(Harosheth)
正式には「諸国民のハロシェト」と呼ばれた場所。ハロシェトは,ハツォルで支配したカナン人の王ヤビンの軍の長シセラの軍事的拠点として機能しました。(裁 4:2,13)裁き人バラクはこの地点まで進軍して敵の軍に対する勝利を収めました。(裁 4:16)ハロシェトという名前(「森林地帯; 生い茂るやぶ」の意)は,エズレル平原の西の出口の近くでメギドの北北西約16㌔にある,エル・ハリティエに名残をとどめているようです。しかし,学者たちは普通,古代にハロシェトが実際にあった場所はテル・アムル(テル・メアンメル)の近くであると主張しています。