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目ざめよ! 1995
目95 9/22 24–27ページ

アフリカの学校 ― 何を教えたか

ガーナの「目ざめよ!」通信員

アフリカの学校? 西洋の人たちの中には,昔そのような制度が実際にあったということを知ると驚く人がいるかもしれません。槍をつかんだ恐ろしい剣幕の野蛮なアフリカ人という,ハリウッド映画のイメージが人々の頭からなかなか消え去らないのは残念なことです。昔のアフリカ人が何らかの形で教育を受けていたと考えることなど,多くの人にはとても想像できません。

確かに,伝統に従う社会の中で育てられたアフリカ人が,本を読んで学問を修めるとか,教室で正規の教育を受けるなどということはありませんでした。しかし,ヨーロッパ式の正規の教育がこの大陸に持ち込まれるよりもずっと前から,多くのアフリカ人社会には効果的な教育方法があり,子供たちは地方の文化の中で自分の役割を果たしながら繁栄するよう,十分に備えることができました。例えば,ガーナのトウィ語を話すアカン族の場合の教育について考えてみましょう。

自宅学習

アカン族の間では,おもに家庭が教室の役目を果たしました。子供が両親から話し方を学ぶようになると,子供の教育が始まります。同時に,子供は最初のレッスンで正しい行儀作法を学びました。例えば,家に来た訪問者が子供にあいさつをすると,それに対して礼儀正しく丁寧にあいさつを返すことを教わりました。後日,子供がお使いに行かされるころになると,何かの伝言を丁寧に伝えることを教えられたものです。

したがって,アカン族の教育哲学は,聖書の箴言 22章6節に述べられている,「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ。彼は年老いても,それから離れないであろう」という考えと異なるところはありませんでした。そして二親,中でも父親が子供の養育に関心を示しました。アカン族には,「子供は母親に似ていなければ,父親に似ているものだ」という格言があります。

子供が大きくなるにつれ,子供の受ける教育も深みを増します。人生に関する教訓は本を通してではなく,クワーク・アーナーンセイという名の伝説上のクモの話など,想像上の物語を通して与えられました。子供たちはそのような話が大好きでした。そよ風の吹く夕方や,肌寒い月夜の晩にたき火を囲んで座り,そういう勝利や失敗の物語を心ゆくまで楽しんだものです。

ある有名な物語の内容は次のようなものです。アーナーンセイは世界中の知恵を集めて一つのつぼに入れようと思い,旅をして地上をくまなく歩きました。そして,その目的が果たせたように思えたので,彼はそのつぼを1本の木の高い所につるし,ほかの人はだれもその知恵を得られないようにしようと思いました。彼は知恵の詰まったつぼをひもで縛って腹にぶら下げ,骨の折れる木登りを始めました。彼が悪戦苦闘していると,長子のヌティクマが現われ,大声でアーナーンセイに言いました。「ああ,ばかな,お父さん! 一体どこのだれがつぼを腹なんかにぶら下げてそんな木登りをしますか。つぼを背中にしょって,もっと動きやすくしてみてはどうですか」。アーナーンセイは息子を見下ろして,「おれに向かってよくも説教をしたな」とどなりました。

しかし今や,そのつぼの外に知恵がまだ幾らか残っていることはそれで明らかでした。そのことに気づいて怒ったアーナーンセイはつぼを投げ落としたので,つぼは粉々に砕け,知恵は皆,そこら中に散乱しました。そして,そこへ最初に着いた人々はたいへん賢い人になりました。この物語の教訓は,知恵を独占できる人はいないということです。ですから,アカン族の人は,「一人では会議にならない」とよく言ったものです。―箴言 15:22; 24:6と比較してください。

生活に必要な技術

また,アカン族の教育には,生活に必要な技術を教え込むことも含まれていました。男の子のほとんどは父親と同じ職業に従事しました。それは大抵農業でした。しかしほかにも,狩猟,ヤシ酒用の樹液の採取,かご編みのような工芸など,学ぶべき技術がありました。木彫りや機織りといった,さらに複雑で投機的な事業を目指す場合,男の子は熟練した工芸家のもとで徒弟奉公をしました。女の子たちですか。女の子たちの訓練は,植物油の抽出,石けんや陶器の製造,綿の紡ぎ方など,家政に関する技術に重点を置いて行なわれました。

この伝統的な学校の“教科課程”には科学も含まれていました。薬草とその処理および投与に関する知識は,父親から息子へ,あるいは祖父から孫へ伝えられました。子供はまた,自分の手の指や,ビー玉,小石,棒に付けた印などを使って数を数えることも学びました。オーワーレイやチェッカーのようなゲームは,計算能力を高めるのに役立ちました。

また,アカン族の若者たちは公判を傍聴することにより,政治や司法上の制度に対する洞察を深めました。種々の祭りの行事や葬儀は,その土地の哀悼の歌,詩,歴史,音楽,ドラムの演奏や踊りなどを消化吸収する機会となりました。

共同責任

アカン族の間では,子供は社会的に孤立した存在ではありませんでした。子供は幼い時から地域社会に対する自分の責任を認識させられました。子供は同じ年ごろの仲間と一緒に遊ぶようになると,まず最初にそのことを学びました。それから何年かたつと,共同作業のような皆で協力して行なう活動に従事します。子供が行儀の悪いことをすると,親だけでなく,地域社会の大人の成員はだれでもその子供を罰しました。実際,どの子供であろうと行儀の悪い子供を懲らしめるのは大人の道義的責任とみなされていました。

子供たちは,大人に対して深い敬意を抱くよう教えられていたので,そのような懲らしめはよく受け入れられました。実際,アカン族の人たちは,「老婦人はただひとりの人のおばあちゃんではない」と言ったものです。したがって,お年寄りを敬い,お年寄りに尽くすのは義務でした。それで,もっともな理由もないのに大人のために尽くそうとしない子供はだれであろうと両親に報告されたものです。

宗教教育

アカン族の人々はたいへん宗教心が厚く,自然や未知の宇宙に対して敬虔な態度を示していました。彼らが多神教を奉じ,多くの神々を信じていたことは事実です。それでも,アカン族は唯一の至高神の存在を信じていました。(ローマ 1:20)「神」を表わすアカン族の言葉は,どの神を言う場合でもオーニャーメイですが,アカン族にとってこの言葉は創造者を指すには不適当に思えました。それで,彼らは創造者のことを,「ただひとりの偉大な方であられる神」という意味のオーニャーンコーポーンと呼びました。

人々は,ただひとりの偉大な神の取り決めにしたがって下位の神々が存在すると信じて,それらの神々を崇拝しました。彼らの考えからすれば,それは地区部族長たちが最高部族長に仕えているのとほとんど変わりありませんでした。いずれにしても,アカン族の子供たちは皆,こうした宗教を教えられたのです。

今日の伝統的な教育

近年,大都市では教室で行なわれる正規の授業が伝統的な教育方法に取って代わりました。そこへ何百万ものアフリカ人が移住してきました。それでも,一部の地域社会では,アフリカの伝統的な教育は依然として盛んに行なわれています。田舎では特にそうです。実際,アフリカ人の中には伝統的な教育と正規の教育の両方から益を得ている人たちさえいるのです。

例えば,ガーナに住む,アルフレッドという名のクリスチャンの奉仕者のことを考えてみましょう。彼は正規の教育を受けたにもかかわらず,伝統的な生活様式の多くの面を高く評価しています。アルフレッドはこう言いました。「私の親類で,読み書きのできない人たちのほとんどは,伝統的な教育しか受けていませんが,生活の実際面について教えるのはとても上手です。私はその中の仲間のクリスチャンと一緒に働いて,自分が伝えたいと思う事柄を分かりやすく率直に話す効果的な方法をたくさん教わりました。そのようにすると,伝統的な背景を持つ人々だけでなく,正規の教育を受けた人たちをも動かすことができます。私はしばしば,それらの人が使った格言や例えを取り上げ,それに磨きをかけて,私の聖書の講演に含めています。その結果,聴衆から盛んな拍手を受ける場合がよくあります。しかし,実際にはその誉れは,伝統に従って訓練された男女に帰すべきものです」。

ですから,アフリカの学校には明らかに称賛すべき面が数多くあり,敬意を払うに値こそすれ軽べつすべきものではありません。それは科学技術面の驚異を生み出すことはなかったかもしれませんが,強力な家族機構や社会意識,それに明敏な思考力やユーモアを解する魅力的な感覚を備えた,人をよくもてなす寛大な精神を持つ民族を生み出したことは確かです。それで,都市に住むアフリカ人の多くが,田舎に住んでいる親族を時々訪問して親族との接触を保とうとするのはもっともなことと言えるでしょう。そういう時には間の悪い瞬間がないわけではありません。伝統的な規準となると,都市に住んでいる人たちはたじろぐ場合がよくあります。例えば,一群の人々と握手をする際,右から左へ握手をするのが“正しい”仕方であることを知らない場合がよくあるものです。それでも,そうした訪問は互いの気持ちをさわやかにする機会となります。

とはいえ,次のことは認めなければなりません。アフリカの伝統的な学校は崇敬の念や専心の念を抱くことは教えましたが,エホバとそのみ子イエス・キリストについての命を与える知識は授けなかったということです。(ヨハネ 17:3)エホバの証人は,アカン族やアフリカの他の民族の間でこの肝要な知識を提供する特権にあずかっています。エホバの証人は,正規の教育を受けていない人々が神の言葉を直接勉強できるよう,何千人ものアフリカ人に読み書きを教えてきました。これは,「自分の霊的な必要を自覚している」人たちにとって,人間が受けることのできる最も重要な教育でしょう。―マタイ 5:3。

[25ページの図版]

アカン族の間では,子供は地域社会に対する自分の責任を認識するよう教育された

[26ページの図版]

読み書き学級のあるエホバの証人の王国会館

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