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  • 聖書 ― 欠けたところのない,完結したものですか
  • 目ざめよ! 1985
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目ざめよ! 1985
目85 12/8 16–19ページ

聖書 ― 欠けたところのない,完結したものですか

今から40年前の冬に上エジプトで生じた出来事です。アラブ人の一農夫が肥沃な土壌を求めて土を掘り返していたところ,その土壌の代わりに驚くべきものを発見しました。つるはしに固い物が当たったのです。それは粘土でできた一つの壺でした。その中には西暦2世紀の古さを持つ,皮表紙の本が13冊入っていました。しかし,1955年までこの考古学上の発見は大きな話題とはなりませんでした。そして今もなお,聖書を読む人たちの論争の種となっています。発見された本にはイエスの内密の言葉が収められていると言われているからです。

「これは,生けるイエスが語られ,ディダモス・ユダ・トマスが書き記した内密の言葉である」。そのエジプトの丘陵で発見されたグノーシス派の48の異なった宗教文書の一つである「トマスによる福音書」はそのように始まっています。ハーバード大学神学部のヘルムート・ケースターはこの本について注解し,トマスの福音書はイエスの教えを認識するための重要な新しい資料を提供するであろうと述べました。しかしそれは本当でしょうか。あなたの信仰にとって重要な内密の知恵が幾らか聖書から欠落しているのでしょうか。それとも聖書は完全にそろっているのでしょうか。こうした質問に直面した場合,どのように答えますか。

エホバの証人は,聖書は完全にそろっていると考えています。使徒パウロの記したテモテへの第二の手紙 3章16,17節はわたしたちの確信をよく言い表わしています。そこにはこう記されています。「聖書はすべて,神の霊感によるもので,人を教え,戒め,誤りを正し,正しさに導く教育をするために有益です。それによって,神の人は,あらゆる善い業を果たすことのできる,最適任者となるのです」― フランシスコ会聖書研究所訳。

エホバの証人は経験を通して,聖書には神の目的を述べたり,日ごとの生活に必要な諭しを与えたりする点で欠けたところがないことを教えられてきました。聖書は,わたしたちがなぜ存在し,どこへ行くのかを告げています。簡単に言えば,聖書は完全にそろっているのです。

聖書の正典 ― 完全にそろった目録

エホバの証人が,聖書から欠落している重要な書は1冊もないという確信を持てるのはなぜでしょうか。それは,「教え……るのに有益」な,霊感による著作は,しばしば正典<カノン>と呼ばれる一組の目録を有しているからです。(テモテ第二 3:16)当初「カノン」という語は,長さを測る物差しとして用いられた葦を指していました。聖書のカノンは,本物として受け入れられ,神の霊感を受け,信仰,教理,振る舞いを測るための直定規として用いるに足る一組の本を意味するようになりました。

ヘブライ語聖書(旧約聖書と呼ばれることが多い)の正式なリストは,西暦前5世紀の終わりまでに確定しました。イエス・キリストとその使徒たちは聖書から引用するとき,この目録にある本だけを用いました。ですから,エホバの証人はヘブライ語聖書に関してもこの同じ型に倣います。では,いわゆる新約聖書,つまりクリスチャン・ギリシャ語聖書についてはどうでしょうか。

クリスチャン・ギリシャ語聖書を構成する著作の,公認によるリストが作られ始めたことを示す証拠は早くも西暦90年ないし100年ごろから,積み重なっていきます。西暦2世紀の終わりにクリスチャン・ギリシャ語聖書の正典が完成したことに疑問の余地はありません。クリスチャン・ギリシャ語聖書の初期の顕著な目録は,西暦170年のムラトーリ断片から西暦397年のカルタゴ第三公会議まで,少なくとも16種類あります。それに加えて,原語(ギリシャ語)による聖書のこの部分の写本は,合計5,200を上回ります。これほどしっかりした裏づけのある古代文書はほかにありません。したがって,エホバの証人はクリスチャン・ギリシャ語聖書を完全にそろったものとみなします。a しかし,エホバの証人を得心させるためにはそれ以上の証拠が必要です。

エホバの証人がある文書を正典として受け入れる主要な理由となっているのは,人間が作ったリストに載せられているということではありません。証人たちは内面的な証拠を探し求めます。それは次のような点です。

□ 内容が,神の聖霊の霊感によることを証拠立てている。

□ 迷信,悪霊崇拝,被造物崇拝を非とする諭しがある。

□ 聖書の残りの部分とすべての点で一致している。

□ 音信は,人々をエホバの崇拝に向け,エホバの業と目的に対する深い敬意を促す。

□ 神を愛し,神に仕えるよう訴えている。

□ 神の「健全な言葉の型」と一致しており,イエス・キリストの教えと調和している。―テモテ第二 1:13。

グノーシス派の著作は聖書と矛盾する

エホバの証人はグノーシス派の著作にこうした証拠を全く見いだすことができません。神秘的なグノーシス主義は西暦の最初の2世紀に栄えたもので,内密の神聖な知識,つまりグノーシスを主張しました。そして,だれがイエスとその弟子たちの真の教えと著作を有しているかについて,真のクリスチャンに挑戦しました。グノーシス派の書物は,クリスチャンの信仰を強める適切な情報を明らかにしているでしょうか。そうではありません。

種々の百科事典と大半の聖書学者たちは,これらのグノーシス派の著作を外典(非正典)と見るだけではなく,偽典(誤って聖書筆者の作とされているもの)と見ています。「今日の心理学」誌の報告によれば,ローマ・カトリックの司祭であり,アリゾナ大学の社会学の教授であるアンドリュー・M・グリーリはこれらの書物についてこう述べました。「人生の重要性を否定することではなく,人生の諸問題の助けを宗教に求めた普通の人々にとって,それらの書物は魅力となり得なかった」。そして,グノーシス派の福音書を聖書の福音書と比較したグリーリはこう結論しました。「グノーシス派のイエスは,時々言うことが矛盾し,時々知性に欠け,少なからず気味悪くなることが時々ある」。

グノーシス派の福音書の教えと聖書の福音書の教えの間には大きな隔たりがあります。この隔たりは神,復活,救いに関するグノーシス派の教えと聖書の教えを比較してみれば特によく分かります。ところが,グノーシス主義と古代のギリシャ哲学・仏教・ヒンズー教の間には共通点が見られます。

グノーシス派の筆者が描くイエス像は,聖書筆者が描くものとは驚くほど異なっています。グノーシス派の「フィリポの福音書」は,マリア・マグダレネをイエスの友のうち最も親密な人として特色づけ,イエスは「[しばしば]彼女[の口]に口づけするのであった」と述べています。「グノーシス派の倫理は,神経症的乱交から極端な禁欲主義へと百八十度転換した」とブリタニカ百科事典(英文)が述べるのも不思議ではありません。

神の目的を述べる点で欠けたところはない

聖書の冒頭の章からその結びの章に至るまで,地球とその住民に対する神の目的ははっきりと啓示されています。地域的な楽園に住む二人の人に神が祝福をお与えになるところから記述は始まり,神が,全地球的な楽園に住む数えることができないほど多くの人を祝福するところで終わっています。またその間にある1,187の章は,神がどのように人類を祝福され,どのようにわたしたちが神の目的に自分を合わせることができるかが漸進的に啓示されています。聖書はそうしたことを啓示していますが,重要な情報が欠けていて他の文書で補うことが必要となるような部分は一つもありません。

『これまでのことはみなよく分かりました。しかし,聖書の助言は今現在の私の生活にとって完全にそろった,実際的なものなのでしょうか』と言う人がいるかもしれません。

必要な諭しを与える点で欠けたところはない

エホバの証人は聖書を,日ごとの生活に対する完全にそろった導きと見ています。人々が基本的に必要とするものは,今日も,聖書時代も同じです。聖書はどのようにそれらの必要を満たすのでしょうか。調べてみましょう。

家族 ―「妻たちよ,夫に服しなさい。それは主にあってふさわしいことだからです。夫たちよ,妻を愛しつづけなさい。妻に対して苦々しく怒ってはなりません。子供たちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです。父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」― コロサイ 3:18-21。

決定 ―「あなたは言葉の性急な人を見たか。彼よりも,愚鈍な者のほうにもっと望みがある」。「あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ,悪から遠ざかれ」。―箴言 29:20; 3:6,7。

憂うつ ―「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。

満足 ―「確かに,自ら足りて敬虔な専心を守ること,これは大きな利得の手段です。わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできないからです。ですから,命を支える物と身を覆う物とがあれば,わたしたちはそれで満足するのです」― テモテ第一 6:6-8。

友情 ―「互いに打ち砕こうとする友もいれば,兄弟より固く付く友人もいる」。「そして,互いに親切にし,優しい同情心を示し,神がキリストによって惜しみなく許してくださったように,あなた方も互いに惜しみなく許し合いなさい」。―箴言 18:24。エフェソス 4:32。

このように簡単に調べてみるだけでも,エホバの証人が,聖書を生活の導きとなる原則を備える点で完全なものであると考えている理由が理解できるのではないでしょうか。多くの人はその点を理解しています。例えば,次に挙げるのは,聖書を調べたある男の人が到達した結論です。

「聖書とその諭しは,私が大学でこれまでに学んだどんなものよりも実際的ではるかに優れていると思う。私は学士号と修士号を持ち,高校のカウンセラーを務め,精神衛生と心理学に関する膨大な数の本を読んできたが,上手に結婚生活を送ること,青少年非行を防ぐこと,友を得,また友を引き寄せておく方法といった事柄に関して聖書が述べる諭しは,私がこれまで大学で読んだり研究したりしたどんなことよりもはるかに優れていることが分かった」。

大勢の人が,聖書が完全にそろっているという点に疑問を持つのはなぜでしょうか。ある人々の問題は,健全な方法で事実を調べようとしないことかもしれません。別の人の場合は,責任を逃れたいというひそかな欲求があるのかもしれません。ですから,テモテに宛てた使徒パウロの次の諭しを考慮するのは重要なことです。「あなたに託されているものを守り,……誤って『知識』ととなえられているもの……から離れなさい。ある人たちはそうした知識を見せびらかそうとしたために信仰からそれて行きました」― テモテ第一 6:20,21。

考古学上の発見は今後も続き,聖書の歴史に関するわたしたちの理解が増し加わるような発見があるかもしれません。しかし,一つの発見だけで聖書の真実性が確証されたり否定されたりすることはありません。聖書はそれ自身の価値に立脚しているのです。もちろん,わたしたち各人が,「たとえわたしたちや天からのみ使いであろうと,わたしたちが良いたよりとして宣明した以上のことを良いたよりとしてあなた方に宣明するとすれば,その者はのろわれるべきです」というパウロの書き記した事柄を信ずるかどうかを決めなければなりません。(ガラテア 1:8)エホバの証人の心は固まっています。彼らにとって聖書は完全にそろったものなのです。

[脚注]

a ヘブライ語聖書とクリスチャン・ギリシャ語聖書の正典性に関する付加的な情報を得たい方は,ニューヨーク法人 ものみの塔聖書冊子協会が発行した「聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です」と題する本の298-319ページをご覧ください。

[17ページの拡大文]

グノーシス派の福音書には,イエスの内密の言葉が本当に収められているか

[19ページの囲み記事]

神が述べられた目的

わたしたちはなぜ存在するのか

楽園の地を管理し,エホバ神に従いエホバ神を崇拝し,隣人を愛するため。―創世記 1:28; 伝道の書 12:13; ルカ 10:27

わたしたちはどこへ行くのか

平和な楽園の地で,完全に健康な状態で永遠に生きる。すでに死んだ家族と再会する。―啓示 20:12,13; 21:3,4

神はそれをどのように行なわれるか

キリストのもとにある義なる政府が地から悪を一掃し,死者を復活させる。―ルカ 1:32,33; ヨハネ 11:25; 啓示 11:17,18

[18ページの図表]

グノーシス派の教えと聖書の教えとの比較

グノーシス派 聖書

エホバは劣った存在(デミウルゴス エホバは崇拝されるべき

[造物主])であり,退けられるべきもの 唯一まことの神である。―ヨハネ 17:3;

ルカ 4:8

復活は実際のものではなく, 復活は実際に起こり,死者はよみがえる。

啓発された瞬間の象徴にすぎない ― ヨハネ 5:28,29; 11:11-45

救いはただ自己に関する知識によってのみ 救いはキリストの犠牲によってのみ

もたらされる もたらされる。―マタイ 20:28;

ヨハネ 3:16; 使徒 4:12

エデンに現われた蛇は サタンは最初の偽り者であり,

神の知恵の原則である 殺人者である。―ヨハネ 8:44;

創世記 3:4

エバは命の授与者であり, エホバは命の授与者であられ,

アダムの教訓者である アダムの教訓者であられる。

― マタイ 19:4; 創世記 2:16

結婚と出産を創始したのはサタンである エホバは結婚を創始され,

出産を祝福された。―マタイ 19:4-6;

創世記 1:28; 2:22

[16ページの図版のクレジット]

米国カリフォルニア州クレアモント市,古代遺物とキリスト教協会

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