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聖書に対する洞察,第1巻
洞-1 「アピウスの市場」

アピウスの市場

(アピウスのいちば)(Appius,Marketplace of)

ローマの南東64㌔の所にあった,市の立つ広場。それは,ローマの幹線道路として有名なアッピア街道沿いのよく知られた宿場で,その街道はローマからカプアを経由してブルンディシウム(現在はブリンディジと呼ばれる)まで続いていました。その道路も市の立つ広場も共に,西暦前4世紀の創建者であるアピウス・クラウディウス・カエクスからその名を取っていました。

[92ページの地図]

地図: アピウスの市場

ローマを出て最初の日の旅路の終わりに旅人がふつう投宿する地点として,この宿場町は繁華な交易の中心地となりました。さらに,ポンティナ沼沢地を横断してこの道路に並走する運河の北の終点に位置していたことも,この宿場町の重要度を高めるものとなりました。旅行者たちはラバの引く平底船に乗って夜中にこの運河を運ばれたと伝えられています。ローマの詩人ホラティウスはその旅の不快さについて記述し,カエルとブヨに関して苦情を述べ,アピウスの市場を,「船頭や強欲な宿屋の主人」のごった返しているところと描写しています。―風刺詩,I,v,1-6。

囚人としてポテオリからローマへ旅をしていた使徒パウロが最初にクリスチャンの兄弟の代表者たちに会ったのは,この繁華な連絡地でのことでした。それら兄弟たちは,パウロがやって来るという知らせを聞いてはるばるローマから出迎えに来たのです。代表者たちの一部は“三軒宿”(ローマに15㌔近い)で待っており,残りの兄弟たちは“アピウスの市場”まで出迎えました。―使徒 28:15。

現在でもフォロ・アッピオ,つまりアピウス広場として知られる場所がアッピア街道沿いにあります。標識が,かつて“アピウスの市場”があった一帯を示しています。アッピア街道の反対側には,ファイティと呼ばれる小さな田舎町があります。

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