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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 7/15 268–276ページ

ヱホバの證者の近代歴史

その2 小規模な開始(1879-1889年)

1879年には,キリストの再来を宣言して居た沢山の初期の説のうち,どれがヱホバに選ばれ,彼の証者として活躍すべく統合されようとしているかが明白となりました。その当時にヱホバの御手がシー・チ・ラッセルを司会者としている小さなピッツスバーグの聖書研究の群の上に働いていたことは,75年後の今日,明白なことです。1879年以前の8年間に,これら聖書の『平信徒』の研究生は,正しいクリスチャン教義,予言の『時』についても又公衆に伝道することや彼らの新しく発見した真理を印刷する上に於いても,沢山の経験を得ていました。また彼らはイエスの贖の犠牲の問題の折にもたとえそれが以前の宗教の協同者との別離を伴つても聖書への忠実を示し,試練済のものとなつていました。

1879年までに次のことがはつきりと分つてきました。先ずキリストの再来が目に見えぬ臨在として始められること,世界が悩みと困難に会うときが目前に迫つていること,その次にヱホバのキリストの千年統治期間が続いて,地上に楽園状態を再現(回復)させ,全国からの善意者に永遠の生命が授けられるということ,またこのような祝福が再び回復させられる喜びの音信は全世界に先ぶれされねばならぬことなどを悟りました。野外経験から彼らの学んだことは,人々は講演とか聖書の話を聞いても間もなく忘れ易いということでした。ですから書籍,冊子,雑誌などの助けにより,教育的な奉仕を更にすることが適当であることを悟つたのです。それには彼ら自身が記述とか印刷とか発刊をなす準備をととのえて,これらの仕事を他の所謂『聖書研究の群』にまかせないほうが良いことも気付きました。当時の政策をきめる期間のいろいろの経験は,今日のヱホバの証者の協会にもその影響を及ぼして居ります。

ローチェスターの群の月刊雑誌,『あけぼのの先ぶれ』からの編輯とか財政上の援助をことわつて,ピッツスバーグの聖書研究の群は偉大な計画 ― 彼ら自身の手で初めて月刊雑誌を発刊するということに着手しました。1879年1月1日に,『シオンのものみの塔とキリスト臨在の先ぶれ』の第1号が発表されました。程なく6000部が配布されたのです。群の司会者であつたシー・チー・ラッセルは編輯者として選ばれ,それに5人の他の円熟した聖書研究者が正規の寄稿者として働きました。新しい月刊雑誌の最初の言葉は次のようです。―

『これは「シオンのものみの塔」の第1巻第1号である。ここにこの出版物の目的を言明しておくことは妥当であろう。我らが末の日に ―「主の日」に住んでいること,福音時代の「末」で,即ち「新しい時代」の明け方に居るという事実は御霊の導きによる御言の厳密な研究によつて悟り得るばかりではなく,今日の世界に表面化している徴もまた証明しているところである。我らは「信仰の家族」がみなこの事実に全く目覚めていることを望んでいる。』― 1頁

ここに皆さんは,『ものみの塔』の起源の話を読んだわけです。この『ものみの塔』はその初刊のときから今日の日に至るまで規則正しく発行されつづけて居ります。1892年には一月1回の発行から一月2回の発行へと変更し,たえず進み行く新しい聖書真理に応ずるようにしました。その配布数は最も興味あるものでしよう。1879年の6000冊から,1904年までに2万5000冊が規則正しく印刷され,1949年のある号には50万冊という驚嘆すべき最高数に達しました。然しそれだけで終りません。1955年には40ヵ国語に訳され,全世界に亙るその配布数は毎号195万の尨大な数にまで伸びたのです。『ものみの塔』発行についての長い忠実な記録は,今より75年以上の昔,偉大な出版事業を開始するに当り,ヱホバ神がこの小さなピッツスバーグの群を選んだという事実を更に証拠づけるものでしよう。真に何十年ものあいだこの雑誌は独特な,しかも神から祝福された霊的食物を与える通路として用いられていることが証明されています。

ラッセルは1877年と1878年を殆んど野外で費し,熱心に市から市に行き,またこの時までに成功をおさめていた彼の商業企業の大部分を閉鎖していました。この事業により彼には25万ドル以上の蓄えが出来ましたが,1879年にはピッツスバーグに定住するようになりました。更に,その年に,ラッセルはマリア・フランセス・アクレイと結婚し,彼女はラッセルの協同者となつて『ものみの塔』雑誌の記事にも寄稿していました。この二人の間に子供は出来ませんでした。約18年後の1897年に,ラッセルの妻が理事の一員となつて教えていることについて,ものみの塔協会の成員からの反対があり,彼らはテモテ前書 2章12節に反するものと指摘しました。このときからラッセルとその妻との間に,雑誌,『シオンのものみの塔』の編輯についての意見の相違が生じたのです。それで彼女は,協会の本部からはなれても自活できるように金銭上のことを取極めてから,ラッセルから自発的に別居しました。然しながらこの合意の別居は,ずつと後の離婚手続(1906)と全く関係ありません。ラッセルの敵の宗教家は不当にも彼を『不貞なる者』と非難し,なおその説を固守していますが,それは根拠のないことです。ラッセルが不道徳な人で,不貞の故に離婚されたと誤つて非難した,または今でも非難しているものの偽りなることを,法廷の記録は明瞭に示しています。

1879年と1880年には,興味を抱いているもの,即ち『ものみの塔』の予約者の小さな会衆を組織すべく努力が傾注されました。ペンシルヴァニヤ,ニューヂャーシー,ニューヨーク,マサアチューセツ,デラウェアー,オハィヨーおよびミシガンには30以上の会衆が形成されました。1880年に,ラッセルはこれらの各群を訪れ,少くとも6時間を共に過しました。特別な会衆の歌の本が準備され,それは『花嫁の歌』と名付けられました。この頃までに聖書の研究から明らかになつたことは,主の『夕食』は記念として1年に1度 ― 過越しの日,アビブ(ニサン)の14日に ― 祝れるべきことでした。このことは,晩餐とか『ミサ』を毎年何回も行う教会の非聖書的な習慣とは全く異つているものです。1879年及びそれ以後の二,三年のあいだ,興味を持つ凡ての賛同者はピッツスバーグへと旅行し,この地で初期会衆の最初のそして最大の集会を持ち,彼ら名付けていたその『年毎の夕食』を共に祝つたのです。同時にクリスチャン研究と交りのための小規模な大会を持ち,それは年毎に増す賛同者を得ました。

これらの会衆はギリシャ語聖書にある名前によつて『エククレシアス(会衆)』と,またあるときには『クラス(級)』と呼ばれました。彼らは会衆派と長老派の教会経営方式で組織されていました。凡ての会員は事務の事項について投票権を持ち,7人又はそれ以上の『長老』(長老派のように)を選挙します。そして長老たちは会衆の指導的の事項を指導しました。(第1世紀に存在していたような会衆指導上の神権的方式は1938年になつて始めてヱホバの証者の上に回復されていた。)これらの会衆はそれ程密接に結合されては居らず,ラッセルとかその他の『ものみの塔』の著者が長老となつていたピッツスバーグからの指導に従い,その会衆の手本にならつていただけでした。ピッツスバーグ(『アレゲニイ』)会衆は日曜日2時30分から4時まで集会を開き聖書講演をきき,水曜日の夕方7時30分から9時までは,祈りと個人の証言のための『家庭集会』が開かれました。金曜日の夕方には聖書研究のための『黎明のつどい』が司会されていました。

1880年中にラッセルと彼の援助者たちは,数種のパンフレットを書くに忙しい日々を過していましたが,それらのパンフレットには,それぞれ番号がつけられて居ました。最初には『聖書研究のパンフレット』と云われていたこの連続パンフレットは,1891年以降には,『旧神学の四季刊行物』とも呼ばれました。それは,『ものみの塔』読者によつて無料で公やけに配布され,教会教義の誤ちを暴露したのです。伸びていく出版事業を導き指導していくために,はつきりとした協会を組織することの必要性が認められてきました。そこで1881年の初期に,『シオンのものみの塔』冊子協会が設立され,それはラッセルを支配人に持つ非法人の施行機関でした。ラッセルとその他の方々は,この冊子刊行の制度を運営していくため,3500ドルをおしみなく寄附しました。次に,ピッツスバーグ5番街101番地にあつた彼らの1879年以来の本部から,40番国道にあつた大きな新しい建物へ移転しました。この場所は以前ラッセルが彼の連鎖商店企業を持つていたところです。この新しい取極めにより何百万という聖書のパンフレットも又『ものみの塔』も更に印刷され,ここより洪水のように出ていきました。1881年までに,『幕屋の教えと思慮あるクリスチャンの糧』と名付けられた大きなパンフレットの記述を終了しました。これは後に162頁の冊子となり,1881年9月号の『ものみの塔』の特別号として印刷され,配布されたものです。

このときラッセルはまだ30歳以下の年でしたが,彼とその熱心な協同者は,出来得る限り早く,この音信を拡めたいという熱意で燃えていました。このことは,次の1881年の『ものみの塔』の発表によくうかがわれますが,当時にはこの運動を支持し活動していたものは僅か100人であつたことに気をつけて下さい。

『1000人の伝道者を求む。尨大なる分野が,献身せる凡ての男女の時間も才能をも要求している。主は彼の真理の知識を彼らに授けてきている。……主の業に自分の時間の半分を又はそれ以上を専ら捧げ得る立場にある人々に,私達の提案したい計画がここにある。……即ち聖書配布者又は伝道者として,大きな都市又は小さな町へ行こうとも,各地で力を尽して,熱心なクリスチャンを探されよ。何らかの収入がないならば,大多数のものは,旅行したり,衣食を得ることは出来ないから,パンフレットと『黎明のとき』(書籍)とを協会は無料で供給する。またこれらの人々は『ものみの塔』の予約から得た金銭と必需品を求めるに用いても良い。』

1888年までに,熱心に目指されていたこの『1000人』の目標に対し,50人のものが遂に全時間奉仕に自発的に志願したのです。彼らには,毎週の野外報告をピッツスバーグの事務所に提出することが要求されていました。全時間開拓者(聖書配布者)の起源はここからです。時が経つにつれ,幾千人の者が参加して,祝福された御国伝道者の勇敢な群を築いていきました。事実1954年には,全世界において,これら全時間の教育者は1万7265名に達しています。

凡ての『ものみの塔』の読者及び特に会衆の集会出席者すべてが野外証言の業に参加し,パンフレットを友や隣人に配布するよう努力が傾注されました。野外伝道に関する,1881年の初期の指示を次にかかげます。

『沢山の時間を又は少しの時間を捧げて伝道しているもの凡てに,協会は提案したい。『正しい』ことを教えているばかりでなく,真理を適切な『方法』と『秩序』とを以つて提供することが最重要事である。神の繰りひろげられている目的の美しさと祝福とを先ず証言し,次にこれらは凡て,『王』と来るべき御国にかかつていることを示しなさい。次にあなたに聴く者が又は読者が王を愛し,御国を待ち望むようになつたら,彼の再来の『方法』について証言するのも間近いことであろう。その再来は,人としてのイエスではなく,『見えない』姿で霊者なるイエスとして来るのである。……そして最後には『時』を ― 即ち,我らが「人の子の日」に生存していることを証言せられよ。

この方法で幾百というクリスチャンが徐々に養成され,野外奉仕に参与するように訓練されて行きました。これが緒口となつて今日の私達の時代に,この伝道の業は力ある洪水のようにまでに拡大し,50万を越えるヱホバの証者の大軍勢は家から家と規則正しく行き,聖書,パンフレット,その他の聖書研究の助けを配布しているのです。

まだ若い『ものみの塔』協会の働き人たちが,新しく発見した聖書の真理を人口の多い都市で拡める計画に用いた方法は,今日の目まぐるしい通信機関の先がけを行くものでしよう。これらの初期時代には,異常な方法をも用いました。二つの例をあげましよう。

『ニューヨークの著名な新聞の支配人は,パンフレット(『思慮あるクリスチャンの糧』)の1冊づつを全購読者に送ることに同意した。その他,シカゴ,ボストン,フィラデルフィヤ,ニューヨークの都市でも我らの仕事に同様なる好意を寄せた。協会はこれらに衷心からの感謝をささげている。(他からも同様な申込をうけて迷惑をうけないように,我らはその新聞社の名前の発表を避ける)

この驚くべき程大規模な業を,更に説明している言葉は次の通りです。

『ほんの僅かな小規模な始まりを持つていた小冊子の仕事は,120万冊という尨大な規模にまで拡大した。……幾百という男,女が準備と配布に動員された。ロンドン(英国)では500の少年が,又ニューヨークでは300名が ― その他の都市ではそれぞれの数の者が,働いていた。この配布は大都市に於いて日曜日に教会の戸口で行われた。』

また1881年には,欧洲へ伝道の業を押し進めるため二人の兄弟が英国に送られました。彼らはロンドンに於いて10万冊の小冊子を配布し,スコットランドのグラスゴウ,エデインバーグ,デユンデー,及びアバーデインでは6万5000冊が配布されました。(次号に続く)

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