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目ざめよ! 1990
目90 4/8 6–8ページ

地球外生物 ― どこにいるのか

科学作家のアイザック・アシモフによると,生物のいる惑星はほかにもあると信じている人たちにとっては,「ある意味で,すべてを覆す質問」があります。その質問は元々1950年に核物理学者のエンリコ・フェルミが提起したもので,次のような論議の最後に出てきます。もし知的生物がこの銀河系の他の惑星に生じていたとしたら,地球より何百万年も進んだ文明が現に存在しているはずだ。彼らはとっくに恒星間旅行も行なえるようになっており,銀河系内に広がり,意のままに植民地を作ったり探査をしたりしているはずだ。しかし,彼らは一体どこにいるのか。

SETI(地球外文明探査計画)の科学者たちは,中にはこの“フェルミの矛盾”に動揺を禁じ得ないことを認める人もいますが,多くの場合,星間旅行の難しさを指摘することによりこれに反論します。宇宙船が光速という桁外れの速さで飛んだとしても,銀河系を横切るには10万年もかかるのです。その速度を超えることは不可能と考えられています。

SF小説ではよく,数日か数時間で星から星へと移動する宇宙船が活躍しますが,あれは空想であって,科学ではありません。星と星の間の距離は,わたしたちにはとても理解できないほどのものなのです。事実,もし太陽(地球を100万個呑み込めるほど大きい)をオレンジ大に縮小して銀河系の模型を作るとしたら,この模型の中でも星と星の間の距離は平均して1,500㌔ほどになります。

SETIの科学者たちが大いに電波望遠鏡に頼るのはそのためです。彼らは,高度な文明を持った生物でも星間旅行はできないので,やはり電波という比較的安価で容易な手段によって他の形態の生物を探すだろうと想像します。しかし,フェルミの指摘した矛盾は今でも彼らの頭から離れてはいません。

アメリカの物理学者,フリーマン・J・ダイソンは,もし高度な文明がこの銀河系に存在しているなら,その証拠を見つけるのは,ニューヨーク市のマンハッタン島の科学技術文明のしるしを見つけるのと同じほど容易なはずだと結論しています。この銀河は地球外からの信号やその絶大な工学的事業で騒音を立てているはずです。ところが,そのような証拠は何一つ見つかっていません。事実,そのことを取材したある記事は,「探査したが何も見つからない」という言葉は,SETIの天文学者たちの宗教的詠唱のようになっていると述べました。

疑惑が生まれる

多くの科学者たちは,同僚がこの問題と取り組むのに余りにも多くの楽観的仮定をしすぎたことに気づき始めています。そのような科学者たちは,この銀河系に高度な文明はそう多くは存在しないと言います。それはただ一つ,つまりわたしたちの文明だと言う人もいれば,数学的には一つより少ないはずであって,我々人類でさえ存在するはずがないのだと言う人もいます。

そういう懐疑論の根底にあるものを理解するのは難しいことではありません。それは次の二つの質問に要約されます。もし地球外生物が存在しているとしたら,どこに生存しているのか,どのようにして存在するようになったのか,という質問です。

最初の問いに対してある人は,『もちろん,惑星上に生存している』と答えるかもしれません。ところが,太陽系の中で,生物の存在に全く不適当とは言えない惑星はただ一つ,わたしたちの住んでいる地球しかありません。しかし,この銀河系の他の無数の恒星の周りを回る多くの惑星についてはどうでしょうか。幾つかの惑星には生命が宿されているのではないでしょうか。実のところ,科学者たちは太陽系外に一つでも惑星が存在するかどうかについて決定的なことはいまだに証明できていないのです。なぜでしょうか。

惑星を探知するのは至難の業だからです。恒星は非常に遠くにあるうえに,惑星自体は何の光も発していないため,木星と同じほど巨大な惑星でさえ,それを探知するのは,何キロも離れた所にある強力な電球の周りに浮遊する塵粒を突き止めることを試みるようなものなのです。

たとえそのような惑星が確かに存在している ― また存在していることを示す間接的な証拠が蓄積されている ― としても,それはそれらの惑星が銀河内で生命の維持にちょうど適した所にあるちょうど適した種類の恒星の周りを,ちょうどよい距離を保って回っており,惑星自体の大きさや組成も生命の維持にちょうど適しているという意味ではありません。

崩れゆく基盤

さらに,わたしたちが知っているような生命を維持するのに必要な厳しい条件を満たす惑星が数多く存在するとしても,それらの世界に生命はどのようにして発生するか,という疑問が残ります。それを考えると,生物のいる世界はほかにもあるという信念の基盤となっているものがはっきりしてきます。それは進化論です。

この地球上で無生物が進化して生物になったのであれば,他の惑星でも同じようなことが生じ得ると信じるのは,多くの科学者にとって論理的なことのように思えます。ある著述家も,「生命は発生し得る環境が備わればいつでも発生する,というのが生物学者たちの一般的な考え方である」と述べています。しかし,進化論が打ち勝ち難い反論にぶつかるのはこの点です。進化論者はこの地球上でどのように生命が始まったかをさえ説明できないでいるのです。

科学者のフレッド・ホイルとチャンドラ・ウィックラマシンゲの推定によると,生命に必要不可欠な酵素が偶然に形成される確率は1040,000(1の後に0が4万個付いた数)分の1です。科学者のファインベルクとシャピロはさらにその上を行きます。共著「地球外の生物」の中で,有機物のスープの中の物質が,生命となる最初の基本段階へ進む確率を101,000,000分の1としています。もしその数字を書くとすれば,あなたが手にしておられるこの雑誌で優に300ページの厚さになります。

そんな厄介な数字は分かりにくいと思いますか。「起こり得ない」という言葉のほうが覚えやすく,しかも正確です。a

それでもなおSETIの天文学者たちは楽しそうに,宇宙の至る所で生命は偶然に発生したに違いないと仮定するのです。ジーン・バイリンスキーは自著「ダーウィンの宇宙における生物」の中で,地球以外の世界でどのように進化が起きたかについて様々な推測を行なっています。それによると,知能を備えたタコ,腹部に育児嚢のある有袋男,楽器を作るコウモリ人間などがいても少しも不自然ではないのです。名高い科学者たちはその本を称賛しました。しかし,ファインベルクやシャピロのような他の科学者たちは,そのような推理の大きな欠陥を見抜いています。二人は,地上でどのように生命が始まったかに関する科学者たちの理論の「基本的実験基盤の弱さ」を非難し,それでもなお科学者たちは「そうした土台の上に宇宙の果てにまで届く塔を立ててきた」と述べています。

間違った宗教

『起こり得ないことを普通に起きることのように考える科学者が非常に多いのはなぜだろう』と不思議に思う人もいるでしょう。答えは簡単で,むしろ情けないくらいですが,人には信じたいことを信じる傾向があるのです。科学者は,いくら客観的な考え方をしていると主張しても,この人間的弱さを免れているわけではありません。

ホイルとウィックラマシンゲは,「生命は知能を有する者によって組み立てられたという理論」のほうが,自然発生説よりも「よほど」もっともらしいと述べ,「実際,その理論は,自明の理として広く受け入れられていないのが不思議に思えるほど明白なのである。受け入れられていないのは,科学的というよりむしろ心理的な理由による」と付け加えています。確かに多くの科学者は,証拠から判断できるのに,創造者が存在するという考えを受け入れようとしません。彼らはそのようにして独自の宗教を作り上げています。先ほどの著述家たちも見抜いているように,ダーウィン主義は「神」という語を「自然」という語に置き換えたにすぎません。

そのようなわけで,「あのかなたにだれかいるのだろうか」という質問の答えとして,ほかの惑星にも生物がいると信じる根拠を科学が一つも提供していないことは明らかです。事実,何年も経過したのに星からは何の音沙汰もないので,進化を信じている科学者たちにとってSETIは次第に厄介なものになっています。もし無生物が難なく進化して様々なタイプの生物になるとしたら,この広大な宇宙の中のそれらの生物から何の音沙汰もないのはなぜでしょうか。彼らはどこにいるのでしょうか。

他方,もしこれが宗教の領域に属する質問なら,どうすれば答えが見いだせるでしょうか。神は他の世界にも生物を創造されたのでしょうか。

[脚注]

a 進化論の残りの部分も同じく難問を抱えています。ものみの塔聖書冊子協会発行の「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本をご覧ください。

[8ページの囲み記事]

地球外からの訪問者?

人間は地球外生物の訪問を受けている,あるいは過去に受けたことがある,と信じている人は少なくありません。科学者たちは一般にそうした主張を一蹴します。どの事例にも立証できる証拠がないことを指摘し,人が見たというUFO(未確認飛行物体)は大抵自然現象で説明できると言います。誘拐されたという主張は,未探求の分野である人間の混乱した精神,あるいは心理的また宗教的欲求として片づけられる傾向があります。

あるSF作家はこう述べました。「その現象を調査し,その存在を信じたいという衝動は宗教的と言ってもよいほどである。我々人類はかつては神々を有していた。いま我々は自分たちが孤独ではなく,保護の力に守られていると思いたくなっている」。そればかりか,UFO体験の中には,科学というよりオカルト的なにおいのするものもあります。

しかし,多くの科学者は自分なりに“訪問者”の存在を信じています。彼らはこの地上に偶然に生命が発生する可能性のないことを見て取り,生命は宇宙からこの地球に漂着したに違いないと主張します。異星人が下等なバクテリアを搭載したロケットを飛ばしてこの地球に生物をまいた,と言う人もいます。ある人は,遠い昔に異星人がこの地球を訪れ,彼らの残して行ったごみから偶然に生命が発生したのではなかろうかとまで言いました。一部の科学者は,宇宙に単純な有機分子がかなり普通に見られるという証拠から幾つかの結論を導き出しました。しかし,それは本当に生命が偶然に形成された証拠になるでしょうか。金物店があるということは,その店で自動車が人手によらずに偶然に組み立てられたという証拠になるでしょうか。

[7ページの図版]

たとえ生物の住める惑星がほかにあるとしても,そこに偶然に生命が発生し得る証拠があるだろうか

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