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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 12/1 514–519ページ

制度を認める模範

1 一人の宣教者が制度を認めたということについて,どんな聖書的な模範がありますか? その結果は何でしたか?

神権制度とその統治体を正しく認めることについての多くのよい模範を考えてごらんなさい。キリスト教の会衆がエルサレムで制度化されて間もなく,ユダヤ人宗教家たちの猛烈な迫害をうけて,その会衆はエルサレムの都から散りました。しかし,使徒たちは統治体として同市に残つていました。福音伝道者または宣教者であつたピリポは,北サマリヤで良いたよりを伝道し,その町に会衆を設立するのに成功し,その成員たちに洗礼をほどこしましたが,その会衆には一つの大切なものが不足していました。すなわち,それは奇蹟的な賜物を伴う聖霊でした。ピリポの願いは,その地生まれの証者たちで成り立つ会衆にも,これらの賜物を受けさせたいということでした。彼は神権制度を認めており,また御霊の奇蹟的な賜物は,小羊の使徒たちだけによつて与えられるか,あるいは彼らが直き直きに居合わせる時に与えられると知つていましたので,エルサレムに通知をいたしました。そのことは,福音伝道者または宣教者が無私と忠義の気持で神権制度を認めたものでした。その結果は何でしたか? 使徒時代の統治体は,使徒ペテロとヨハネを遣し,そして洗礼をうけたサマリヤの信者たちには,御霊とその賜物が与えられました。聖書にこう書かれています。『それで二人は下つて行き,彼らが聖霊をうけるようにと祈つた。というのは,彼らは主イエスの名によつて洗礼をうけただけであつて,聖霊は注がれなかつたからである。それで二人は彼らの上に手を置き,彼らは聖霊をうけ始めた。………使徒たちが手を置くことによつて,御霊は与えられた。』― 使行 8:1-19,新世。

2 パウロとバルナバの場合,彼らはどのように制度を認めましたか? どんな結果が,それに続きましたか?

2 後になつて,バルナバとパウロは,無割礼の国民に遣わされた宣教者でしたが,彼らは割礼と異邦人の問題で非常に悩まされました。二人ともその問題については正しく理解していましたが,しかしアンテオケの会衆で争論が起つた時,『彼らはパウロとバルナバおよび彼らのうちのある者たちに,この問題についてエルサレムの使徒や長老たちのところへ行かせるよう取り極めをした。』(使行 15:1,2,新世)神権制度をこのように認めたため,再びよい結果をもたらしました。エルサレムの統治体の特別集会が召集されて,その問題は徹底的に審議されました。ヤコブは神の代弁者として用いられ,聖書の成就に人々の注意を向けさせるとともに,無割礼の異邦人の信者たちが守らねばならない正しい結論を語りました。統治体は聖霊によつて支持をうけ,そのような信者たちに対する基礎的な要求を記した手紙をつくり,パウロとバルナバはその手紙を持つてエルサレムを去りました。その問題が討論されていた多くの町々で,この手紙は読まれました。パウロとその同労者が,信者のいた町々を旅行した時に,『彼らは,その地の人々に語り,エルサレムにいた使徒や長老たちが決定した命令を守るようにと告げた。』この結果からして,会衆が動揺し,意見の分裂をし続けることはなくなり,『会衆は信仰をかたく強められ,日ごとにその数は増し続けた。』(使行 15:3より16:5,新世)神権制度を認めることは,一致を保つて力を強め,多くの増加を得るものです。

3 今日誰が同じように制度を認めなければなりませんか? なぜ,そしてどのように?

3 今日でも,支部の僕や,制度の他のすべての特別な代表者たち,そしてまた制度によって奉仕の地位に任命されている者たちは,同様に神権制度を認めねばなりません。使徒パウロと彼の若い随伴者テモテの場合と全く同じく,キリストの下にある目に見える神権制度はこれらの任命者や代表者たちを任命し,職務に即けます。いま,なすべきことは,制度からの指示を受け,そして良心をもつてその指示を遂行することです。大切なことは,このことをするときに,ヱホバの神権制度の王なる支配者を心に留め,また王をよろこんで認めて行い,そして王のほまれのために行うことです。

4,5 私たちは,自分自身にほまれを取つて,そして王を暗やみに押しこめてはいけないと,ヨアブはどのように説明しましたか?

4 利己的な気持をいだいて,自分個人のために栄えを奪いとり,王を蔭に押しこめてしまうような努力を決してしてはなりません。ダビデ王の甥であつたヨアブ将軍の例を考えてごらんなさい。ヨアブは,王にたいして正しい気持を持つていた時に,物ごとを正しく認めていました。アンモンの国はダビデ王の使者をひどく侮辱し,それでダビデ王の戦闘指揮官であつたヨアブは首都ラバにむかつて戦い,その水の都を取りました。水の都とは,つまり水の供給を持つていた都の部分か,またはその水の供給を守つていた城砦でした,この大切な部分が取られてしまつたので,首都は長いこと保つことができず,結局にはどうしても降伏せざるを得ないでしよう。しかし,ヨアブは自分個人の名声を得ようと自分一人で都の包囲を強めて,成功の最高潮に達しようとはせず,彼の地的主権者とまたヱホバの油注いだ王に関する事柄の神権的至当さに対して正しい認識を示しました。ヨアブは,たとえ大切な準備の仕事をしたのではありますが,ヱホバの油注いだ王が敵の王都を取り,そしてこの偉業に対して名声を得るようにと欲しました。

5 『ヨアブはダビテに使者を送り,こう言つた。「私はラバと戦い,水の都を取つた。さて,民の残りの者を共に集めて都を囲み,それを取りなさい。それは,私が都を取つて,私の名前でもつてその都が呼ばれないためである。」それで,ダビデはすべての民を共に集めてラバに行き,ラバと戦つてそれを取つた。それからダビデはアンモン人の王の冠(またはミルコムの冠)をその王の頭から取つた。その重さは,一タラントの金であり,その中には貴重な石があり,その冠はダビデの頭の上に置かれた。そして,彼は非常に多くの都の分捕品を持ち出した。』― サムエル後 12:26-30,改訳; 10:1-7。

6,7 (イ)任命された僕は,その奉仕の割当てを,個人的な誉を得る踏石にはいたしませんが,それはどのようにしてですか?(ロ)個人的な誉の代りに,彼は何のために計画し,そして働きますか?

6 同様に,今日でも神権制度の代表者または,任命者は仕事の特別な割り当てをうけます。その者はその割り当てを達成しようと働き,ヱホバ神は祝福して成功を得させます。その仕事は完成に近づき,あるいは終に公やけに発表することが必要になります。もしも制度の代表者または任命された代理者が公やけに知られるのを求めるならば,どこまでも行い続け,達成された仕事が公共の注意をひいて,彼の名前がその仕事と結びつき,彼の名前が人々に言われ,そして自分自身の追従の名声を得るでしよう。しかし,その人は賢明な態度をとり,自分はただ神権的な奴隷であつて,制度内で特権の仕事を与えられたのみであり,自分がした仕事については公やけに讃められる価値などはなく,ただヱホバとその主イエス・キリストの助けによつてすることができたのであると心から認めます。その人は,利己的で個人的なほまれを得るための踏石として,この特権である仕事の割り当てをいたしません。そのようなほまれは,彼自身に対して公共の注意をひきますが,奴隷として彼が属している神権制度の重要さを隠蔽してしまうでしよう。

7 それで,その人は華々しい輝きの光から身を離します。公共の目から見えないように,自分の割り当てられた仕事をいたします。彼は身を退いて,制度内の上位の者にその仕事を続けさせ,全部の仕事を完成するのに必要な手段を取らせそして最終の成功を得て公共の注意の前に置かれます。このようにして,完成したことに対するほまれは,制度の王なる首イエス・キリストに捧げられるようにいたします。その人は完成したことについて制度がほまれをうけ,この完成は神権制度全部の仕事の一班であると公共の人に認められたく願います。制度が賞讃を得るようにしなさい,制度の深い認識こそ公共のあいだに持たれるべきものです。公共の人には,制度内にいる成員・つまり制度内の単なる奴隷たちを讃めさせるよりは,制度を主としていつも心に留めさせ,制度について語らせ,そして制度に確信を持たせなさい。こうするならば,滅亡に導く個人的な誇りが入るということは阻止され,そして神の大いなる御手の下にあつて自らを低くするということを意味します。それは,神が正しい時に忠実な者を高めることのできるためです。―ヤコブ 4:6,7。ペテロ前 5:6。

8 ヨアブ将軍は,ダビデ王がアブネル将軍を用いるのをどのように阻げましたか? ヨアブ将軍は,アブサロムに関係して,王の命令にどのように背きましたか?

8 ヨアブ将軍が,常にそのような神権的な気持ちを持ち続けていたならば,どれ程に良かつたことでしよう! そうではなかつたのです,彼は,他の者に対するねたみや,また王の任命に対してのうらみの心で,気持が多く動かされました。このために,彼はその王に対して反逆の行いをするようになり,そして最後の反逆の行いの時に,自分自身の生命を失いました。サウロ王が死んだ後,ユダの支族はヘブロンの町でダビデを王としました。他の11の支族は,サウロの子であるイシボセテを王として選び,内乱が続いて行われました。時がたつて,アブネル将軍はイシボセテと仲違いをし,ダビデ王と交渉し,ヱホバの油注ぎしダビデのところに支族の残りの者をひきつれると話しました。しかし,将軍ヨアブはアブネルに復讐の気持をいだき,アブネルを騙して殺し,このことを阻げました。(サムエル後 2:1より3:39)幾年か後に,ダビデの子アブサロムはダビデに反逆し,ダビデは止むを得ずエルサレムから逃げてヨルダン河を越えねばならず,アブサロムは優勢な大軍をひきいて出かけ,ダビデと戦つてダビデを殺し,イスラエルの王座を得ようとしました。ヨアブと同僚の者たちが戦いに出かけた時,逃亡者ダビデは彼らに命じ,『私のために若者アブサロムを手柔かに取扱つてもらいたい。』と言いました。しかし,アブサロムは敗戦から逃げようとしたときに,木の枝にその長い毛がかかつて,宙に浮いているとの報告をうけて,ヨアブは其処に行き,この無力のアブサロムに3度槍を故意に突きさし,殺しました。だが,ダビデ王はこのためにいたく歎きました。―サムエル後 15:1より19:4,ア訳。

9 ヨアブは,ダビデの行つたアマサ将軍の昇進をどのようにして阻げましたか? そして,ソロモンについての神の御目的とはどのように反対しましたか?

9 附随することですが,アブサロムはその反逆の時に,ユダの支族のアマサを将軍といたしました。(サムエル後 17:24,25)アブサロムが死んで後,イスラエルの支族は,ダビデ王がエルサレムに戻つてきてもらいたいとの願いを示しましたが,しかしユダの支族は,そうする決議をするのに遅かつたのでした。ダビデ王は,将軍ヨアブの反逆の行いを考えて,アマサに言葉を送り,不従順なヨアブの代りに彼を王の軍隊の指揮官にならせようと約束しました。ヨアブの性質として,ヨアブはこのことを深く憤りました。ダビデがエルサレムに戻り,アマサを任命してしばらくたつて後に,ヨアブはアマサに会いました。ヨアブは,丁度イエスに対するユダのように,欺きの身振りをして,アマサに接吻しようとしました。アマサがなんの疑うこともなく気をゆるめていたとき,ヨアブは剣を抜いて,刺し通し,その腸を地に流しました。(サムエル後 19:8-15; 20:3-13; 23:25)ヨアブは自身自ら殺人者であると表し示し,『太平の時に戦の血を流し,戦の血を己の腰のまわりの帯とその足の履につけたり。』(列王紀略上 2:5)ダビデの子アドニヤが,ソロモンをしてダビデ王の相続者にするというヱホバの任命より先んじて,彼を王として支持するよう人々の群に呼びかけた時,ヨアブはその招待の召しを受けいれ,アドニヤに従つて,支持いたしました。ダビデ王は,アドニヤの潜越な王位横領を阻げるため,その愛する子ソロモンを正式に即位させました。

10 ヨアブは,どのような最後を遂げましたか,なぜそうなりましたか?

10 ヨアブについて,ダビデがソロモン王に与えた最後の指示は,次のようでした。『それであるから,お前の知慧に従つて行いなさい,それは彼の白髪を安らかにショオールに行かせないためである。』(列王紀略上 2:6,ア訳)ソロモンにそれらの指示を行う時が来た時,ヨアブは逃れて幕屋を求め,ヱホバの祭壇の角をとらえていました。その聖なる場所で彼は撃ち殺されねばなりませんでした。というのは,ソロモンの言葉を引用するとこう記されています。『彼は,彼よりも正義であり名誉ある二人の人を撃ち,剣でもつて殺した。しかし,私の父ダビデはそのことを知らなかつたのである。すなわち,イスラエルの軍隊指揮官ネルの子アブネルとユダの軍隊指揮官エテルの子アマサである。』(列王紀略上 2:28-35,ア訳)ヨアブが不満足になり,彼よりも良い人々を彼の濫用した職務につかせまいと努めたために,彼は自ら災いに導かれました。

11 僕がどんな道をとるときに,最善の結果が得られますか? そして低位された時には,なにをしてはなりませんか?

11 今日制度内での任命された僕が,ヱホバの油注いだ王大いなるダビデに忠節を保ち,その奉仕の地位に対してなすことのできる最善のことをするならば一番良い結果が得られるものです。そして,それは神権制度を正しく認めていることであります。支部やまたは奉仕制度の他の部門で移動変更がされ,あなたが低位するならば,ヨアブのように憤りの心を持つて振舞うとか,新しい任命者とその地位に対してねたみの心を持たないように注意しなさい。あなたの前の地位にいまついている新しい僕を遅らせたり,阻げたり,また重荷をつけたりしてはなりません。そして,あなたがその地位で得たものよりも,新しい任命者の方がより多くの成功を得るようにとの真心からの願いをさし控えてはなりません。なぜならば,それは神の制度とその仕事が繁栄する時だからです。

12 協会が移動変更をする時,ヨアブのような最期を遂げるのを避け,又はデオテレペスのようになるのを避けるためには,私たちは何をすべきですか?

12 協会が移動変更をすることに対して,憤つたり,不満になる感情をなくするため,その変化で得られる教訓を謙遜な気持ちでうけいれ,どんな面であろうとあなたがしなければならない点において,あなた自身矯正し,改善してゆきなさい。穏和な気持を持つて,制度に忠節を保ち,あなたの後に入れ代る兄弟と仲良く働きなさい。それは,制度の善と進歩に貢献するものです。ヨアブの終りのような悲惨な終りを避けなさい。デオテレペスのしたように,神権制度とその統治体を決して無視してはなりません。デオテレペスについて,使徒ヨハネはこう書きました。『私は(統治体の一員として)いくらかのことを会衆に書いた。しかし,デオテレペスは人々のあいだで首になりたく思い,私たちから来るものを尊敬せず,うけ取らない。それで私が行くならば,彼のしている仕事を思い起させよう。彼は悪い言葉を用いて私たちについてとやかく言つている。また,これらのことに満足せず,それに尊敬の心をもつて兄弟たちをうけいれない。そればかりでなく,兄弟たちをうけいれようとする者を妨げ,会衆から追い出そうとする。愛する者よ,悪いものではなく,善いものを見習らいなさい。』(ヨハネ第三書 9:11,新世)それですから,謙遜になり,僕たちについての制度の任命に忠節であり,従順でありなさい。

忍耐できないことは傲慢に導く

13 ある僕は,制度からいましめをうけた後に,ヱホバに待ち望められないということをどのように示しますか?

13 神権制度を認めるときに,私たちは次の忠告に必らず従わねばなりません。『ヱホバを待ちのぞみて,その道をまもれ。』『ヱホバを待ち望め,雄々しかれ,汝のこころを堅うせよ。必ずやヱホバをまちのぞめ。』(詩 37:34; 27:14)第一に,これはいろいろな面で制度より先走つてはならないことを意味します。人は消極的な方法でこのことをいたすかもしれません。どのように? 奉仕の地位において,人は誤つたり,また間違つた振舞をして制度からいましめをうけるでしよう。そのいましめを受けた人が『私の奉仕は,認められていない』と考えるならば,それは自分自らを過大に評価しており,自分のことのみを強く考えすぎて,いましめの要点を見ることに失敗しています。いましめを聞いて,ひどく腹を立ててしまい,もう奉仕の地位で役立たないものであると自分に言い聞かせたり,または仕返しをすべきであるなどと感ずるかもしれません。それで,自分勝手に考えて,通知なしで突然にその地位を止めたり,制度の統治体からのなんらの命令なしに出て行つてしまいます。そして,その奉仕の地位をうち棄ててしまいます。それは早まつた,考えの足りない行です。いましめは,地位から人を解除することではありません。いましめは,その地位とまたその地位を持つている人の益のために与えられる矯正なのです。いましめを価値あるものとうけとつて,より良く行うように努め,そして制度の教を為すときに正しく振舞うことこそ良いことなのです。それからまた,そのいましめられた人を解除するか,あるいは変化した道をとつていることと考慮して同じ地位に残すか,どちらにしても制度の次の動きを待ち望むのは正しいことです。『こらしめのいましめ(または教訓)は,生命の道なり。』(シンゲン 6:23,改訳。ア訳)を記憶しなさい。いましめによつて益をうけ,その神権制度によつて代表されるヱホバに待ち望み,そして生きなさい。

14 ある者は,円熟している又はずつと忠実であると感じて,どのように先走ろうとしますか? 1917年1918年の裁きの試錬のあいだにはどうでしたか?

14 ときにある人は早く円熟したと感じます。つまり,精神的にもまたは霊的にも特別早く進歩したと自ら感じ,後れて愚図愚図して進歩しないように見える会衆内の多くの人々と比べてずつと忠実であると感ずるのです。それらの人は,自分自身のことをあまりに高く考えて,他の者たちや,また神権制度全部とも忍耐することができなくなります。彼らは,指導をして,真の進歩は何であり,進歩した真の思想と理解は何であるかを制度に示さねばならぬと感じ,離れて行きます。その時に,できるだけ多くのいわゆる『進歩主義者』を連れさり,神権制度と分れて行きます。それから,自ら勝れたものであり,より進歩したと考える彼ら自身の社会を設立します。1917年と1918年のひどい裁きの試みのあいだ,『ものみの塔』協会の多くの著名な人々は,全くそのことをし,そして彼ら自身の多くの分離した制度は設立されました。しかし,36年過ぎたいま,それらの制度は今日どこにありますか? また,一方に,ヱホバの神権制度は今日何処にありますか?

15 モーセの模範は,ヱホバの制度を棄てて,自分自身の制度をつくるものたちを,どのように叱責しますか?

15 そのような我儘な忍耐のない仕方に対しては聖書に良い模範があります。例えば,モーセを考えてごらんなさい。ヱホバ神御自身が,モーセをその族長とする新しい模型的神権制度を始められるという機会がありました。その新しい模型的神権制度は,神の律法の契約を破つて,淫らな犢崇拝を行つた不忠実なイスラエルの民とは入れ代るべきものでした。しかも,その機会はモーセがつくり出したものではなかつたのです。ヱホバは怒りを感ぜられ,モーセにこう言いました。『私を止めてはならない。彼らに対して私の怒は燃え,彼らを亡しつくそう。そしてあなたを大いなる国民にさせよう。』しかし,モーセは心に思い高ぶることをせず,深いことを考えていました。エジプトから堂々と救い出した民を,ヱホバが荒野で亡してしまうならば,ヱホバの御名に非難をもたらすでしよう。エジプト人や他の異教の人々は,ヱホバの御名を嘲笑し,ヱホバに悪い悪意ある考えを負いかぶせる機会ともなりましよう。モーセは,アブラハム,イサク,そしてヤコブと結んだヱホバの契約を憶えていました,というのはその契約は彼らの子孫であるイスラエルの国民に影響したからでした。モーセは,ヱホバの新しい制度内で素晴らしい地位を得るというこの機会を大急ぎで摑むようなことをせず,ヱホバにお願いしてその我儘な民に憐れみを感じ,ヱホバ御自身の御名のための忠実な残れる者を考えていただきたいと申しました。(出エジプト 32:1-14,新世)モーセの取つたこの無私の道は,ヱホバの制度を棄てて自分自身の制度をつくるものたちに対して,なんという叱責なのでしよう!

16,17 ヱホバに待つということについて,ヨシュアとカルブは,どのように試みられましたか? しかし,彼らは何をしましたか?

16 ヨシュアとカルブも,忠実な奉仕を常に続けてヱホバに待ち望み,ヱホバより先走ろうと試みなかつたすばらしい模範です。エジプトから出て2年目に,12人の間者が乳と蜜の流れる約束の地を偵察した後,10人の間者は,その地についての事実を曲げ,人々を失意落胆させて,ヱホバ神に従つて直ぐに行進するのを止めさせ,また処罰されている異教の住民を亡してその地を占領し,ヱホバの契約を立証するのを止めさせました。しかし,ヨシュアとカルブは忠実な報告をして,敵を圧倒するヱホバの力を崇め,イスラエルの国民を勇気づけてその地に進軍し,勝利を得ました。イスラエルは全能の神に対する信仰が不足しており,そしてこの時ヱホバ神に対して公然と叛逆したために,ヱホバは,生存者たちを約束の地に導く前に不忠実な不平家たちは荒野で死んでしまい,全国民は40年間荒野でさまようであろうと宣告をくだしました。

17 この神の言われた決定のときに,ヨシュアとカルブは何をしましたか?『私たちにとつてこの国民は遅すぎて,あまりに臆病である。自分たちだけで先に行こう。』と言いましたか? イスラエルは進歩することなく,また勇気がなくてすぐに怖気ついてしまうからというので,ヨシュアとカルブはイスラエルから逃け去つて行きましたか? イスラエルは全くそのような者たちでしたので,約束の地に入るのは39年も延期され,その期間のあいだ静止しておらねばならぬという刑罰をうけたのでした。ヨシュアとカルブは,他の者とくらべてずつと忠実であり,より義しいと感じ,この延期の年月のあいだそのような国民とは係るまいと決定しましたか? いいえ,そうではありません。ヱホバはその処罰された時代の者たちの中で二人を生存させ,後の時にその地に入れさせる恵みを与えると約束しましたが,二人はそのヱホバの約束に確信を持つていました。二人はヱホバの力ある御手の下に自らを低くし,その国民の制度に固くついていました。なぜならば,ヱホバ御自身も,またモーセもその制度から離れなかつたからです。モーセは再び神にお願いし,国民を亡ぼさず,またモーセからは『彼らよりも大いにして力ある国民』をつくらないようにと述べました ― 民数紀略 13:25より14:38,新世。

18 彼らが,そのような道を選んだために,彼らは何ものも失いませんでしたが,それはどんな面においてですか? 彼らは何についての模範ですか?

18 カルブとヨシュアは,国民の悪い行いの結果を共に苦しんで,そして国民より先に機会をとらえ自分たちだけで約束の地に入ろうとはしませんでしたが,それでもつて何かを失うということは全然なかつたのです。延期されたこの39年のあいだ,彼らはその民についてのヱホバの力ある業をさらに見ることができ,貴重な経険を積むことができました。ヱホバの定めた正しい時が来た時,ヱホバは忠実なレビ人と共に例外としてこの二人をカナンに入れさせました。ヨシュアはモーセの後継者になつて国家的な指導をし,カルブはモーセの忠実な仲間の戦士としてヱホバの至上権を立証しました。当時において,ヨシュアとカルブは目に見える神権制度にどれ程価値ある者であつたか考えてごらんなさい! 神の業に対しての忠実さ,神権的な従順,十分の力ということについて,また神への忠節と献身に対する神の報いということについて,二人はなんという良い模範なのでしよう! 今日,試みをうけている私たちにとつて,二人は非常に良い模範です。

ほまれを捧げる者たちにはほまれ

19 (イ)私たちは,何の拡大のために働くべきですか? 私たちは,どのようにして住んでいる土地の信者を助けて,制度の広さを見させるべきですか?(ロ)私たちは,それに対するどのようにして正しい行の力強い模範になることができますか?

19 神の言葉である聖書は,制度の本です。そして聖書は励ましと薦めとを書き録しており,神権制度を人間自己より上のものとし,どのようなことがあろうと神権制度を認めて,又制度に忠節に従うようにさせております。私たちの努力は,制度を拡大し,神の祝福の下に制度が繁栄するのを見ることであつて,制度の事柄の中で自分自身を大きくし,制度内の人々の尊敬や声望をうけたりしてはなりません。なぜラハブのようにならないのですか? ラハブはイスラエルの間者と契約を結びましたが,それはエリコの奇跡的な落城のときに彼女自身を保護し生存させるためだけでなく,信仰を持ちそしてラハブの家で安全を求めたすべての親族をも保護し,生存させるためでした。(ヨシュア 2:1-21)私たちは他の人々を援助して,私たちの交り,そして私たちがその僕であり象徴である神権制度を見させるべきです。丁度ヱホバの証者たちは,ニューヨーク市のヤンキー野球場で開催された1953年の巨大な大会の時その様でした。私たちが外国の地で支部の僕または宣教者として働いているならば,私たちはその地の信者と証者を助けて神権制度についての深い認識を得させなさい。そのことは,単にその地方の制度というもの以上のことを意味するものです。このようにして,人々を助け,制度が何を意味するかについて限定された地方的な見方を取り除くことができます。制度に対する私たち自身の破れることのない一致と調和,その取り極めに対する私たち自身の従順,御国のたよりを熱心に伝道する者として私たちがその制度とともにしつかりと働くこと,これらは力づよい模範でありましよう。私たちは制度を愛しますので,その制度が清さを保ち,その大いなる創造者にして造り主ヱホバ神が用いるのにいつもふさわしく清いものであるように欲します。私たちは,制度を愛しますから,火のようなひどい迫害も私たちを制度から引き離しません。

20 私たちは,どんな行にたいして,制度から必要な助けをうけますか? そして,何をすることに対して,遂には高められますか?

20 私たちが常に大切に思う一つの考えはこうです。私たちが謙遜になり,熱心で忠実な従順と協力により,忠節をつくして神権制度を認めるならば,神権制度は私たちを認め,私たちを支持し,私たちのために働き,そして私たちを神の奉仕に止め保ちます。神権制度の巧みな創造者にして神の沿う規則は,神自身の言葉によるとこう述べられています。『我を尊む者は,我もこれを尊む。我を賤しむる者はかろんぜられるべし。』(サムエル前 2:30)私たちは神の是認する制度を献心の心をもつて認めて,神を尊び,そして神に最大の尊敬を示すならば,私たちは制度と幸福であつて,満足をもたらす関係を保ち続けることができ,そして現在制度と共に奉仕の多くの特権を楽しむことができます。最後には,ハルマゲドンの戦いの後の新しい世で,その神権制度の中にいる者には,ヱホバ神よりイエス・キリストを通して正しい報いが来るでしよう。このことは次のことを意味します。すなわち,私たちは神権制度なしには決して成功し得ることはできず,そして,その神権制度は私たちを助けて神に対する忠実を保たせ,全宇宙に対する神の至上権とキリストの支配下にある神の御国を立証するのに私たちを参加せしめます。私たちはいま神の大いなる御手の下にあつて自らを低くしていますが,それに対して永遠の生命を与えられると共にその時私達は高められます。

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