17音で詠む詩歌
日本の「目ざめよ!」通信員
落花枝に
帰ると見れば
胡蝶かな
わずかな言葉で捉えたなんと繊細な写生でしょう。実際,日本語では17音で表現されています。小型化の名人である日本人は,俳句として知られる3句無韻型の詩で土地や人々を詠います。
もともと俳句は,31音,5句の形式の和歌あるいは短歌と呼ばれるものの一部でした。中世のころ,優れた歌人を志す人たちは一種の文学遊戯に和歌を好んで用いました。一人が3句で成る上の句を詠めば,別の人が2句で成る下の句を詠むという遊びです。やがて,3句で成る上の句だけを詠むことが流行するようになり,俳句が生まれました。
俳句を作る
俳句が教えるものは簡潔さです。第1句と第3句の長さは5音で,真ん中の句は7音です。伝統的な俳句には,季題すなわち季節名または季節感を表わす言葉が詠みこまれています。“雪”は冬を連想させますし,“蛙”や“花”という語は高らかに春を告げているかのようです。“極暑”という言葉は,読む者をたちまち,うだるように暑い夏の日盛りの中にいるような気分にさせます。俳句の大家はほんの一,二音で雰囲気を作り出すことができるのです。
入口に
麦干す家や
古簾
古い農家を思い浮かべることができますか。麦が入り口に干してあります。戸口には,幾度か迎えた収穫期の日差しで色あせた竹の簾が掛かっています。
『感覚の詩』と呼ぶ人もいるように,よくできた俳句はその状況を感じさせます。
かたつぶり
そろそろ登れ
富士の山
情景を想像してみてください。海抜3,700㍍を超える富士山がそびえ立ち,山麓の丘はかすみの中に没していきます。頂上まで登るのは生易しいことではありません。弱小な人間はかたつむりのようにゆっくりゆっくり登らなければなりません。手足の痛むのが感じられるようです!
19世紀前半の小林一茶のような俳人は,日常生活の暗い面もユーモアをもって見ました。それは次の俳句に反映されています。
衣がへ
替ても旅の
しらみ哉
これらの例句はいずれも伝統的な手法で自然や季節に触れています。そして動物や植物,季節の移り変わり,繊細な風景,それぞれの土地やそこに住む人々に関する他の多くの細かな事柄に対する読む人の感動を深めます。俳人は自分の心情を事細かに描写せず,わずかな言葉の選択の妙技によって,読む人の共感を呼ぶのです。言語という賜物のなんと美しい用い方でしょう!
俳句で教える
俳句は簡潔であるため,万人向きの詩歌入門教材になっています。創作活動に入る第一段階として有益であると感じている教師もいます。さらに,自然や季節をこまやかに扱うので,生徒たちが周りの世界に一層深い関心を払うようになります。そのように創造物に対して注意深く目を向けるならば,創造者に対する認識を深める助けになります。
大阪の幼稚園で園児たちに俳句を教えたある先生は,そのかいがあってうれしい経験をしました。3歳から5歳までの子供たちは1年に約100の俳句を学びました。その結果,「自然に対する感謝の気持ちが一層深まり,動物に一層優しく接するようになった」ことが観察されました。作り話がほとんどの娯楽に熱狂することが多い今の時代に,このような結果が見られたのは喜ばしいことです!
優れた俳句を詠むには,仏教の禅や瞑想のような宗教的な面に踏み込む必要があると感じている俳人もいます。しかし大多数の日本人は,単に日本文学の一部として俳句を学びますし,これからもそのことは変わらないでしょう。
俳句,海を渡る
日本で生まれ育ち,洗練された俳句は,世界で最も短い詩として広く知られています。1950年代の後半,西洋,ことに米国において俳句に対する関心が高まり,俳句関係の本が幾つか英語で出版されました。例えば,カリフォルニア州の一教師は,生徒たちが俳句のイロハをはやく理解するのを見て喜びました。ある生徒が最初に作った句です。
From the mountain
The moon
Slowly goes to the stars.
(ゆっくりと/月は山から/星空へ)
子供の作品としてはなかなかのものです!
第三世界に目を向けると,俳句はアフリカでも詠まれています。セネガルの人たちは感性の鋭い詩人であることを示しました。その作品の一例です。
The folds in the riverbed
Smile sadly
Under the blazing sun.
(川の床/さみしく笑う/日照りかな)
この俳句はアフリカの太陽の強烈さを,実に鋭く描写しています。アフリカの人々は自然に親しむ生活をするので,その力と美を強く感じます。それで彼らはすばらしい俳人なのです。
もちろん,俳句を日本語から他の言語に翻訳する際には,型の問題が生じます。日本語で5・7・5と型がきちんと整っていても,他の言語でその型を保とうとすると語呂が悪くなってしまうことがあります。それで音節を数えることをやめ,2行に書いてもよいと主張する教師もいれば,3行の型を保持し,第2行をやや長めにすることを好む人もいます。次に掲げるのは,日本語ではありませんが,型も内容も申し分のない,賞を得た俳句です。
A bitter morning:
Sparrows sitting together
Without any necks.
(冬の朝/雀ら寄りて/首すくめ)
寒い冬の朝,雀たちは恐らく電線にとまって互いに身を寄せ合い,それぞれ肩の羽毛に首を埋めて寒さをしのいでいるのでしょう。その情景全体をほんの一息で伝えているのです!
多くの人を引きつけている俳句の魅力はそこにあります。つまりわずか3句,17音で自然の美を表現し,情景の機微を捉えて,読む人を感動させるということの難しさです。俳句の中にはそのすべてがあるのです。
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落花枝に
帰ると見れば
胡蝶かな
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入口に
麦干す家や
古簾
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かたつぶり
そろそろ登れ
富士の山