ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目96 6/8 8–9ページ
  • 理想的な解決策を見いだす

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 理想的な解決策を見いだす
  • 目ざめよ! 1996
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • クリスチャンが保つべき平衡
  • 読者からの質問
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1993
  • 汚染についてあなたにできることがありますか
    目ざめよ! 1980
  • あなたはどうすべきですか
    目ざめよ! 1971
  • 汚染 ― その進行は突然に終わる
    目ざめよ! 1988
もっと見る
目ざめよ! 1996
目96 6/8 8–9ページ

理想的な解決策を見いだす

神の言葉聖書は,神の天的な政府が人類の抱える諸問題すべて ― 今では自動車による汚染の問題も含まれる ― を解決する時について述べています。多くの人が祈り求めるよう教えられてきたこのメシアによる王国は,完全に無公害の自動車を作ることによって理想的な解決をもたらすのでしょうか。それとも,理想的な解決は地上からすべての自動車を除き去ることによってもたらされるのでしょうか。聖書は明確な答えを与えていないので,わたしたちとしては成り行きを見守るしかありません。―マタイ 6:9,10。

しかし,次のことは確かです。神の政府は,汚染が王国のもたらす回復されたパラダイスで創造物の美を損なうことを許しません。―イザヤ 35:1,2,7; 65:17-25。

神の言葉に付き従う者たちは汚染のない新しい世で生活するための訓練をすでに受けています。では,そのような人たちは今日,自動車の使用をどのように考えるべきですか。「目ざめよ!」誌,1987年6月22日号は,「わたしたちの森林には何が起きているか」という問題を論じ,自動車の排気ガスに含まれる大気汚染物質と滅びゆく森林の間には関連があるという一部の科学者の意見を伝えました。このため,心配した一読者はものみの塔協会に手紙を書き,この事実からすると,クリスチャンが車を運転するのはふさわしいことか,と尋ねました。この人は車を運転することがエホバの創造物に対して不敬を示すことになるかどうか,知りたかったのです。

その手紙に対する返事の一部は次のとおりです。「エホバの証人は,政府当局が汚染を減らすために定めた,環境に関する規定を忠実に守ります。(ローマ 13:1,7。テトス 3:1)政府の要求以上の措置を講じるかどうかは,個人の自由です。ある人がもう車を運転しないことにするなら,それはその人個人の問題です。しかし,『目ざめよ!』誌の記事は一部の人々の考え方を示して,8ページで次のように述べています。『多くの人は道理にかなう可能な範囲で大気汚染を和らげるための実際的な措置を講じています。スピードを落として車を運転し,旅行を控え,自動車の共同集中利用に加わり,無鉛ガソリンを使い,政府の定めた汚染防止規定に従っています』」。

クリスチャンが保つべき平衡

この回答にはクリスチャンが保つべき平衡が示されています。汚染源は自動車だけではないことを忘れてはなりません。飛行機や列車,また実際には現代の輸送手段の大半も汚染源となっているのです。しかし,こうした輸送手段は特に汚染をもたらすために開発されたものではありません。結果として生じた汚染は副産物であり,残念なことではありますが,限られた知識と不完全な性向によってもたらされたものです。

「ものみの塔」誌,1993年1月1日号,31ページはこの問題を論じ,次のように述べています。「エホバの証人としてわたしたちは,現在地球を襲っている数々の環境問題を深く心配しています。わたしたちは,地球が完全な人間家族のための清潔で健康的な住まいとして創造されたことを,たいていの人よりも感謝しています。(創世記 1:31; 2:15-17。イザヤ 45:18)……ですから,人間が続けている地球の破壊を不必要に助長しないようにするため,平衡の取れた,道理にかなった努力を払うのは正しいことです。しかし,『道理にかなった』という言葉に注目してください。……神の民は環境問題について無頓着であってはなりません。エホバは古代のご自分の民に排せつ物の処理法を守るよう要求されました。その処理法には,生態学的にも衛生的にも重要な意味がありました。(申命記 23:9-14)わたしたちは地球を破滅させている者たちに対する神の見方を知っているのですから,環境をきれいに保つために自分にできる事柄を決して無視すべきではありません。……しかし,この点でクリスチャンがどの程度行なうかは,法律で義務づけられていない限り,個人的な問題です。……不完全な人間はとかく極端に走るというわなに陥りがちです。……汚染を含む大きな環境問題を地球からなくそうとする人間の努力(は)十分には成功しない(でしょう)。場所によっては改善が見られるかもしれませんが,この問題が永久に解決されるには神の介入が必要です。このような理由でわたしたちは,表面的な症状を和らげようとすることにではなく,主に神による解決策のために自分の努力を傾け,資産を用います」。

クリスチャンは聖書の原則を守る点で平衡を保ち,全世界で神の王国の音信を宣べ伝えるという,神から与えられた使命を心に留めています。(マタイ 24:14)このこと以上に重要で緊急な業はありません。現代の輸送・通信手段がこの責務を果たす上で役立つのであれば,クリスチャンがそうした手段を活用するのは道理にかなったことです。同時に,クリスチャンはむやみに,あるいは故意に汚染をもたらすことを避けます。こうして,人と神の前で正しい良心を保つのです。

ですから,今日,汚染と自動車の問題が最終的にどのように解決されるかは実際には分かりませんが,解決されることは確かです。事実,理想的な解決策が得られる時はすぐそこまで来ているのです。

[9ページの囲み記事]

汚染と闘う

● 可能な場合は,徒歩か自転車にする

● 車は相乗りにする

● 定期的に車を点検してもらう

● クリーンな燃料を使うよう心がける

● 不必要に車を走らせない

● 適正な安定した速度で走行する

● 実行可能で,ふさわしい場合は,公共の交通機関を使う

● 停車中はその時間の長さに関係なく,エンジンをかけたままにせずに切る

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする