ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目86 4/22 13–16ページ
  • 熱狂的なナチ支持者からクリスチャンの監督へ

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 熱狂的なナチ支持者からクリスチャンの監督へ
  • 目ざめよ! 1986
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 熱狂的に支持する
  • 業の妨害
  • 私の人生を変えた3時間
  • 忠誠の試み
  • 行動へと奮起させられる
  • ナチ配下のヨーロッパで試された信仰
    目ざめよ! 2003
  • 私の憎しみは愛に変わりました
    目ざめよ! 1995
  • 『わたしは信じてまいりました』
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2011
  • 何をエホバにお返しできるでしょう
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2009
もっと見る
目ざめよ! 1986
目86 4/22 13–16ページ

熱狂的なナチ支持者からクリスチャンの監督へ

「気をつけ! 頭,右! ベーブリンゲン地区ヒトラー青年隊,出頭いたしました」。私は,教練や観兵式などの機会に本当に誇りを抱いて“我が子たち”を上官に紹介したものです。青年たちの従順で的確な動きには感動しました。私は,新時代の感動に包まれていました。1930年代初期に私たちがそれを必要としていたことはまず間違いありません。

ドイツは,第一次世界大戦の後遺症,すなわち長年にわたる不安定な状態や政治的な分裂にひどく悩まされていました。失業者が劇的に増加しました。当時私はシュトゥットガルトのある洋服屋で働いていましたが,給料は週に4マルクで,朝食と昼の1杯のうすいスープにありつくのがやっとという額でした。しかし,私だけがそのような境遇にあったわけではありません。ドイツに不穏な空気が渦巻いていたのも別に不思議ではありません。将来の希望は全くないように思えました。

“その人”が登場したのはそのころのことです。しっかりした信念を持った人がついに現われたのです。もっとも,皆が皆その人を支持したわけではありませんが,その人が権威をもって指導していること,また,数々の成果を収めていることはだれも否定できませんでした。景気はよくなり,失業率は下がりました。だれも空腹を抱えることはなくなりました。事態は好転していました。これは成功でしたから,その人の言葉は信頼されるようになりました。

熱狂的に支持する

私は,ドイツのシュトゥットガルトにごく近い小さな村,ホルツガーリンゲンで生まれ育ちました。私は地元のスポーツクラブの一員でしたが,メンバーの大半がヒトラーの支持者になった時,私もそうしました。結局私もヒトラーには感銘を受け,現状の改善にあずかれるということに魅力を感じました。

ヒトラーが1933年に政権を握った時,私は24歳で,すでにナチ党員になっていました。友人たちは私の熱意を見るとすぐに,「ウィリー,君はこれこれの職務を引き継ぐのにふさわしい人だよ」と言うようになりました。そういうわけで,私は比較的短期間に党内で責任のある六つの異なった立場に就きました。そして,それを名誉なことと思っていました。

例えば,私は党内のブラウンシャツを指導する立場に就けられました。ナチ党の突撃隊員はそのように呼ばれていたのです。このため後にはヒトラー青年隊の2,000人余りを監督することになりました。速攻部隊の行動計画からは皆が益を受けることになっていましたから,その活気に満ちた部隊で心をこめて仕えるのは,実に胸の躍ることでした。私の熱意はまさに熱狂と言っていいほどのもので,私の見解にあえて反対する者は災いでした。

ですから,総統自身が臨席するシュトゥットガルトでの歓迎会に出るよう指名された時の私の感激をできたら想像してみてください。まさに壮観です! 累々たる列を成す褐色の制服を着た男子,約7万人のナチ突撃隊とヒトラー青年隊は一つの機械のように動いています。そして,クライマックスとなり,この大群衆の前で私は実際に“その人”と握手をする名誉にあずかったのです。

業の妨害

マルタと私は1932年に結婚しました。私の理想に同調する伴侶を得て私は本当に幸せでした。私のしていることにマルタが異議を唱えるようになるまでは万事うまくいっていました。だれかが活動の妨害をしたのですが,それがだれかを突き止めるのは難しくありませんでした。それは,私の義理の姉妹,ミーナでした。ミーナはエホバの証人になり,自分が“新たに見いだした真理”すべてを包み隠さず自分の姉妹に話しました。ナチ党員の私はもちろんこれに同意しませんでした。

私たち夫婦の関係は非常に緊張してきました。例えば,私が思い出すのは,総統と握手をして感激したあのシュトゥットガルトでの集会から帰宅した時のことです。マルタはただ笑って,「じゃあ,あなたはもう手を洗わないんでしょうね」と言ったのです。これには腹が立ちました。あのような名誉,あれほどの特権をどうしてちゃかすことができるのでしょう。マルタは分かっていないのでしょうか。

私はマルタに向かってどなってしまうことがよくありましたが,マルタが穏やかな受け答えをするものですから,それが余計にしゃくにさわりました。私が怒り,悪態をついているというのに,そのように受け答えをする内面的な強さをマルタはどこで得たのでしょうか。ある時,私はマルタを文字通り家から追い出しました。もちろん,そうしたからといって事態は良くならず,かえって私は一晩中眠れませんでした。翌日私は,プライドが傷つくのを承知でマルタを家に連れ戻しました。マルタの立ち居振る舞いは以前と変わらず非の打ちどころのないものでした。

間違っているのはマルタではなくこの私だということがあり得るでしょうか。考えるだけでも悔しいことでした。それは,私の個人的な理想の終わり,私の世界の終わりを意味するのです。

私の人生を変えた3時間

ある日,私は病気で熱を出し,青年隊の演習を引き揚げて帰宅しました。私はベッドに入りましたが,その時ベッドのわきのテーブルに妻の聖書が置いてあるのに気づきました。妻は私が熱狂的になっていて聖書を焼き捨てる恐れがあることを知っていましたから,聖書が置いてあるというのは異例なことでした。私は,こけんにかかわると思いながらも,なぜか聖書を手に取って読み始めました。そして,たまたま啓示 17章と18章の,大いなるバビロンと呼ばれる大娼婦について述べている箇所を見つけました。その言葉は,マルタが以前に使っているのを聞いたことがあったのでよく知っていましたが,私はあまりにも誇り高ぶっていたので,説明を求めたことはありませんでした。今,その言葉の出所だけは分かりましたが,どういう意味なのかは依然として分かりませんでした。

私は真相を知ろうと決意して,別の部屋にいるマルタを呼びつけました。マルタは私が彼女の聖書を手にしているのを見て,聖書がどうなるか心配し,身震いするのがはた目にも分かりました。私はまだ誇り高ぶっていて自分の妻に聞くことができず,「このバビロンとはだれか,わたしに説明できるようミーナと連絡を取ってくれるか」と高飛車な口調で言いました。

その時にマルタの姉妹が,これは強制収容所に監禁するためのわなだと思ったのも無理のないことです。それでも彼女は,抱いていたかもしれない恐れを払いのけてやって来ました。そして私たちは話し合いました。3時間話し合いましたが,その3時間で私の人生は文字通り変化しました。

私はプロテスタントの信者として育てられ,教会には時々出席していました。それでも,あまり宗教心はありませんでした。しかし今や,聖書が大いなるバビロンについて述べている事柄は真に諸教会を描写している,ということに気づくようになりました。人々や国々がいかに「彼女の淫行の……ぶどう酒」のとりこになってしまったか,またいかに「地の王たち[が]彼女と淫行を犯し」てきたかが少しずつ分かってきました。(啓示 18:3)しかも,この描写にはナチ・ドイツも含まれていたのです。

ミーナの説明が進むにつれ,私は聖書の言葉とその現代における適用をよく理解できるようになりました。このすべてをどうしてそんなに何世紀も前に預言できたのでしょうか。そう考えた時,私は電光に撃たれたかのように感じました。使徒パウロがどのように感じたかがそれで分かりました。これは真理なのです。(使徒 9:1-19)決定を下すのに長い時間はかかりませんでした。

翌日,まだ熱はありましたが,私は起き上がり,党と教会の両方から籍を抜くために出かけました。言うまでもなく,これにはナチ党内の六つの責任ある役職すべてから退くことが含まれていました。ナチスが国を完全に掌握しており,その思想に合わない者は容赦なく抹殺されていたのですから,辞任するというのは大それた行動でした。私がそのことを一番よく知っているはずでした。私自身が今までまさにその政策の熱烈な支持者だったのではないでしょうか。私の仕事はこれからどうなるのでしょうか。私はどうなるのでしょうか。

忠誠の試み

私のことが村一番の話題になってからちょうど3週間後,マルタと私は初めての子供が生まれるという喜びを味わいました。しかし,その喜びもつかの間でした。合併症が生じ,子供は2週間後に死んだのです。そしてさらに数週間マルタの命はおぼつかない状態にありました。これは神からの罰でしたか。他の人々はそう考えたかもしれませんが,私たちはそう思いませんでした。この出来事は愛の神エホバに私たちをより一層近づけるものとなりました。エホバはマルタを回復させてくださり,幼いエステルに再会できるという強い希望を私たちに与えて復活に対する信仰を強めてくださいました。

一方,村の人たちは,最も義理堅い長年の顧客も,仕立て屋としての私の店をボイコットし始めました。しかし,村人は私が常に彼らによく尽くし,正直で,良い仕事をしてきたことを知っていました。それで,数週間すると,そのボイコットは力を失い始めました。他の人に見られないように夜にだけ来る人もいましたが,客足は戻ってきました。間もなく,私の仕事は以前にも増して繁盛するようになりました。

私たちは定期的にエホバの証人の文書を受け取っていましたが,それをすぐに読んで,速やかにほかの人に渡しました。しかし,こうした文書は禁令に付されていましたから,私たちは,幾らかの文書を家の中で見つけようと躍起になっていたゲシュタポの訪問をたびたび受けました。ある日の午後2時ごろ,ゲシュタポの手先が二人,不意にやって来ました。よりによってその日に来るとは! ちょうど前の日に1冊の小冊子を受け取っており,その日の夕方には他の人に渡すことになっていたのです。彼らは捜索を始めましたが,そのすぐあと,ほぼ目の前のラジオの上に置いてあったその小冊子を見過ごして急に向きを変え,その場を離れました。

私たちは常に逮捕される危険に面していました。私が党から脱退した時に地元のナチ高官は,「ウィリー,君は自分のしようとしていることが分かっているのか。正気のさたじゃないね」と言いました。しかし,その人の兄弟は私の妻の姉妹の一人と結婚していましたから,親戚であるということで私のことを通報せずにいたようです。私のことをよく知っていて,私の誠実さを認め,私に敬意を払ってくれていた町の人たちは互いに示し合わせて沈黙を守っているように思えました。

私は1935年のいわゆる自由選挙のことを決して忘れないでしょう。私たちはエホバの王国に対する忠誠のゆえに,政治に関与しないようにして中立を保っていました。その日の夜8時ごろ,ナチの兵士80人ほどのグループが私たちの家の前まで行進して来て,夜間に皆に聞こえるように,「ここに住んでいる者たちはドイツ国家に対する裏切り者である。ドイツにはお前たちのような者のための場所はない。縛り首だ。ユダのようにくたばってしまえ」と,大声で言いました。

かつてはナチ党員だったのですから,裏切り者と呼ばれるのはおもしろくありませんでした。しかし,イエスが,「もし世があなた方を憎むなら,あなた方を憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなた方は知るのです」と言われたことを思い返しました。(ヨハネ 15:18)ですから,そうした憎しみは私たちが正しいということの証明にほかなりませんでした。その兵士たちの中には後に無駄死にした者も少なくありません。しかし,戦争に生き残った二人の人は,自分たちの取った行動のことで謝罪するために自らやって来ました。

行動へと奮起させられる

ナチ政権の妨害がなくなるや,ドイツ全国のエホバの証人の再組織が始まりました。私は,当時はたった6人だったホルツガーリンゲンの小さな群れが100人を優に上回るまでに増加するのを見てきました。また,私たちの近い親族だけでも28人が宣べ伝える業を行なうようになるのを見ることができたのも,大きな喜びでした。

これまでほぼ40年にわたって会衆を監督するという務めを喜びのうちに果たしてきました。もちろん,かつてのナチの指導者の命令的で堅い調子ではなく,クリスチャンの従属の牧者に求められている愛とへりくだった思いという仕える精神をもって務めを果たしてきました。―マタイ 23:10,11。ペテロ第一 5:2,3。

私がナチ主義と大いなるバビロンからきっぱり離れた1934年10月は,半世紀以上も前のことになります。まさにその年のその月に世界中のエホバの証人の会衆が,「エホバの証人に対するあなたの政府の虐待ぶりは地上の善良な人々すべてに衝撃を与え,神のみ名を辱めています。エホバの証人をこれ以上迫害するのをやめなさい。さもなければ,神はあなたとあなたの党を滅ぼされるでしょう」という電報をヒトラーに送ったことを,私はその数年後に知りました。私は生きてその言葉の成就を見ました。

私はナチの主義主張とスローガンの危険を辛くも見抜くことができて本当によかったと思っています。そういうわけで,私は,以前の仲間の多くがその罪に荷担したゆえに被ったような恥と,後にその災いに遭って味わったような苦痛を経験せずにすみました。―ウィリー・ワナーの語った経験。

[14ページの拡大文]

私は妻に向かってどなってしまうことがよくありましたが,妻は常に穏やかな受け答えをしました

[13ページの図版]

すでにナチ党員になっていた1928年のスポーツクラブの仲間。後列左の若者と私(前列中央)はエホバの証人になった

[16ページの図版]

ウィリー・ワナー,妻のマルタ,その姉妹ウィルヘルミーナ

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする