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  • 第1部 ― 1920-1928 繁栄の1920年代 ― 嵐の前の静けさ

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  • 第1部 ― 1920-1928 繁栄の1920年代 ― 嵐の前の静けさ
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  • 繁栄の20年代 ― 適切な名称
  • 政治的な緊張の暗雲が垂れこめる
  • 社会変化という暴風
  • 繁栄の20年代と「ほえるライオン」
  • 第2部 ― 1929-1934 世界大恐慌と,新たな戦争への道
    目ざめよ! 1987
  • 構想の終局
    目ざめよ! 1985
  • 世界強国の長い行進はその終わりに近づく
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
  • 第3部 ― 1935-1940 よろめきながら滅びへ向かう国際連盟
    目ざめよ! 1987
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目ざめよ! 1987
目87 3/8 11–15ページ

1914年以降の世界

第1部 ― 1920-1928 繁栄の1920年代 ― 嵐の前の静けさ

「目ざめよ!」誌は1983年から1984年にかけて,第一次世界大戦に関する三つの記事を発表しました。今度は一連の八つの記事により,その大戦以降に生じた大きな出来事を幾つか取り上げます。それらの出来事は今生きているすべての人に影響を及ぼしていますから,多くの人が考える以上に重要な意味を帯びています。皆さんはきっと,このあとの「1914年以降の世界」第1部を楽しくお読みになることでしょう。

大部分の人々は,「自分がまさか現代史の転換点を目撃しているとは思わなかった」。人類史上初の全面戦争となった第一次世界大戦が与えた影響について,歴史家のハンス・コーンはそのように語っています。コーンの説明は続きます。戦争が終わっても,「世界中の人々の思いに生じた著しい変化や,やがていつかその変化が国内および国際社会の秩序再建のときに現われることには,ほとんどだれも気づかなかった」。では,一体どうして気づかなかったのでしょうか。要するに1910年代は,非常に明るい見通しをもって終わるかに見えたのです。

第一次世界大戦は1919年にパリ講和会議におけるベルサイユ条約の調印をもって正式に終わったのではないでしょうか。この会議によって,世界を平和のうちに結び合わせることを目的とした国際連盟が設立されたのではないでしょうか。1920年の1月16日に同連盟が正式に発足したことは,二度目の世界戦争は回避できると考えてよい十分の理由になったのではないでしょうか。

繁栄の20年代 ― 適切な名称

思い煩いのない陽気な90年代(1890年代を指す名称)の世界も,1914年に始まった全地球的な悪夢によってついに崩れ去りました。その戦争が終わった時,幻滅を味わっていた人々はできるだけ早くその悪夢を忘れようとしました。とりわけヨーロッパの情勢を特色づけていたのは,政治と経済の混乱でした。歴史家のR・B・グルーバーはこう述べています。「若者たちの中には,自分たちは年長の人々から無理強いされた無意味な戦争の生き残りだと考える人が多かった。そのような見方が原因して,彼らは古い世代の価値観を極めて疑わしいものと見始め,……物質面での成功と身体的な安逸に没頭するようになった」。

米国の場合はどうでしょうか。グルーバーはこう述べています。「大抵のアメリカ人は,物や資産の価値が無限に高まり,今日何かを買った人は,明日にはそれを売って儲けることができると考えていたようである。……床屋,速記者,エレベーター係などが経済の成長に便乗して金儲けの機会をとらえるようになり,株の思惑買いが広まった」。

大西洋をはさむどちらの大陸でも,この時期の成り行き任せの物質主義的な精神が,道徳や生活態度,それに音楽の中にも表われました。その点についてグルーバーは,「1920年代のポピュラー音楽には,伝統の拒否が,また自発性と個人主義と官能を重視する新たな傾向が表われている」と言っています。ジャズによって米国は20世紀の音楽に貢献しましたが,そのジャズが今や成熟期に達しました。ジャズは「抑制力と慣習に対する,一つの世代の侮蔑を表わす音楽」でした。長く受け入れられてきた,行動と価値に関する規準がこのように退けられたので,作家のF・スコット・フィッツジェラルドは1920年代をジャズの時代と呼びました。また,ジャズが世界中で急速に受け入れられたのと同じように,ジャズが表わしていた,快楽を追求する態度も急速に受け入れられるようになりました。

戦後のこの時代を“繁栄の20年代”と呼び始めた人がだれかについては定説はないようです。しかし,その名が適切であることについて異論は全くないはずです。「繁栄する」に相当する英語(roaring)の一つの定義は,「繁栄……特に一時的な性質のもの……を特色とする」ということです。これは確かに1920年代に当てはまります。この時期は繁栄と,飽くことなく快楽や富や自分の満足を追い求めることとを特色としていました。しかし,この10年間が終わるずっと前から,“良き時代”が一時的な性質のものにすぎないことを示す危険信号はあったのです。

政治的な緊張の暗雲が垂れこめる

1920年代を通じて,国際連盟は平和維持のための難しい仕事を行なっていました。その仕事は困難を極めました。ドイツにあるチュービンゲン大学の近代史の教授,ゲルハルト・シュルツは,「平和にかかわる当初の政治的,道徳的,経済的な荷は,国家主義が世界戦争に生き残っただけでなく,再び燃え立たせられたという事実によって一層重くなった」と説明しています。イタリアではベニト・ムッソリーニのもとでファシズムという形の国家主義が燃え立たせられ,日本ではそれが軍部の影響力を強化するという形で表わされました。共産主義は1917年の10月革命後のソ連で力を増し加えてから中国に浸透してゆきました。こうした国家主義はみな国際連盟の利益に反しました。

一方ドイツでは,当初は軽蔑的なあだ名であった「ナチス」として知られるようになった国家社会主義者が支持を得つつありました。1928年に,異彩を放つ指導者アドルフ・ヒトラーが国家主義を再び燃え立たせるために発言し,次のような宣言を行ないました。「我々ドイツ国民は,まず第一に国際協調主義の絶望的な混乱から解放され,熱烈なる国家主義に関する慎重かつ組織的な訓練を受けなければならない。……世界には一つの正義しかない。その正義は我々一人一人の力のうちにある」。

米国では孤立主義という形で国家主義が現われました。ヨーロッパは身から出た錆に苦しめばよいとするアメリカ人が次第に増えてゆきました。アメリカ人は,ある人々が国際連盟と呼んだ「聖なる名を持つ悪しきもの」に加わることにも反対しました。1920年,米国議会はウィルソン大統領の嘆願も空しく,時代をふうびしていた精神に屈し,国際連盟の加盟国になることに反対する票決を行ないました。

政治的な緊張という垂れこめる暗雲の中に隠されていた内在的な危険はほとんど気づかれないか,全く無視されました。そのために危険が増してゆきました。それでもその危険によって,かつて経験したことのないほど恐ろしく破壊的な嵐を招来させる基盤が築かれていたのです。

社会変化という暴風

険悪な政治的暗雲に伴っていたのは,社会変化という暴風です。人々が,それまで知られていなかった消費者市場のとりこになるに及んで,人の態度や規準は変化しました。初めて,自動車,ラジオ,冷蔵庫といった現代の便利品を,すべての人に行き渡るほど多量に製造できるようになったのです。そうしたものの販売を促進する広告業は急速に成長し,10億㌦の企業へと発展しました。また広告業界は,つけにして分割払いを利用する安易な購入方法を導入し,必要ではないかもしれないもの,望んでさえいないようなものを買わせるため,躍起になって人々を説得しようとしました。しかも,人々が持ってもいないようなお金でそれらを買わせようとしたのです。a 同業界はラジオがその目標を達成するための強力な手段であると考えたので,ラジオを最大限に活用しました。

流行の新製品のおかげで時間とエネルギーは節約できましたが,そうした製品すべてが手に入るようになったことは必ずしも感謝されませんでした。そのような製品が助長したと一部の人々からみなされている怠惰で安易な甘えの傾向も感謝されませんでした。例えば,一人の老齢の婦人は,食料品店で初めて機械切りのパンを見つけて大変戸惑い,信じられないというように首を横に振って,「自分で自分のパンを切れないほど怠けるようになったのでは,世界の先行きは全く分からない」とつぶやきました。今の時代を見たら,この人は何と言うでしょうか。

しかし,現実の状況はもっと深刻でした。広告業界が非常に魅力的に感じさせている製品がすぐにでも手に入るようになったので,人々は霊的な必要や価値から徐々に注意をそらされ,物質的な物に注意を傾けるようになったのです。組織宗教は,必要な霊的導きをずっと以前から備えることができず,神から離れてゆくこの傾向を防げませんでした。人間の考えた理論や哲学を奨励する人々は増加する一方でした。例えば,ジグムント・フロイトの「精神分析に関する新しい科学は,自分自身と自分の経験とに強い関心を持つ世代を魅了した」と,グルーバーは述べています。

ダーウィンの進化論も,神と聖書に対する信仰を崩すことに一役買いました。「大戦と大戦に挟まれたヨーロッパ」と題する本が述べているように,世界史に及ぼした進化論の影響は過小評価すべきではありません。同書はヒトラーを,適者生存は自然の法則であると固く信じていた「純然たる社会進化論者」と呼んでいます。その著者であるヘルマン・グラムルはこう説明しています。「戦争とは,自国民を強化するために必要な,全く正常な形態の国家的交渉であり,真の政治家であれば,自分自身で起こすために繰り返し試みるものであるというのがヒトラーの考え方」であった。

もちろん,すべての人が,社会変化の暴風にさらされて神とそのみ言葉に対する信仰を弱めたわけではありません。ある人々は創造者を擁護するための助けとして,例えばラジオのような新しい科学技術を活用しました。それと際立った対照を成していたのは,もっぱら利己的で商業的な関心事を追求するためにラジオ電波を用いていた人々です。ものみの塔協会と関係を持つクリスチャンの一グループは1924年に,ニューヨーク市初の非商業的な放送局,WBBRを創設しました。それは1957年まで用い続けられましたが,30年以上にわたって当初の目的を果たし,神の王国の関心事に貢献したのち,その年に売却されました。

繁栄の20年代と「ほえるライオン」

「自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,……神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者」。繁栄の20年代に関する描写でしょうか。その通りです。もっとも,これらの言葉は使徒パウロがおよそ2,000年前に書いたものです。この中で述べられている人間の弱点が,繁栄の20年代の,お金中心で快楽に夢中になった,霊的には弱い社会において一層明白になったのは単なる偶然ではありません。それは,世界がパウロの言う「終わりの日」の期間に入ったことを間違いなく示すしるしです。さらにそれは,『ほえる(英語はroaring)ライオンのような悪魔』が,人々を創造者から引き離そうとして自らの活動を増し加えていることのしるしでもあります。―テモテ第二 3:1-5。ペテロ第一 5:8。

ものみの塔協会と関係を持つクリスチャンは,サタンの活動をくじくため,真の宗教を擁護する活動を増し加え始めました。1922年には,来たるべき神の王国を広く伝えるための宣伝活動を強化し,聖書文書の印刷を容易に行なえるよう,1927年にニューヨーク市のブルックリンに独自の工場を建設しました。“宣伝する人々”の数は依然として少数でしたが,繁栄の20年代が終わりを迎えようとしていた1928年には,世界中の32の国や地域で4万4,080人が神の王国を宣べ伝えていました。「ほえるライオン」にはこれを阻む力がありませんでした。

それらのクリスチャンが携えていた音信はどこでも同じでした。神の王国の代わりに,物質主義,人間の考えた理論,国際連盟のような政治的な計画などに信頼を寄せるのは愚かであるということです。「ものみの塔」誌,1926年7月15日号は国際連盟が神に敵するものであることを大胆に宣言し,こう述べました。「この組織が僧職者によってメシアの王国の代用物として是認されているため,世界の人々の上には濃い暗闇が垂れこめている。……主は,同連盟の誕生と,その命の短さと,永遠の終わりを予告された。―啓示 17:10,11。イザヤ 8:9,10」。

これらのクリスチャンは,神の裁きの日という嵐が足早に近づいていることを確信していました。しかし,まずは繁栄の20年代が別の種類の嵐をもって終わることになっていました。それは経済的な嵐であり,意外な時に突然臨むのです。次いでその嵐は,“戦争”という語に新しい意味を付与する政治的な嵐を引き起こします。次号の「目ざめよ!」誌に掲載される,「世界大恐慌と,新たな戦争への道」と題するこのシリーズの第2部をお読みください。

[脚注]

a その半世紀後,ハーバード大学の社会学者ダニエル・ベルはこの点についてこう述べました。「現代における最も悪らつな考案の一つは,分割払いを利用した販売方法である。……以前は一生懸命働いてから買うのが普通だった。それが,つけを利用すればすぐに満足感を味わうことができるようになった」。

[14ページの囲み記事]

ニュースになった他の出来事

1919 ― オーストリア,フランス,オランダ,スウェーデン,スペイン,ユーゴスラビアが

一日8時間労働を採用

1920 ― インドで,モハンダス・ガンジーの非暴力による不服従運動が支持を得る

アメリカは女性の投票権を認める(1893年のニュージーランドをはじめ,

アメリカに先立って少なくとも他の13の国が女性の投票権を認めている)

1921 ― 糖尿病の治療にインシュリンの効くことが発見される

アイルランドがアイルランド自由国と北アイルランドに分裂

1922 ― ソビエト社会主義共和国連邦が正式に結成される

1923 ― 関東大震災で10万人以上が死亡

1924 ― デトロイト市の組み立てラインから,1,000万台目のフォードが誕生;

そのT型車は300㌦もしなかった

1925 ― 英国,ドイツ,アメリカで,テレビの試作品が初めて作られる

1926 ― ロケットの発射に初めて液体燃料を使って成功; ロケットは2.5秒で56㍍飛行

1927 ― チャールズ・リンドバーグがニューヨーク-パリ間の無着陸単独飛行に初めて成功

ベルギーの天文学者ジョージ・ルメートルが,宇宙は拡大しているという

ビッグ・バン理論を編み出す

ハリウッドで最初のトーキーが製作される

1928 ― ペニシリンが発見される

ディズニーが最初のミッキーマウスの映画を製作

キングスフォード・スミスとその仲間が初の太平洋横断飛行に成功

[13ページの図版]

陽気な気分と騒々しい狂態が繁栄の20年代の特色だった

[クレジット]

The Bettmann Archive

[15ページの図版]

神の王国をふれ告げるため,ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードは1922年以後ラジオを用いた

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