若い人は尋ねる…
どうすれば成績を上げることができるだろうか
「理知的でよく努力する立派なお嬢さんです。申し分ありません」。ある少女の成績表の「教師の所見」の欄にはこのように書かれていました。その少女の優等の成績を一目見れば,先生の言葉に熱意のこもっている理由が分かります。その少女は,自分の成績表を家に持って帰るのを怖がらない十代の若者の一人でした。
成績は,それがすべてではないにしても,学校での進歩を示す有益な指標であることは確かです。a 十代の若者アイバンは,「僕は何かを学びたいと思っています。学校に行くのなら,教室に座ってただ時を過ごすというようなことはしたくありません」と言いましたが,あなたもきっと同感だと思います。(下線は本誌。)ではどうすれば学校に通う間恥ずかしくない成績を得ることができるでしょうか。
「賢くなり過ぎないようにしたかった」
あなたは学業に対してどんな態度を取りますか。良い成績を取ることを本当に恐れている生徒もいます。「私は落第点を取らない程度に質問に答えるようにしました。賢くなり過ぎないようにしたかったからです」と,ロスリン(13歳)は言いました。なぜでしょうか。「男の子たちがどう考えるかということが本当に心配だったのです。あまり多くの質問に答えていると,男の子たちは『……あの子は何でも知っている!』と言うに違いないからです」。別の若い人も同じように,「私も,ほかの人より上になろうとしていると考えられるのはいやでした」と話しました。
勉強がよくできるという評判があっても,人気投票の得票数は確かに多くはならないでしょう。事実,生徒間では,成績の優秀な生徒よりも運動選手のほうがはるかに尊敬されていることを調査は示しています。頭のいい生徒はほかの生徒の攻撃の的になることさえあります。生徒が能力別に組分けされている学校に通っているマイクは,「レベルの“低い”子供たちは宿題が全くありません。どうせやらないことを先生方は知っているのです。だからその子たちはレベルの“高い”組の僕たちを笑うのです。宿題がどっさり出るからです」と言います。
だからと言って勉強ができないようなふりをすべきでしょうか。そのようにすれば一部の生徒たちの間では人気が出るかもしれませんが,長い目で見た場合はどうでしょうか。あなたの能力が学業に反映しない場合,ご両親はどう感じられるでしょうか。並の成績では,就職など将来の機会が閉じられるかもしれません。ベストを尽くそうとするあなたの気持ちをくじく ― それどころかあざける ― 若者たちは,ねたみや不安を抱いていることを示しているのです。聖書によるとそのようなねたみは「動物的」で,「いとうべきもの」です。(ヤコブ 3:14-16)そういうねたみを抱く子供たちに気に入られるようにレベルを下げる必要がどうしてあるでしょうか。あなたに実力以下の成績を取らせようとする友達とは交際するだけの価値がないのではありませんか。聖書は,「賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う」と助言しています。(箴言 13:20)ですから,勉強をさせまいとする友達は避けるようにしましょう。「愚鈍な者」を喜ばせるよりも学ぶことのほうがはるかに重要です。
自分の目標を定める
しかし,良い成績を取りたいと思っている若者たちの場合でも,自分について消極的な考えを持っていることがしばしばあります。学校で良い成績を取るということになると,自分のことが「風に吹かれて揺れ動く海の波」のように心もとなく感じられます。(ヤコブ 1:6)教師のリンダ・ニールセンによると,そういう生徒たちは,「[学校の]成績がよくないことを,テストの問題が公平でないとか,先生に偏見があるとか,運が悪い,運命,天気など,自分には制御できない事柄のせいにする傾向があります」。落胆してあきらめてしまい,『勉強しても無駄だ,僕は天才ではない。どうせまた落第点だ』と言います。
しかし,良い点を取る秘けつは,「天才」でも「運」でもありません。ティーン誌は最近,成績の良い幾人かの高校生を対象に調査を行ないました。秘けつですか。「個人的な動機が努力を続けるのに役立ちます」と,一人の高校生は言いました。「予定表を組んでそれにしたがうこと,時間を計画すること」とか,「自分の目標を定めること」と言った高校生もいました。そうです,成績の良し悪しは大部分,あなたに制御できない要素にかかっているのではなく,あなたに ― 努力する気持ちがどれほどあるか ― にかかっています。
ですからあなたの能力に応じた成績の目標を立ててみてはどうでしょうか。(ご両親はあなたがどの程度の成績を取れるかについて,少なからず意見をお持ちであるに違いありません。)高校の教師であり著述家であるバーバラ・メイヤーは,「高校で生き残るための導き」の中で次のように書いています。「現実的な学習目標を立て,それを達成できると信じる生徒たちは,その目標が達成できたことに自分でも驚くに違いない」。
それでもし自分の成績が標準にまで達していないなら,先生や学校に責任を転嫁しないことです。ある著述家が述べているように,生徒たちが「しばしば失敗するのは,何の代償も払わずに何かを得ようとするため」です。聖書も,「怠惰な者は欲しがってはいるが,その魂は何も得ない」と述べています。(箴言 13:4)そうです,成績が下がる場合,その背後には怠惰という真犯人が潜んでいることがあります。対策ですか。昔風の勉強と勤勉な努力です。
『でも勉強はしているつもりです』
中にはこのように反論する若者もいるでしょう。自分はすでに猛勉強しているが,その成果が上がっていないと思い込んでいます。しかし,何年か前,研究者たちはある人種の子供たちが学校でいつも成績が悪いのに注目しました。多くの人は,『あの子たちは学校のことなどどうなってもよいと思っている』と考えて問題を取り上げませんでした。しかしそういう訳では決してありませんでした。ではなぜ成績が悪かったのでしょうか。カリフォルニア州にあるスタンフォード大学(米国)のセレスティノ・フェルナンデスと他の研究者たちはその点を調査することにしました。
770人ほどの生徒を調査の対象にして,学業にどれほどの努力を傾けていると自分で感じているかという質問を出しました。みんなが驚いたことに,その成績の悪い子たちは,ほかの人と同じように努力していると考えていました。ところが,その生徒たちの学習の習慣を調べてみたところ,その生徒たちが家で行なう勉強の量は,成績の良いクラスメートよりもはるかに少ないことが分かりました。そういう思い違いをしていた責任の少なくとも一部は先生方にあったようです。多分先生方は,成績の悪いその子供たちはもともとあまり能力がないのだ,と考えていたのでしょう。あるいは,他にぬきんでる気を起こさせるには温かい,親しみやすい態度で接するだけで十分だと考えたのかもしれません。いずれにせよ,先生方はその生徒たちの最小限の努力をほめちぎったようです。授業に出さえすれば及第点を与えるのが習慣になっていました。ですから子供たちはすでに自分にできる限りの努力をしたと感じていました。そのために少しも進歩しなかった訳です。
もしあなたの成績が悪いなら,自分が実際に行なっている勉強の量を同じように過大評価してはいないでしょうか。多くの場所で学力の標準が,完全になくなってはいないまでも,引き下げられました。何とかやっていけることを知っているので,若者たちは余り力を出そうとしません。ですから学校から得るところがほとんどありません。しかしあなたはレベルを落とすというこの泥沼に落ち込んではなりません。『一晩にいったい何時間予習をしているだろうか。真剣に勉強に取り組んでいるだろうか。わたしの努力はいい加減なものだろうか。テレビを見るといった,さして重要でない活動を優先させているだろうか』と自問してみましょう。
そのような自己吟味は,学習の習慣を徹底的に点検することにつながるでしょう。勉強する時間を増やすだけでも,成績に大きな影響の表われることがあります。「教育心理学ジャーナル」に発表されたある調査の内容について考えてみましょう。何千人かの高校生の勉強の習慣を分析した後,同誌は,「高校では家庭での学習にかける時間が増えると生徒の成績に良い効果がある」と結論しています。事実,「普通に学力が低いとされる生徒でも週に1ないし3時間学習をすれば,それをしない標準の学力の生徒と同程度の成績を得ることができる」とさえ考えられています。
使徒パウロは自分の目標を達成するのに比喩的な意味で『自分の体を打ちたたく』ことが必要でした。(コリント第一 9:27)あなたも同じように,自分に厳しくするという方針を決めて実行する必要があるかもしれません。勉強しているときにテレビなどに気を取られやすいようであれば特にそうです。エド・オリーブ博士は,「自分と契約を結びなさい。例えば,『毎日少なくとも1時間は絶対に勉強する』と自分に言い聞かせなさい」と勧めています。この「契約」に報い(『勉強が終わったら軽食を食べよう』)や罰(『勉強を怠ったら,この週末はテレビを見てはいけない』)をさえ設けることができます。「宿題が終わるまでテレビは見ない」という,思い出すのに役立つ標示をテレビに掛けることもよいでしょう。
態度,動機,そして自己訓練が良い成績を取るための良い出発点であることを忘れないようにしましょう。
[脚注]
a 「目ざめよ!」誌の1984年6月8日号,6月22日号の「成績はどれほど重要だろうか」,「どうして成績のことを心配するのだろう?」という記事をご覧ください。
[24ページの拡大文]
その成績の悪い生徒たちは,ほかの人と同じように努力していると考えていた。ところが,その生徒たちの学習の習慣を調べてみたところ,その生徒たちが家で行なう勉強の量は,成績の良いクラスメートよりもはるかに少ないことが分かった
[23ページの図版]
「宿題が終わるまでテレビは見ない」と自分に言い聞かせる。必要ならばテレビに標示を掛けておく