の短い生涯におけるわたしたちの努力とは分裂の方向にではなく,一致の方向へ向けるのが最善だと思います。神の指示に合った方法で世俗の問題(つまり軍国主義)を扱うのは正当な行為であり,武器の量を考えれば,今は以前にも増してそれが必要です。しかし,同じキリスト教でありながら反カトリック的言論を弄し,批判し,しかも同じ神に仕えようとする態度では問題に対処できません。
J・T 米国カリフォルニア州
わたしたちは,カトリックとプロテスタントの宗教指導者たちが戦争反対の声を上げていることを批判してはいません。わたしたちはカトリックとプロテスタントの僧職者が,幾世紀にもわたり,剣や槍や銃,爆弾などによって行なわれた戦争を支持し,核爆弾の使用さえ最初のときには支持し,無数の人々にもたらされる悲しみや苦しみや死,また文化や文明の破壊などに当然の憂慮を示さなかった点は非難されてしかるべきだと思うのです。「今になって彼らがそういう立場を取るのは,ただ核の拡散が非常に広範囲に及んでいるため核戦争は彼ら自身の存在を脅かすからでしょうか。通常兵器による戦争がもたらす死や破壊は核戦争によるそれよりも幾分少ないので,通常兵器による戦争は受け入れてよいものでしょうか」と問うのは妥当だとわたしたちは思います。核物理学者のハロルド・M・アグニューの意見は,ここで繰り返して述べるに値すると思います。「彼らは,通常兵器による戦争は構わないが,核戦争はいけないという考えを受け入れているように思える点で,偽善者だと思う。核兵器の持つ力ゆえに,歴史上初めてのこととして,参戦の決定を下す人々が,それら年長者たちの決定を実行に移すために伝統的に送り出されてきた若い人々と同じほどの危険にさらされることになった。それで,教会をはじめほかのすべての意志決定者のぶどう酒貯蔵室や物質の富やその他の持ち物は,核戦争が起きたときにはもはや攻撃をまぬがれることはない。我々は皆運命を共にするのである」― 編集者。