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目ざめよ! 1985
目85 12/22 12–14ページ

キリストはクリスマスを好意的に見ておられますか

クリスマス・シーズンには世界のあちこちで,キリスト降誕の様子を示す展示がよく見かけられます。そのような展示は大抵の場合,飼い葉おけの中の赤子イエスの等身大の姿と,マリア,ヨセフ,羊飼い,マギ,それに牛を何頭か描き出しています。キリストはそのようなクリスマス関係の展示物を好意的に見ておられますか。

実際,キリスト降誕の様子を描き出した展示をすることの妥当性については白熱した論争があり,米国の最高裁判所にまで持ち込まれて議論されました。昨年の12月のタイム誌は次のように伝えました。「1年のうちの早い時期に最高裁の判決があったおかげで,この件が係争中だった時には展示を控えていた都市でも,今年はキリスト降誕の様子を示す展示が公共の公園や建物を飾ることになろう」。

しかし実際には,キリスト降誕を描いた展示物で政府の土地・建物を飾るのが合法かどうかの問題は今なお係争中なのです。タイム誌は,「最高裁の決定は問題に決着をつけることにはならなかった」ということを認めています。最高裁判所は今年もまた,ニューヨーク州スカーズデール市のキリスト降誕を描いた展示物の合法性に関して,煮えきらない4対4の決定となり,明快な方針を打ち出すことができませんでした。

キリスト教を促進するか

アメリカ公民権連合を含め,キリスト降誕を描いた展示物に反対している人たちは,クリスマスに関連した展示物は国家による宗教促進にほかならず,それゆえに憲法違反である,と論じます。しかし,コラムニストのビル・ホールは,シアトル・ポスト-インテリジェンサー紙の記事に次のように書いて,クリスマスは少しもキリスト教を促進しないと主張しています。

「公民権連合は,クリスマスがキリスト教の祝日であるなどといったばかげた概念を一体どこから持って来たのか。クリスマスの時期にどこでもよいからアメリカの商店街を歩いてみれば,そんな考えは消えてなくなることだろう。

「クリスマスはキリスト教とほとんど関係がない。クリスマスは,富と貪欲と暴飲暴食をたたえる異教の祭典なのだ。

「それとは対照的に,キリスト教とは一人の人イエス・キリストの教えに基づいた,今や消滅しかかっている宗教である。それは,寛大さ,愛,堪忍,非暴力……などを説く宗教であった。

「ところが,公民権連合は性急にも,名前が似ているからであろうが,クリスマスと今日のキリスト教会が本物の原始キリスト教と関係があるという,荒唐無稽な結論を下したのだからこっけいだ。……

「公民権連合は,クリスマスは本来キリスト教の祝いで,アメリカの異教徒もそれを祝っているのだと思い込む,よくある誤りを犯している。その逆が真実なのである。クリスマスを祝う人の大多数は教会へ通っていない人たちである。クリスマスは本来異教徒のお祭り騒ぎなのだ」。

クリスマスが「異教徒のお祭り騒ぎ」なのですか?そんなことがあり得るでしょうか。クリスマスはキリストの誕生日ではないのですか。

だれの誕生日か

そうです,キリストの誕生日ではありません。「聖書・神学・教会文献事典」には,「キリストの誕生日は新約[聖書]からも,実際,他のいかなる資料からも確認することができない」と説明されています。一つのことは確かです。キリストは12月25日には生まれなかったということです。キリスト誕生の時,羊飼いは夜,野原で群れの番をしていましたが,12月の寒い夜にそのようなことはしなかったことでしょう。―ルカ 2:6-8。

さらに,ルーテル派の牧師ジョン・C・マコリスターは,最近出版した「クリスチャンの質問集」という本にこう書いています。「あらゆる誕生日の祝いは(たとえ主の誕生日であっても)異教徒の風習であるというのが当時のすべてのクリスチャンの感情であった。初期クリスチャンはあらゆる異教の慣行から離れる努力をしていたので,イエスの誕生日としてある日を特別視することを避けた」。

では,12月25日のクリスマスの祝いはどこで始まったのでしょうか。ロバート・J・マイヤーの「祝典 ― アメリカ人の祝日全集」という本には次のように答えが載せられています。「クリスマスが祝われるようになる前,12月25日はローマ人の世界において,ナーターリス ソーリス インウィクティ,つまり征服されざる太陽の誕生日であった。この祭りは,ユリウス暦の冬至の直後に行なわれ,太陽神ミトラをたたえるものであった」。

マイヤーは続いて,「ミトラ崇拝の影響のほかにも,異教の力が作用していた」と述べています。ローマ人は12月の後半に放らつなサトゥルナリアの祭りを行ないました。そして,マイヤーが説明している通り,「やがて聖職者は倒錯したサトゥルナリア祭の世界を教会そのものの中に持ち込んだ」のです。「世界各地のクリスマスの習慣」という本の中で,「清教徒たちが,その日に一生懸命働き,クリスマスの祝いを禁止する法律を成立させることにより,この異教の祭りに対する侮べつを示した」と伝えられているのももっともなことです。

キリストは好意的に見ておられるか

『でも,清教徒たちは厳格すぎたし,初期のクリスチャンもそうだった。今ではクリスマスはキリストに誉れをもたらしている』と言って異議を唱える人がいるかもしれません。本当に誉れをもたらしているでしょうか。キリストは常に真実を唱導されましたが,クリスマスは真実でないことを助長します。(ヨハネ 14:6)学校の先生や牧師でさえ,『それはキリストの誕生日である』と言います。しかし,そうではありません。『良い子にしていれば,サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれる』。しかし,それは真実ではありません。キリスト降誕の様子を示す展示についても考えてみてください。

そのような展示には,生まれたばかりのイエスと共にマギすなわち占星術者たちの描かれているものが少なくありません。しかし聖書には,占星術者が到着したころイエスはもはや赤子ではなく,家の中で生活していた子供だったと述べられています。(マタイ 2:7-11)真実をそれほど曲げて伝える祝いをキリストが好意的に見ておられる,と本当に信じられますか。

しかし,さらに重大なのは,クリスマスがキリストは無力な赤子にすぎないという間違った印象を与えることです。キリスト降誕を描いた展示物を見ながら一人の幼い女の子が母親に,「イエス様は大きくならなかったの」と尋ねているのが聞かれました。なぜそんなことを尋ねたのでしょうか。「だって,去年見た時から,少しも大きくなっていないんですもの」と言うのです。クリスマスの時に受ける印象はまさにそのようなもの,すなわち,キリストは,現に支配している王,間もなくこの地から不義を取り除く方ではなく,無力な赤子という印象です。―詩編 2:9,12; 110:1,2。啓示 12:5; 19:15,16。

クリスマスの時に見られる事柄を思う時,キリストは一体どうしてそれを是認できるでしょうか。タイム誌はこう報じました。「クリスマス精神は酒瓶に現われることがあまりにも多いので,アルコール中毒者とその家族には特別に大変な時期となる。社内パーティーで口紅を付けられてそのまま家に帰る結果,数え切れないほど多くの人が心を乱すことになる」。そうです,クリスマスは初期の時代のその放らつな性格を変えてはいません。

ウィリアム・S・ウォルシュの「民間風習の珍しい特徴」という本にはこう述べられています。「賢人や良識ある人からの非難をしり目に,初期の時代のクリスマスは往々にして,バッカス祭とサトゥルナリア祭のありとあらゆる最悪の乱痴気騒ぎや放とう,無作法を模倣するものであった。……昔のクリスマスの時期のお祭り騒ぎといったら,信じられないほどである」。

このことを考えると,読者は多分,去年の12月に南アフリカの新聞サンデー・エクスプレス紙に載せられた意見に同意なさるでしょう。その記事の書き出しは次のようなものでした。「お祭り気分が前面に出て,宗教的な人々が『クリスマスの祝いにキリストを呼び戻そう』と言う時がまたやって来た。

「キリストは初めからそこにおられなかったのだから,キリストに結び付けるのは全くやめて,クリスマスを何かほかの名称で呼ぶほうがはるかにふさわしいであろう。

「商業主義,暴飲暴食,お祭り騒ぎといったもの全部と関連づけて,なぜキリストの名を汚すのか」。

あなたはどうしますか

確かに,キリストはクリスマスを好意的に見てはおられません。クリスマスはキリストとその教えを辱めるものです。では,読者はこの時季にどんなことをしますか。

上に引用した南アフリカの新聞には次のような提案が載せられていました。「キリストの降誕を祝う振りをするのではなく,むしろ正直になってクリスマスを最初の通りの異教の祝祭に戻し,クリスマスの飾りをすべて飾ってごちそうをたらふく食べるパーティーを行ない,浮かれ騒ぎ,くつろいで楽しもう」。

なるほどそれは偽善的ではないかもしれませんが,キリストは,人々がキリストの名のもとにそれを行なうかどうかにかかわりなく,放らつな異教の祭りを好意的に見てはおられません。(コリント第二 6:14-18)ですから,本当にキリストの是認を受けたいのであれば,読者はどうしますか。先に紹介したコラムニストのビル・ホールはこう答えています。「純粋のクリスチャンが現に少数は残っているとすれば,その人たちはクリスマスとして知られる世俗的な現代の祝いと一切かかわりを持とうとはしないだろう」。

エホバの証人はどこにいてもまさにその通りにしています。彼らは,自分たちの天の王イエス・キリストからの好意を本当に得ようとしているため,クリスマスの祝いには一切あずかりません。また,彼らは特別な時だけではなく,一年じゅう毎日,イエスの教えに調和して生活しようとしています。あなたもそうしたいと願っておられるのであれば,それを全うするのを,エホバの証人は喜んでご援助します。

[12ページの図版]

キリスト降誕を描いた展示物はキリストについて真実を伝えていますか

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