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目ざめよ! 1996
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聖書の見方

死者を恐れるべきですか

死者に関する話が出ると,そんな話はしたくないと思う人が少なくありません。しかし中には,そのような話を不快に思うだけでなく,恐怖に襲われる人もいます。ですから,世界中の様々な文化の中に,死者に対する恐怖と関係のある習慣や儀式があるのも珍しいことではありません。例えば,サハラ以南のアフリカに見られる習慣を幾つか考えてみましょう。

西アフリカのある都市に住む一人の女性は,家族の一人が亡くなった後に起きたことをはっきりと覚えています。彼女は次のように語りました。「ある親戚の者が故人のためにいつも皿に食べ物を用意して,それを故人の寝室に注意深く置いていました。その親戚の女性がいなくなると,私が行ってその食物を食べていました。彼女は戻って来ると,大喜びしました。亡くなった人がそのごちそうを受け取ってくれたのだと考えたのです。このようなことがある期間続くうちに,私は病気になりました。そして食欲がなくなり,食べ物は一切食べられなくなりました。そのため,本当に恐怖に駆られました。親戚の多くは,結局,亡くなった親族の者のせいで私が病気になったのだと考えました。その親族が家族の中のだれかに腹を立てているのだと考えたのです」。

その同じ都市では,もし家族に双子がいて,どちらか一方が死ぬと,その家ではだれも亡くなった子供のことを口にしません。もしだれかが亡くなったほうの子供のことを尋ねるなら,家族の者はしきたりに従って,「あの子は塩を買いに行きました」と答えます。もし本当のことを話すと,生き残っているほうの子供の命も奪われると固く信じているからです。

今度は,次のような情景を想像してみてください。3人の妻を持っていた男性が亡くなりました。葬式の翌日,特別な白衣が妻たちのために作られます。同時に,その家のそばに,木やふきわらなどで特別の場所が設けられ,その中でそれらの妻は水浴をして白衣をまといます。彼女たちの手伝いをするよう決められた女性以外,だれもそこに入ることはできません。その特別な洗い場を出る際,女性たちはベールで顔を覆い,またセベ,つまり綱で作られた“護身”用のネックレスを身に着けます。身を洗うこの儀式は100日間,毎週金曜日と月曜日に行なわれます。この期間中,女性はどんな物も直接男性から受け取ることができません。もし男性が女性に何かを与えたいなら,まずそれを地面かテーブルの上に置かなければなりません。その後,女性がそれを拾い上げます。だれもそれらの女性のベッドに座ったり寝たりすることは許されません。女性たちは家を出る時にはいつでも,各自特別の杖を携えて行かなければなりません。その杖を持っていれば,亡夫から襲われることはないと考えています。もし前述の指示に従わなければ,死んだ夫が怒って彼女たちに危害を加えるかもしれないと思っているのです。

こういうことは世界のこの地域では普通に経験することです。しかし,この種の習慣はアフリカ特有のものではありません。

広く浸透している死者に対する恐れ

百科事典の一つである「エンカルタ」は,先祖に対する多くの民族の見方について次のように述べています。「亡くなった親族は……強力な霊者になったと考えられたり,神としての地位を得たと考えられたりする場合もあるが,こちらのほうが少ない。[この概念]は,先祖は社会の活発な成員であり,生きている自分の親族の事柄に依然として関心を抱いているという信仰に基づいている。このことは,西アフリカの社会(バンツー族やショナ族),ポリネシアやメラネシア(ドブ島民やマヌス島民),インド・ヨーロッパ語を話す幾つかの民族(古代のスカンディナビア人やドイツ人),とりわけ中国や日本において多数の証拠資料により証明されている。一般に,先祖は物事の成り行きに影響を及ぼしたり,生きている親族の福祉を左右したりする特別な力を持っており,大きな権威を行使すると考えられている。先祖の主要な関心事の一つは家族を保護することである。先祖は最高の神,もしくは神々と人々との仲介者であり,夢や所持品を通して,生きている人々と交信できるとみなされている。先祖に対する態度は,恐怖と崇敬の念の入り混じったものである。先祖をなおざりにすれば,先祖は病気その他の不幸をもたらすかもしれない。生きている者が先祖と交信できる幾つかの方法は,なだめること,祈とう,供犠などである」。

実際,死者に対する恐れのために,一家の収入が搾り取られる場合もあります。死者を恐れるべきであると固く信じている人々から,飲食物や,いけにえのための生きた動物,高価な衣装などを必要とする,凝った儀式を執り行なうよう求められる場合が少なくありません。

しかし,死んだ親族や先祖は,恐怖や崇敬の念を要求するような状態に実際にあるのでしょうか。神の言葉である聖書は何と述べていますか。

死者は人に危害を加えることができるか

聖書はそういう信条があることを認めていますが,そのことはあなたにとって興味深い事柄かもしれません。申命記は,死者に対する恐れと関係のある種々の慣行に言及し,こう述べています。「あなたの中に……まじないで他の人を縛る者,霊媒に相談する者,出来事の職業的予告者,死者に問い尋ねる者などがいてはいけない。すべてこうした事を行なう者はエホバにとって忌むべきものであ(る)」― 申命記 18:10-12。

エホバ神がそういう習わしを非としておられることに注目してください。それはどうしてでしょうか。そのような習わしは,うそに基づいているからです。死者に関する最大のうそは,魂は生き続けるということです。例えば,ストレート・パス誌は,死者はどうなるかについて,「死とは魂が離脱することにほかならない。……墓とは,魂ではなく,体だけを保存する場所である」と述べました。

聖書はそうは言っていません。エゼキエル 18章4節をご自分でお読みください。『それすべての霊魂は我に属す 父の霊魂も子の霊魂も我に属するなり 罪を犯せる霊魂は死ぬべし』となっています。(文語聖書)また,死者の状態については,神の言葉の伝道の書 9章5節の中で,「生きている者は自分が死ぬことを知っている。しかし,死んだ者には何の意識もな(い)」とはっきり述べられています。死者に供えた食物が,生きているだれかが食べない限りなくならない理由は,そこにあるのです。

しかし聖書は,墓の中にいる人たちに対する希望をわたしたちに与えています。墓にいる人たちは,何と生き返ることができるのです。聖書は「復活」について述べています。(ヨハネ 5:28,29; 11:25。使徒 24:15)その復活は神のご予定の時に生じます。その間,死者は,神が彼らを『覚ます』時まで,無意識の状態で墓の中に横たわり,「眠って」いるのです。―ヨハネ 11:11-14。詩編 13:3。

普通,人は知らないものを恐れます。正確な知識は,根拠のない迷信から人を自由にすることができます。聖書は,墓の中にいる人たちの状態に関する真理を教えています。端的に言えば,確かに死者を恐れる必要はありません。―ヨハネ 8:32。

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