ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目99 11/22 11–13ページ
  • どうすればもっと外向的になれるだろうか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • どうすればもっと外向的になれるだろうか
  • 目ざめよ! 1999
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 自分自身を過小評価するのをやめる
  • 他の人に関心を持つ
  • 愛を動機とする
  • どうしてもっと外向的になれないのだろう
    目ざめよ! 1999
  • どうすれば内気でなくなるだろうか
    目ざめよ! 1983
  • どうしてわたしはこんなに内気なのだろう
    若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え
  • どうしてこんなに内気なのだろうか
    目ざめよ! 1983
もっと見る
目ざめよ! 1999
目99 11/22 11–13ページ

若い人は尋ねる…

どうすればもっと外向的になれるだろうか

「会話がはずんだことなんて一度もありません。何か言ったら,みんなからつまはじきされると思ってました。母はとても内気な人なので,母に似たんだと思います」― アルティ。

もう少し内気でなかったら,もう少し親しみやすくて外向的だったらいいのに,と思うときがありますか。このシリーズの前の記事で述べたように,内気は一般に広く見られる性向です。a ですから,あなたが物静かで,まじめで,無口なほうだとしても,別に気にすることはありません。しかし,極端に内気な傾向は大きな問題になりかねません。少なくとも,友達と楽しく付き合えないかもしれません。また,交わりの場で打ち解けたり自然に振る舞ったりすることが難しくなることもあります。

大人でさえしばしば内気と闘っています。バリーbはクリスチャン会衆の長老ですが,人々の中にいると黙りこくってしまうほうです。「自分が意味深いことを言えるとは思わないんです」と,バリーは言います。妻のダイアンも同じような問題を抱えています。ダイアンはどう対処しているでしょうか。こう述べています。「わたしは外向的な人たちと一緒にいるのが好きです。会話を肩代わりしてもらえると思うからです」。しかし,どうすれば,自分自身がもっと外向的になれるのでしょうか。

自分自身を過小評価するのをやめる

まず,自分自身に対する見方を調整する必要があるかもしれません。あなたは自分自身を絶えず過小評価し,人から好かれるはずはないとか,話す価値のあることなど一つも持っていないと思っていますか。自分自身について消極的な気持ちを抱いているなら,決して外向的にはなれません。イエスは,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と言われたのであって,隣人を自分自身の代わりに愛するようにと言われたのではありません。(マタイ 19:19)ですから,道理にかなった程度に自分を愛することは,健全で正しいことです。そうすることによって,他の人に近づくのに必要な自信を持つことができます。

自尊心が弱いために悩んでいるなら,「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」という本cの12章,「どうして自分がいやになるのだろう」を読むと助けになるかもしれません。そこに収められている情報から,わたしたちは一個の人間として自分を大いに役立たせることができるという点を理解できるでしょう。実際,あなたがクリスチャンであるという事実は,神があなたのうちに貴重なものをご覧になっている証拠です。イエスはこう言われたのです。「わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限り,だれもわたしのもとに来ることはできません」― ヨハネ 6:44。

他の人に関心を持つ

「自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める」,と箴言 18章1節は警告しています。そうです,人とかかわりを持とうとしないなら,自分自身に注意が向き過ぎてしまう恐れがあります。フィリピ 2章4節は,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」と勧めています。他の人の益や必要に注意を集中するとき,自分を意識する程度は少なくなります。また,他の人のことを気遣えば気遣うほど,その人たちと知り合いになろうとする意欲も強まるでしょう。

例えば,親しみやすさともてなしの象徴として知られるようになったルデアという女性について考えてみましょう。聖書の記述によると,ルデアは使徒パウロの言葉を聞いてバプテスマを受けたのち,パウロとその旅行仲間にこう懇願しました。「もし皆さんが,わたしをエホバに忠実な者と見てくださったのでしたら,わたしの家に……いらしてください」。(使徒 16:11-15)ルデアは新しく信者になった人でしたが,これらの兄弟たちと知り合いになるために積極的に行動しました。結果として,ルデアは多くの祝福を受けたに違いありません。パウロとシラスは,獄から釈放されたのちどこへ行きましたか。興味深いことに,ルデアの家に戻って行ったのです。―使徒 16:35-40。

人は関心を示されると大抵それにこたえ応じるということに,あなたも気づかれるでしょう。では,人に関心を示すことをどのように始めたらよいでしょうか。次に,役立つ提案を幾つか挙げましょう。

● 小さなことから始める。外向的とは,極端に陽気になるとか,忙しい社交家になるということではありません。人と話す時には,一度に一人の人と話すようにしてください。クリスチャンの集会に出席するたびに,少なくとも一人の人と会話を始めるという目標を設けることができるでしょう。ほほえむようにしましょう。目の接触を保つ練習をしてください。

● 話を切り出す。『どのように切り出したらよいのですか』と尋ねる人がいるかもしれません。他の人に心からの関心を抱くなら,たいていはそれほど苦労せずに話題が見つかるものです。スペインに住むホルヘという若者はこう言っています。「お元気ですかと聞いたり,仕事のことを尋ねたりするだけで,相手のことをもっとよく知ることができるということに気づきました」。フレッドという若者は,「何を話していいか分からないときは,相手に質問をすればいいんです」と提案しています。もちろん,個人的な事柄を詮索されていると感じさせてはなりません。相手が質問に答えたくなさそうであれば,自分のことを少し話すようにしましょう。

「人をくつろがせる一番よい方法は,自分自身について話してもらうことだと思います」と,十代の子どもを持つメアリーは言います。ケイトという若者はこうも述べています。「服装などについて褒めることは役に立ちます。人はそのように褒められると,自分が好かれていると感じるからです」。もちろん,誠実であるようにし,お世辞は避けなければなりません。(テサロニケ第一 2:5)人は心から出た,親切で感じのよい言葉にたいていこたえ応じるものです。―箴言 16:24。

● 良い聴き手になる。「聞くことに速く,語ることに遅く……ある」ように,と聖書は述べています。(ヤコブ 1:19)結局のところ,会話は一人で行なうものではなく,相互のやり取りです。ですから,恥ずかしくてなかなか話せないほうだとしても,そのような傾向は実際にはあなたに有利に働くことがあるのです。人は良い聴き手に感謝するからです。

● 仲間に加わる。一対一の会話の技術を習得したなら,何人かの人々の中で話すようにしてみましょう。この技術を身に着けるのに,やはりクリスチャンの集会は理想的な場所です。すでに始まっている会話に加わることは,会話を行なう一番簡単な方法となるときもあります。もちろん,そうするときには識別力と良いマナーがたいへん重要です。明らかにプライベートな内容の話には,横から口を挟まないようにします。しかし,何人かで軽いおしゃべりをしているのがはっきりしているなら,その中に入っていくようにしましょう。巧みであってください。話の腰を折ってはなりません。会話を一人占めしないようにしましょう。しばらく耳を傾けるようにします。緊張がほぐれると,少し話してみたいという気になるかもしれません。

● 自分自身に完全さを期待しない。若い人たちは時々,間違ったことを言いはしまいかと過度に心配します。「何か言ったら,悪い結果になるのではないかといつも心配していました」と,イタリアに住むエイリーザという女の子は述懐しています。しかし聖書は,人はみな不完全なので,非の打ちどころのない会話など不可能であるということに気づかせてくれます。(ローマ 3:23。ヤコブ 3:2と比較してください。)エイリーザはこう言っています。「わたしは,その人たちが友達であることに気づきました。ですから,何か間違ったことを言ったとしても分かってくれます」。

● ユーモアのセンスを保つ。確かに,変なことを言ってしまったときは,ばつの悪い思いをします。しかし,フレッドが述べているように,「リラックスして自分で自分のことを笑えるようにすれば,気まずい時間はやがて過ぎ去ります。でも,いらいらしたり,落胆したり,くよくよしたりすると,小さなもぐら塚が大きな山になってしまいます」。

● 辛抱強くある。だれもがすぐにこたえ応じるわけではないことも理解しておきましょう。会話が途切れて気まずい雰囲気になったとしても,それは必ずしもあなたが嫌われているとか,話そうとするのをやめるべきであるという意味ではありません。その人は単に他のことで頭がいっぱいなのかもしれません。あるいは,あなたのように内気なのかもしれません。そのようなときは,その人があなたに親しみを感じられるように,もう少し時間を与えてあげるとよいかもしれません。

● 大人に話す努力をする。大人,特に円熟したクリスチャンは,内気と闘っている若い人たちに深い思いやりを示してくれる場合があります。ですから,怖がらずに年上の人と会話を始めてみてください。ケイトはこう言っています。「大人の近くにいるとリラックスできます。大人はわたしと同い年の子どもたちのようにわたしを批判したり,ばかにしたり,困らせたりしないことを知っているからです」。

愛を動機とする

これらの提案は役に立つかもしれませんが,内気を克服するための簡単な処方箋などはありません。結局これは,巧みな技術ややり方を当てはめるという問題ではないからです。要するに,『隣人を自分自身のように愛する』ということなのです。(ヤコブ 2:8)ですから,他の人 ― 特にクリスチャンの兄弟姉妹たち ― を気遣うことを学んでください。(ガラテア 6:10)心に純粋な愛を抱いているなら,恐れや不安を克服して,他の人と親しくなろうとするでしょう。イエスが言われたように,「心に満ちあふれているものの中から口は語る」のです。―マタイ 12:34。

「他の人を知れば知るほど,その人に話すのが容易になります」と,初めに紹介したバリーは言っています。言い換えれば,外向的になろうと努力した分,人と話すのがいっそう容易になるのです。新しい友達ができ,以前よりも人に受け入れられていると感じるとき,あなたは努力のかいがあったと思われることでしょう。

[脚注]

a 本誌の1999年10月22日号,「若い人は尋ねる…どうしてもっと外向的になれないのだろう」という記事をご覧ください。

b 名前は一部変えてあります。

c ものみの塔聖書冊子協会発行。

[13ページの写真]

積極的に行動し,会話に加わってください

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする