読者の声
スポーツ競技における祈り 「聖書の見方: スポーツ競技における祈り ― 神は聴いておられるか」の記事に感謝しています。(1990年5月8日号)私はよくハンドボールの試合の前に,神様に熱烈に祈っていました。大事な試合のときには,勝つための力が得られるよう祈りました。(といっても勝ったためしはありませんでした。)でもこの記事を読んでからは,そのような祈りが神様のみ心に調和していないことが分かりました。
M・A・L・S ブラジル
若者 ― 1990年代の難問 「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」の本は最初に受け取ったときに読みましたが,若い人に関するこの記事(1990年9月8日号)に励まされてもう一度読み直しています。今回は最初のとき以上に,読んでいて楽しいです。
B・B 米国
私は13歳の少女です。若い人に関する記事がとても良かったので,感謝をお伝えしたいと思います。私は「目ざめよ!」誌を予約していますが,いつも雑誌が届いても読まないで片づけていました。でもこの記事に目がとまり,読んでみたら,とても面白くて,後で「目ざめよ!」誌の以前の号も引っぱり出して幾つかの記事を読みました。今は私のほうから母にお願いして聖書研究をしてもらっています。
A・P 米国
自殺 私の母は神の忠実な僕でしたが,重度のうつ病にかかり,1か月後に自殺しました。母の死後,私たち母を愛していた者には言葉では言い表わせないほどの重荷と心痛が生じました。もう二度と会えないかもしれないと思うと余計に,母を亡くした心の痛みは耐え難いものになりました。しかしその記事(1990年9月8日号,「聖書の見方: 自殺した人に復活はありますか」)を読んで,私も母が復活するという希望を抱けると分かって,気持ちが幾らか“普通に”戻り,うれしくなりました。
T・M 米国
あの記事は憐れみ深いものでした。しかし,苦しんでいる人たちがそのような憐れみを,“楽な逃れ道”を選ぶための正当な根拠とみなす可能性はないでしょうか。
N・G 米国
重症うつ病を患っている人にとって,ひどい絶望感に襲われている時は,死んだほうがましだと思えることがあります。(ヨブ 10:1と比較してください。)しかし自殺は自らを殺害することですから,神の律法に対する違反であり,クリスチャンにとっては容認できない道です。自殺したいという気持ちに駆られた人は,神の憐れみにつけ込むべきではなく,自滅的な衝動に抵抗するための助けを求めるべきです。(ヤコブ 1:14,15)その人は,自分が死んだ場合,家族の生活にどれほど痛ましい空虚感が生じるかを考えてみるとよいでしょう。また,エホバが「心の打ち砕かれた者たちの近くにおられ(る)」ことを思い出し,重荷をエホバにゆだねるべきです。(詩編 34:18; 55:22)さらに,仲間のクリスチャンに自分の絶望的な気持ちを知らせ,彼らからの援助を受け入れるべきでしょう。それでも,人が自殺したいという気持ちに負けてしまった場合,遺族は故人の将来が神のみ手の内にあることを知って慰めを得ることができます。―編集者。
麻痺に対処する 「他の人を助けるために自分を広くする」(1990年9月22日号)という記事を読み,人を築き上げるこのような積極的な記事を掲載してくださったことに感謝を申し上げたく,ペンを取りました。今はすっかり元気になった私も,似たような状況をよく切り抜けてこれたものだと感心することがあります。私たちは皆この世から途方もなく大きな圧力を受けています。しかしトニー・ウッドは,エホバに依り頼むことによってこうした圧力に対処しています。
P・G 英国
映画 「若い人は尋ねる…どうしたらいい映画を選べるだろう」という記事を掲載してくださりありがとうございます。(1990年8月8日号)今日,若者の大半は,クリスチャンが見るのにふさわしいのはどんな映画なのか分かっていませんし,映画を見てもよいかどうか両親に尋ねることもしません。ふさわしくない場面が出てきたらスイッチを切るべきである,という考えはとても良いと思いました。
J・N・S ブラジル