何処に安全を求めるか
今日は儲け主義です。『どうして儲けようか?』という態度は,ほとんどすべての行為にしみ渡つています。金や富は,あたかも安全をもたらすもののごとく見なされて拝まれており,『安全』を望む願いで,他のあらゆるものを無視する場合は多くあります。神や家族への愛はおろか,自分の持つ礼儀・正直という本性をもふみつけている始末です。しかし,この『安全』は落ちつきのない不安定のもので,インフレ,犯罪,戦争というような多くの要素は,この『安全』をなくしてしまいます。それよりも,さらに勝れたもの,さらに堅固なものはないでしようか? アブラハム・ヨブ・そしてモーセの如き古代忠信者は,あると考えました。イエスや彼の使徒たちも同じくあると考えました。それらの人にとつて,金があるとか,または金が不足しているかということは,最大の関心事ではなく,彼らは神の奉仕と祝福を第一に置きました。それは,天に貯えられる宝であつて,『虫も錆もつかず,盗人も押入つて盗むということはない。』(マタイ 6:20,新世)全能の神から与えられる祝福 ― これこそ真の安全です。その祝福はかたく,動かず,そして確かです。それこそ真実の価値を持つています。あなたからそれを奪い取れる人は一人もいません。それは,あなたにいま満足を与えるだけでなく,永遠の生命にみちびくものです。この真の富を取りなさい。金ではなく,ヱホバをあなたの神にしなさい。