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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「パシュフル」

パシュフル

(Pashhur)

1. ゲダリヤの父。ゲダリヤは,エレミヤを水溜めに投げ込ませたことに対して責任のあるユダの君の一人でした。―エレ 38:1,4,6。

2. ゼデキヤ王がエルサレムの将来についてエレミヤに尋ねるために遣わした代表団の中の君。(エレ 21:1,2)パシュフルはエレミヤを死に処するよう王に嘆願することもしました。(エレ 38:1,4,6)パシュフルはそれら二つの聖句の中で「マルキヤの子」と呼ばれています。バビロンでの流刑から帰還した祭司の家族の系図にも,「マルキヤの子パシュフル」という同様の表現が含まれています。(代一 9:12; ネヘ 11:12)もし君であるパシュフルが実際に祭司であったとすれば,「パシュフルの子ら」(4項)という名称はこの人物にちなんでいるのかもしれません。

3. 祭司で,「エホバの家の主任事務官でもあった,イメルの子[もしくは子孫]」。パシュフルはエレミヤの預言に異議を唱え,エレミヤを打ち,足かせ台につなぎ,翌日になって彼を解きました。その結果エホバはエレミヤを通して,パシュフルがバビロンへ流刑になり,そこで死ぬことを予告され,それゆえに彼の名前をパシュフルから「“周囲に怖れ”」(ヘ語,マーゴール ミッサーヴィーヴ)と変えられました。(エレ 20:1-6)「“周囲に怖れ”」という表現はエレミヤ書の中に何度か出て来ます。―エレ 6:25; 20:3,10; 46:5; 49:29。

4. 「パシュフルの子ら」は祭司の父方の家でした。西暦前537年,「パシュフルの子ら」1,247人は祭司エシュアと共に流刑から帰還しました。(エズ 2:1,2,36,38; ネヘ 7:41)そのうちの6人は異国の妻をめとりましたが,エズラが西暦前468年に到着した後,妻を去らせました。―エズ 10:22,44。2項を参照。

5. 総督ネヘミヤの時代に異国の妻をめとらないという契約を支持した祭司,または,そのような支持を行なった人の父祖。―ネヘ 9:38; 10:1,3,8。

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