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神権宣教学校の教育から益を得る
校 第14課 128ページ–130ページ 4節

第14課

自然さ

何をする必要があるか

自分らしくある ― 会話的,誠実,気取らない。

なぜ重要か

自分を意識しすぎて,話すときに緊張したり,硬くなったり,ぎこちなくなったりすると,述べる事柄から聴く人の注意をそらしてしまうかもしれない。

自分の考えを自然に言い表わすことは,人の信頼をかちえるのに役立ちます。だれかが仮面を着けて語りかけてきたら,その人の言葉を信頼するでしょうか。仮面の顔が話し手自身の顔より美しければ,少しは違うでしょうか。そうではないでしょう。ですから,うわべを飾ったりせず,自分らしくあってください。

自然さを,むとんちゃくさと混同してはなりません。文法の誤り,間違った発音,口ごもった話し方などはふさわしくありません。俗語も避けるべきです。話においても態度においても,常にふさわしい品位を示したいと思います。そのような自然さを表わす人は,過度に形式ばることも,人への印象を過度に気にすることもありません。

野外宣教で。あなたは,証言する目的で家に近づいたり,公の場所でだれかに近寄ったりするとき,緊張しますか。大抵だれでもそうなりますが,それが長く続く人もいます。張り詰めていると声に多少無理な感じがあったり声が震えたりすることがあり,緊張すると手や頭の動きがぎこちなくなることもあります。

奉仕者がこの問題を持つことには,いろいろな理由があります。自分の与える印象を気にしたり,うまく話せるかどうかと考えたりするのかもしれません。それは何も異常なことではありませんが,そうした事柄に注意を向けすぎると問題が生じます。宣教奉仕に参加する前に緊張する人には,何が助けになるでしょうか。注意深く準備することと,エホバに熱烈に祈ることです。(使徒 4:29)楽園<パラダイス>での完全な健康ととこしえの命を享受するよう人々を招いておられる,エホバの大いなる憐れみについて考えてください。自分が助けようとしている人について,またそれらの人が良いたよりを聞く必要性について考えましょう。

次の点も思い出してください。人は自由意志を持っているので,音信を受け入れることも退けることもできます。古代イスラエルでイエスが証言した時もそうでした。あなたに割り当てられているのは,ただ宣べ伝えることです。(マタ 24:14)人々が話させてくれないとしても,あなたがその場にいること自体,証言となるのです。あなたは,ご意志を成し遂げるためにエホバに用いていただいたのですから,成功していることになります。では,実際に話す機会を得たとき,どのような話し方をすればよいでしょうか。他の人の必要としている事柄に考えを集中すれば,話し方は心に訴える自然なものになります。

証言するとき,振る舞い方も話し方も普段と同じようにすれば,聴き手は気楽に感じます。また,こちらが伝えたい聖書的な考えを受け入れる気持ちも強まるでしょう。形式ばった講話をするのではなく,会話をすることです。親しみをこめてください。相手に関心を払い,自由に意見を求めてください。もちろん,初対面の人に話しかける際,言語や地元文化にかかわる一定の礼儀が必要であれば,それを守りたいでしょう。しかし,いつでもくつろいだ気持ちでほほえむことができるようにしておきます。

演壇で。一群の人々に話すときも,普通は,自然で会話的なスタイルの話し方をするのが最善です。言うまでもなく,聴衆が大勢のときには,大きな声を出す必要があります。話を暗記しようとする人,あるいは,原稿が詳細に過ぎる人は,きっと言い回しの正確さに気を遣いすぎているのでしょう。ふさわしい言い回しは大切ですが,そのことに気を配りすぎると,話は硬い,形式ばったものになり,自然さが失われます。考えは前もって注意深くまとめておくべきですが,おもに気を配るべきなのは考えであって,言葉遣いの厳密さではありません。

集会でインタビューを受ける場合にも,同じことが言えます。よく準備しておくべきですが,答えは,読んだり暗記したりしないようにします。心に訴える伸びやかさが出るように,自然な抑揚で話してください。

話の特質として望ましいものであっても,極端になると,聴衆には不自然に感じられるかもしれません。たとえば,正しい発音で明確に話すべきですが,硬い,わざとらしい感じにまでしてはなりません。強調や描写のための身ぶりは,上手にすれば話に活気を添えますが,硬い身ぶりや大げさな身ぶりは,述べている事柄の価値を損なってしまいます。十分な声量を用いるにしても,大きすぎないようにしてください。ときおり情熱をこめて話すのはよいことですが,オーバーにならないでください。抑揚,熱意,気持ちなどはすべて,自分に注意を引いたり,聴衆に不快感を与えたりしないかたちで表わすべきです。

改まった話をするときだけでなく,普段でもきちょうめんな表現をする人がいます。一方では,ややくだけた話し方をする人たちもいます。大切なことは,日常的にきちんとした話し方をし,クリスチャンとして品位ある振る舞いをすることです。そうすれば,演壇上でも,心に訴える自然な仕方で話し,行動することが容易になります。

公に朗読するとき。公の朗読は,努力しなければ自然な感じにはなりません。そのためには,読む資料の主要な考えを見分け,それがどのように発展しているかを考察しましょう。それを銘記してください。そうしないと,ただ語句を読むだけになってしまいます。慣れない言葉の読み方や発音を確かめてください。ふさわしい上がり下がりをつけられるよう,また語句のまとまりをつかんで考えをはっきり伝えられるよう,声に出して読む練習をしてください。流ちょうに朗読できるようになるまで何度も練習しましょう。声に出して読む時それが生き生きした会話のように聞こえるほど,資料に精通してください。それが自然さです。

言うまでもなく,公の朗読のほとんどは,聖書に基づく出版物から行なわれます。わたしたちは,神権宣教学校で朗読の割り当てを受けたときだけでなく,野外宣教のとき,また演壇から話すときにも,聖句を朗読します。兄弟たちは,「ものみの塔」研究や会衆の書籍研究の資料を朗読するよう割り当てられます。資格ある一部の兄弟たちは,大会の聴衆の前で原稿を朗読する割り当てを受けます。聖書も,他の資料の場合も,引用符で囲まれている部分を朗読する時には,生き生きした感じになるように読んでください。幾人かの言葉が引用されている場合には,人物ごとに幾らか声を変えましょう。しかし,注意も必要です。大げさにならないようにし,ごく自然な方法で朗読に生気を添えるようにしてください。

自然な朗読は会話的です。わざとらしさはなく,確信がこもっています。

どのように行なえるか

  • 普段のとおりに話す。自分のことを考えるのではなく,エホバのこと,また人々はエホバについて学ぶ必要があるということに考えを集中する。

  • 話を準備する時,正確な言い回しではなく,主として考えに注意を払う。

  • 講話でも日常会話でも,ぞんざいな話し方の癖を避ける。また,話の種々の特質を,自分に注意を引くかたちで用いようとする傾向を避ける。

  • 公の朗読をよく準備する。気持ちをこめ,意味をはっきり意識して朗読する。

練習のために: (1)マラキ 1章2-14節を黙読し,だれが話しているかに注目してください。そのうえで,ふさわしい表情をつけ,声に出して読んでください。(2)野外宣教に参加する前に,この学課の冒頭の二つの節,ならびに128ページの「野外宣教で」という副見出しのもとにある資料を読んでください。これを別々の機会に3回行なってください。助言を当てはめるよう努力しましょう。

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