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  • 私はダンサーとしてスターの座を追い求めた
  • 目ざめよ! 1992
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目ざめよ! 1992
目92 6/22 12–14ページ

私はダンサーとしてスターの座を追い求めた

私が自分の生まれたイタリアの町ローマで踊り子としてデビューしたのは,12歳になって間もないころのことです。それは1945年,第二次世界大戦が終わった直後のことでした。

それまで恐ろしい大量殺りくを目の当たりにし,その影響を肌で感じていた少女にとって,ダンスフロアに上り,自分の一番好きなこと,つまり踊ってさえいればいいというのがどういうことであったか想像できるでしょうか。毎日が夢のようでした。

コーラスラインでの踊りを経て,私はソロのダンサーへの一歩を踏み出しました。アフロ・キューバン,オリエンタル,ハワイアンといったダンスを得意としましたが,同時に多種多様なルンバ,チャチャチャ,タンゴ,ブギウギなど当時流行っていたダンスもこなしました。

ダンスは私にとって魅力的な新しい世界への扉を開きました。例えば1950年代に私は,「戦争と平和」,「クオ・バディス」といった有名な映画に出演しました。エリザベス・テーラー,メイ・ブリット,エレノラ・ロッシ・ドラゴー,ロバート・テイラー,バレンチナ・コルテーズ,ガブリエル・フェルゼッティといった大スターと共演するのは胸の躍るような経験でした。

“成功”する

成功を追い求めていた私は,世界をまたにかけて飛び歩き,イエメンのアデン,南アフリカのケープタウン,イギリスのロンドン,タイのバンコク,イランのテヘラン,それにオーストラリアの諸都市を訪れました。ついに成功を収めたのです。まだ19歳でしたが,私はいわゆる美しい世界を楽しんでいました。

体の線を維持して身体的な魅力を保つため,くたくたになるまで練習し,厳しい制限に耐えるのは,容易なことではありませんでした。それでも,自分がすでに手にした成功のことや,もっと有名になるという目標のことを考え,そうした厳しさに甘んじました。

付き合いのあった社交グループの裕福で尊敬されていた人々は,泥棒や麻薬密売人,マフィアなどと親しく交際していました。それは想像できないほど不道徳な世界,麻薬やアルコール,不道徳,暴力などの浸透した世界でした。しかしそのころの私にとって,そうしたことはたいして気になりませんでした。私の生活は踊ることと,高級車,宝石,ドレス,一流のホテルといったぜい沢な生き方とが中心になっていました。

お金は相当稼ぎましたが,そのほとんどは結局マネージャーの懐に入りました。慣れ親しんだ生活水準を維持するため,私は昼間のレジの仕事を見つけました。残念ながら私は自分の節操を曲げ,不道徳なことに巻き込まれるまで身を落としてゆきました。

帰郷

プロとして海外でかなりの成功を収めた後,1965年に,私はその時代の本当に優れたダンサーとなることに専念するため,イタリアへ戻ることにしました。海外で経験を積み,かなりの評判を得ていたので,故郷に帰っても新しい機会が開かれると考えていました。ところが意に反して,私は非常な幻滅を味わうことになりました。成功への道は,突然行く手をさえぎられたかのようでした。

そのうちに私は,品の悪いナイトクラブやディスコで踊るようになりました。すさんだ環境に閉じ込められ,ありとあらゆる脅しや暴力に屈するよう強いられて,私はひどく孤独な気持ちでした。二度も中絶し,そのために死線をさまよいました。愚かにも成功を追い求めたために何という代価を払うことになったのでしょう。落ちるところまで落ちた時,私は自分の人生を真に成功へと導いてくれたものを見いだしました。

私の人生の最も重要な日

それは1980年,ある夏の日の午後のことでした。アレサンドリアの私のアパートの近くにあるプールへ行く途中,ばったり友人に出会いました。彼女は私に変わったことを言いました。「ねえ,私エホバの証人と聖書研究をしているんだけど,一緒に行ってみない」と私を誘ったのです。

「エホバ? だれなのエホバって」。好奇心が頭をもたげました。

「エホバというのは神のお名前よ」と,友人は答えました。

その後は話に花が咲き,私はプールのことなどすっかり忘れてしまいました。私は友人を車に乗せて証人の女性を訪ね,聖書研究に参加させていただけないでしょうかと尋ねてみました。私は,伝道師か聖者のような人が,おぼろげな光の中で,怪しげな気味の悪い儀式を行なう神秘的な雰囲気を思い浮かべていました。ところが,私はごく普通の家で,どこにでもいそうな普通の婦人と向き合っていたのです。彼女は私たちを丁重に迎えてくれました。研究していた箇所は「とこしえの命に導く真理」の本の第3章,「神とはだれですか」という主題のところでした。

神に固有のお名前があり,そのお名前が“エホバ”であるということを知ったのは,私にとって思いがけないことでした。(詩編 83:18)私は胸のうちで,『もし教会が神のお名前すら隠してきたのであれば,そのほかの真理も隠していないとはいえない』と考えました。その証人に,授業料はお幾らですかと尋ねると,無償だというのでまた驚きました。私のいた世界では,何にせよ無償で行なう人などいませんでした。私は聖書の研究を始めてみようという気になりました。

変化を遂げる

仕事の予定が詰まっていたので自由な時間はほとんどありませんでした。そのころはまだ,あちこちの町でダンスの契約を結んでいたからです。それでも,まことの神エホバのことをさらにたくさん学べるその婦人の訪問を一日千秋の思いで待ちました。私は神のお名前を学んだうえ,イエスとエホバが同じ方ではないということも知りました。お二方は三位一体の一部などではなかったのです。また,神は死んだと考えていた自分がどんなに間違っていたかも知りました。むしろ今は,真の人格神,生きていて物事を成し遂げられる神を知るようになりました。

ついに生きる目的を見いだしたのです。私はどれほどエホバに感謝したことでしょう。やがて私はエホバの証人の集会すべてに出席するようになりました。そこでは,愛と憐れみの神のすばらしい特質についてさらに深い理解を得ました。自分のそれまでの生き方を思うと,そのことは本当に慰めでした。王国会館に集う人々の穏やかで安らいだ表情を見るにつけ,本当の意味での美しい世界を見つけたとの感を強めると共に,そこから決して離れないようにしようと思いました。―詩編 133:1。

しかし,もしこの世界の中で生きたいなら,自分の生き方を大きく変えなければならないということも分かってきました。エホバの証人の大会に出席して聖書の原則の明快な説明を聴いた後,私は生活を改めようと固く決意しました。そして,それまで自分の人生の大きな喜びとなっていたダンスをやめました。6年間同棲していた男性とも別れ,過去の生活や,芸能界の腐敗した環境とのつながりをすべて絶ちました。さらに,マネージャーやかつての友人を思い出すような物品や住所なども処分しました。

新しい生活

その時点で仕事も家も失いましたが,私はエホバを完全に信頼することを学んでいました。お金が必要だった私は,それまで人生における真の成功の象徴とみなしていた,車や毛皮のコートや宝石などめぼしい物を売りました。仕事も,アパートの階段の掃除や頼まれた家の掃除を始めました。人生における真の成功は,持ち物や地位ではなく,エホバに祝福されているかどうかで決まるということを知ったのです。

1983年4月23日,私はエホバの証人の一人としてバプテスマを受けました。その日,私を取り囲むカメラマンは一人もおらず,そこにいたのは,エホバの新たな賛美者を心から迎える仲間の証人たちだけでした。その後まもなく,学んだすばらしい事柄を自分の兄に伝えるため,私はオーストラリアへ飛びました。兄とその子供たちは聖書の真理に対する私の熱意に共鳴しませんでしたが,オーストラリア滞在は私にとって本当に実り豊かなものになりました。

私はすぐに開拓者として全時間宣教にあずかり,真理に関心を持つオーストラリア在住のイタリア人を大勢見いだして,多くの進歩的な家庭聖書研究を司会するようになりました。その後1985年にイタリアへ戻りました。最初,住み慣れるまで幾らか困難をおぼえましたが,今は小さなアパートで年金生活を送りながら,会衆の集会すべてに出席し,全時間奉仕者として奉仕させていただいています。

長年の間,私は他の何よりもダンスで成功したいと願ってきました。栄光と名声がすべてだと思っていました。この世のスターを模倣しようとしました。今ではなにもかもが全く異なっています。もちろんダンスは魅力的なものですが,現在の私は,人生における真の成功は,個人の栄光のために生きることではなく,エホバ神のすばらしい約束について学ぶよう他の人を助けることにあることを知りました。

私は次のすばらしい約束の成就を確信を抱いて待ち望んでいます。「エホバを待ち望み,その道を守れ。そうすれば,神はあなたを高めて地を所有させてくださる。邪悪な者たちが断ち滅ぼされるとき,あなたはそれを見るであろう」。(詩編 37:34。ペテロ第二 3:13)― エドビジェ・ソールダリーの語った経験。

[13ページの拡大文]

私は「戦争と平和」や「クオ・バディス」などの有名な映画に出演した

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