急いでも何にもならない?
運転手は適度なスピードで車を走らせていると思っていました。それは時速130㌔でした! ところが,同乗者たちは規制速度に慣れていたため,西ドイツのアウトバーンを走る車のスピードにすっかり驚いていました。その超高速道路では,指定区域以外,速度制限がありません。実際,時速130㌔で走っていたのに,他の車やオートバイはそばをビュンビュン走り去って行ったのです! 同乗者の一女性はたまりかねて,「みんなどうしてあんなに急ぐの? どこへ行こうっていうの?」と,詰問するように言いました。
その人を客として接待していた男性はほほえみながら,「どこへも行かないんじゃないですか」と答えましたが,冗談でそう言ったのは明らかです。皆どこかへ向かっていたからです。しかも速く行こうとしていたのです!
それにしても,皆どうしてそのように急ぐのでしょうか。旅の楽しさの半分は,ゆっくりと風景を観賞することなのに,人々はそれを忘れてしまったのでしょうか。実際,人生は手に汗握る100㍍競走だとでもいうのでしょうか。
高速車,簡易食品,超音速機などは,“より速く! より手早く! より能率的に!”ということを絶えず要求する時代の特徴となっています。確かに,軽装馬車の時代に戻りたいと思う人はほとんどいません。また,少し急がなければならない場合があることは,大抵だれでも認めます。何と言っても,医師や警察を呼んだなら,のんびりせずに急いで来てもらいたいと思うものです。
とはいえ,そのようにいつでも何でも大急ぎですることは必要でしょうか。また,有益でしょうか。そうではないと考えている人々もいます。ロサンゼルス・タイムズ紙の一記者は,「多くの人々は,この忙しい時代の時計の圧制下で悩まされ,急がされ,何かに取り付かれたようになって,生涯せわしなく生活してゆく」と述べました。
人々はスピードに夢中になっていますが,この現状はトロント・スター紙の言う,「手の施しようのない流行病」,すなわちストレスの一因ともなってきました。ストレスは一服の毒のように人々に作用するように思われます。ストレスに起因する病気は,頭のふけが増えたり,爪がひび割れを起こしたりする軽症から,高血圧や心臓発作などの重症に至るまで,驚くほど多岐にわたっています。また,時計の圧力を受けていると,人間関係まで難しくなります。
では,現代はなぜ,いわゆる「忙しい時代」なのでしょうか。もし今,自分が悩まされ,圧力を受けているように感じているなら,数年後にはどのような生活をしているでしょうか。自分の生活をもう少し調整する方法,現代の慌ただしさに対処する何らかの方法があるでしょうか。