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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1955
塔55 9/1 327–330ページ

ヱホバへの献身

『神よ,あなたの御意を行おうとして,……私はまいりました。』― ヘブル 10:7,新世』

1 ものみの塔の支持しているものに関して,約200万人の人々はどんな個人的な質問に面しますか?

あなたは,約200万人の『ものみの塔』の読者のひとりであつて,この雑誌のどの号もヱホバ神の崇拝を支持していることにおそらくお気づきでしよう。あなたにとつて,ヱホバ神の崇拝とはどういう意味を持つものですか? あなたにとつて,宗教はどうでも良いことがらですか? それとも,あなたの生活の中できわめて重要な地位を占めますか? もし聖書の真理を良く知つておられるならば,あなたは多くの霊的な祝福をうけています。そしてあなたと同じような全地の幾十万の人々とともに,宇宙の大いなる神についての知識と理解に進歩して行く祝福された機会を持つています。これは,あなたにとつて重要ですか? 真理によつて,あなたの心には崇拝したい気持ちが生じましたか? 多分生じたことでしよう。あるいは生じないかもしれません。あなたがこれらの言葉を読み,又聖書を開きつつ,この記事と次の記事を注意深く研究することは,非常に良いことです。それにより,あなたには聖書を読むだけの勇気があり,また真理を知りたいという希望のあることが示されるからです。あなたは,神の御言葉について怠慢,無関心,臆病の道を取つていません。

2 ことさらに無関心の態度を取れば,原則対御都合主義の問題を避けることができますか?

2 多くの人は御国の音信に注意を払いません。その理由を知るときに,あなたは驚くことでしよう。多くの人は,明白でしかも美しい聖書の教理や,いま成就されている予言の証拠や,キリスト・イエスの御国臨在を証明する大いなるしるしや,そして躍進する新しい世の社会のすばらしい業に注意を向けた後に,こんな風に言います『それはあなた方の聖書の解釈です。別の人は別の解釈をします。私にも自分の解釈があります。それで,私には別段興味がありません。』そのような人は,意欲がないために,興味を持つていません。しかし,次のことはたしかです。これから先の生涯,それらの人はヱホバ神とその御言葉にたいして,ことさら無関心の態度を取るにしても,しかし自分の行動を,原則に基いて行うか,または御都合主義に従つて行うかという問題に,たえず直面するでしよう。私たちの時代が裁きの時代であるという理由からしても,このことは真実であります。―1952年8月15日と9月1日号の『ものみの塔』を見なさい。

3 聖書の知識にことさら興味を示さない理由はなんですか? それは,どうして臆病と言えるのですか?

3 聖書の知識にたいするそのような態度は,怠け者の態度です。それは,自分の心を使つて神の御考えを知ろうとする進取性と積極性に欠けているか,あるいは単なる無関心の答であります。どちらの場合にしても,それは神の御言葉を軽んじているのです。そして実際には,違つた人が違つた考えを持つているため,全能の神の考えは全然大切ではないと言つているのです。しかし,この答は多くの場合に,臆病の答であります。人が真理を恐れ,また真理を知ることによつて課せられる責任を恐れ,また現在の自分の不敬虔な行が示されるのを恐れてそう答えるならば,それは臆病の答であります。まつたく公正で聖なる唯一つ真の神の御言葉に記されている公正と正義の原則から,人はいまはなれており,不義の行をしているからです。ヱホバの御言葉に対するあなたの態度は,どのようなものですか?

4 どんな見地を持つことにより,私たちのよろこびと尊崇は増し加わりましたか?

4 聖書の真理を理解して受けいれることは,他の人の解釈に,ひとりの人が反対の解釈を持ち出すことでは決してありません。それは,ヱホバ神が御言葉の中に述べられていることをうけ入れるか,あるいは棄てるかという問題です。ヱホバ神は,御言葉により人を教え,正義とヱホバの崇拝を知らせています。聖書の中にあるすばらしい真理により,幾十万という多くの人の生活はよろこびの充ちたものとなり,その心は幸に充ち,そして神への尊崇は増し加わりました。『ものみの塔』の雑誌は,たえずその真理を支持しており,かつ尊重しています。あなた御自身の場合,聖書研究にたいするあなたの態度はいかがですか?

崇拝

5 生命を持たないものや,植物,そして動物は,どの程度まで創造者を讃美しますか?

5 私たちの身のまわりには,創造者であるヱホバをそれぞれの方法で讃美し,崇めているものがあります。しかし,それらのものはヱホバを崇拝する私たち人間の力を持つていません。詩篇19篇で絵のごとくに述べられている無生の創造物は,ヱホバの讃美を『歌』います。『もろもろの天は神のえいこうをあらわし,大空はその御手のわざをしめす。』(詩 19:1)神の御住居の天に住む者たちや,新しい世の新しい天は,ヱホバの讃美を歌い,そしてヱホバを崇拝します。しかし,実際の星や,太陽や,岩は神を崇拝するでしようか? もちろん,そういうことはありません。美しい宝石は,それを仕上げた人の誉を示しますが,しかし生命を持つていないために,その宝石は清い宗教を伝えることはできません。私たちは,この地を装う自然の美を知つています。労しない美しい野の百合は,その造り主を崇めています。しかし野の百合は造り主の崇拝に参加しますか? もちろん,そのようなことはありません。面白くて愛らしい動物は,寿命を生きて目的を果しており,そしてヱホバのすばらしい御力を明白に示すものです。しかしながら,牝の獅子や小獅子,鴉の子,山羊,野驢馬,野牛,駝鳥,馬,蝗,鷹,鷲,また空中,陸上,海中の生きている他の動物は,神を崇拝しますか?(ヨブ 38:39より39:30)御存知の通り,その一つとしてヱホバ神に崇拝を捧げることができません。なぜですか? なぜならば,それらには理智が無いからです。この記事と,この記事に関係する記事が示している一つの目的は,清い崇拝という見地から,一方に人間,そして他方に動物,植物,無機物体との相違を示すことであり,かつこの相違があなたにおよぶ万一の影響を示すことであります。

6 人間と人間以上の者だけは,どんな特質を持つていますか?

6 私たちの良く知つているヱホバ神の創造物で,人間より低いものは,間ちがいなくその目的を果しており,そして神の御力を証明しています。しかし,忠実,愛,公正,そしてこれに関係する性質は,人間以下のものにありません。それらのものは人間か,または神の創造の高い者たちが持つております。それは崇拝の性質であります。清い宗教である崇拝は,ただ理智を持つ神の創造物だけが為し得ます。

7 人間が成功するか,あるいは人間が失敗するかについて,何が証明していますか?

7 ヱホバを崇拝していることは,真実の理智を証明するものです。(シンゲン 1:7; 9:10)いわゆる『理智』を持つ創造物でありながら,ヱホバ神を崇拝しないことは,その創造物自体の失敗です。そのような無用の人間は,地に戻つて行きます。それは至極当然です。まつたくのところ,理智に欠けた人間のいるよりは,獣や,花や,あるいは岩のある方が,はるかに良いことです。(詩 14:1)『人の中には霊あり。全能者の気息人に聰明を与う。』(ヨブ 32:8)人に与えられたと示されているこの『聰明』は,正しい行為をするための理智,識別力,知覚力,賢明,智恵を意味しています。

8 各人が問わねばならない良い質問を述べなさい。そして,それにたいする主要な答を言いなさい。

8 理智を持つヱホバ神の創造物は,どのようにヱホバを崇拝しますか? 私はどのようにヱホバを崇拝することができるかと,尋ねるかもしれません。人はこの質問を尋ねるべきです。その質問を避けて,気にかけないことは,愚かなことです。私たちの望みは,神御自身の御言葉,聖書の中にある神の答を指摘することです。また,多くの読者が,この事柄についての大切な聖書の真理を悟り,そして従つて頂きたいものと希望し,信頼し,そして祈つています。なぜならば,それこそ永遠の福利に是非とも大切なものだからです。神を崇拝したいと望む各人が,まずヱホバへの献身をすることは必要です。

ヱホバへの献身

9 人間の最高の行は,何ですか? 卑劣などんなものは,それを妨げますか?

9 人間はヱホバ神に献身することによつて,人間より低いすべての創造物とまつたく区別されるようになります。それは,人間の,一番高く,かつ一番崇高な願であり,また望みであります。そして,生命を得る人類は,みなその道に従わねばなりません。(ヨハネ 17:2,3。詩 119:1,2)聖書の中に啓示されているヱホバを理解するようになつても,人は利己主義に妨げられて,ヱホバ神に献身することはできません。どうして,そのようなことはあり得ますか? 多くの宗教の人で,ヱホバ神に献身している人は,まずいないではありませんか? 本当に多くの人は献身していません。実際,ヱホバの献身した地上の僕の数は,少数です。しかし,それらの人々は,あらゆる階級,あらゆる層から来た人々です。人はそれぞれ,何らかのものに献身していると言つても間ちがいでありません。一般の人の献身には,何が欠けていますか? それは,その御名がヱホバである宇宙の全能の神に献身しているのではなく,むしろ自己の利害か,あるいは他の義か,或は他の神に献身しているのです。それで,それらは献身した者たちをヱホバ讃美の永遠の生命に導いていません。

10 クリスチャンの献身を定義しなさい。

10 『献身』の本来の意味は,公表する,断言する,おごそかに述べる,身を捧げるということです。それは,特定の使用のために,あるものを取り分けるか,または捧げる行を指します。人あるいは物が,ある仕方か道,または使用を始める行を指しています。クリスチャンにとつて,献身とはヱホバ神への奉仕と崇拝のためにすべてのものを,まつたく捧げることです。それは,キリスト・イエスを通してヱホバ神の御意を全く無条件になそうと同意し,自分自身を専心それに捧げることです。その御意は,どのように表明されますか? 宗派や分派を通してですか? 人間の計画や,人間の制度を通してですか? 答は否です。神の御意は聖書の中に表明されており,そして神の聖霊によつて明らかにされています。それで献身は次のことを意味します。人は献身した後,この腐敗した世から離れて聖い生活を行わねばならず,そしてヱホバ神に奉仕しなければなりません。

11 献身の問題にたいして,多くの人はどのような反応をいたしますか? その問題を無視することができますか? あなたは,どのようにして祝福された人になりますか?

11 『私には,それができない』と多くの人は言います。『神を生活の第一にすることは,とうていできない。自分自身の利害や,自分に属する物や人の利害を第一にするが,神は第二にする。もちろん,私は神に奉仕し,時々都合の良い時には神に感謝を捧げる。しかし,ヱホバに献身すること? 私には,どうしてそれができようか?』 大抵の人は,そのような態度を取ります。この雑誌を読んでいる多くの読者は,ヱホバに奉仕するために,献身をしておりません。前に述べたように,ヱホバへの献身を阻げるものは,自己の利害を考える利己主義です。あなたはこの問題を避けることが決してできません。その問題を無視することはできません。どうしても,それに面しなければなりません。献身は決定を要します。あなたは,生命をお与えになつた神を崇拝して奉仕するか,あるいは自分個人の生活で神の御言葉と御意を無視するかを決定しなければなりません。神があなたになされた善を深く感謝して,正直に,かつ誠実な気持ちから,そしてまた神への愛という気持ちから神に奉仕しようと献身するならば,あなたは本当に賢明な人であり,祝福された人であります。

12 ヱホバ神に献身する理由を述べなさい。

12 人は,ヱホバの御意と,そして神の御言葉に導かれるというおごそかな同意をなすために,また神の目的と一致して行い,また努めて聖書の高い標準に従おうとするために,なぜ献身しなければなりませんか? 人は,なぜこれをなすべきですか? それよりもむしろ,人は,なぜそれをすべきでないでしようかと尋ねるべきです。ヱホバ神への全き献身は,ヱホバ神がそれをうけるのにふさわしい方である故になされるべきです。ヱホバ神御自身の至善さの故に,彼を愛する者たちが献身するのは当然であります。(ペテロ前 1:15,16)私たちの讃美,奉仕,崇拝をヱホバに捧げることは,全く当然なことです。彼は真の宗教の中心です。私たちの不備な言葉でヱホバの至上の御性質を述べることは不可能であります。しかし,人が真心からヱホバに感謝するとき,あらゆる善の与え主ヱホバにたいする愛が生じます。ヱホバに感謝するということは,彼の至善さについて正しい認識をなし,ヱホバの至上性を十二分に悟り,私たちの神について満足と嘉納の暖さを感じ,そしてヱホバの御業に感謝することであります。あなたは生命と,その祝福,真理,啓示された神の御言葉,人類のために御子キリスト・イエスを通して為された御業,天にいまや設立されている御国,地上でいま行われているヱホバの御業,そして現在活動している新しい世の社会に感謝していますか? あなたはこれらの事を敬重していますか? あなたはそれらを拒絶するか,あるいは,感謝の気持でうけいれるかのどちらかです。もし,あなたがそれらを感謝し,それを備えられた神に感謝するなら,自分自身を献身して神に奉仕するでしよう。全き感謝の念は,献身に導きます。ヱホバに献身することは,生命の大いなる源に献身することです。それは,生命をうける者すべてが従わねばならぬ行為であつて,本当に賢明な道であります。―シンゲン 14:27。

13 献身をすることによつて,何が表明されますか? 献身は何に導びきますか?

13 『人が最善のことをして,仲良くして行おうとすれば,万事みなうまくなると信ずる。』多くの人は実際そのように言います。しかし,それは聖書の教えることではありません。それは自己欺瞞です。(シンゲン 14:12)『万事みなうまくなる』人々は,永遠の生命をうける人々です。しかし,生ける神,大いなる創造者御自身,そして生命の泉から切り離されながら,永遠の生命をうけることは不可能です。神の生ける御言葉は,このことについて全然疑問をはさみません。献身はヱホバへの全き信頼と確信を表明します。献身は次のことを表します。つまり,献身する人は,ヱホバが神であること,神が正しい方であること,神の義がかならず勝利を得ること,そして献身した者の心と気持には一点の疑問もないこと,そしてヱホバ神の側に立つて幸福とよろこびに充ちていると確信していることです。

14 (イ)ヨハネ伝 3章19-21節のイエスの言葉を読みなさい。それから,その論議を自分の言葉で言い直しなさい。(ロ)今日のクリスチャン献身について,私たちは何にはげましと確信を求めますか?

14 ヨハネ伝 3章19-21節(新世)に記録されているキリスト・イエスの言葉は力強いもので,しかも啓示を与えるものです。イエスは,こう述べました『いまや,これが裁きの基である。光は世に来たが,しかし人は光よりも暗い方を愛した。人の業は悪いものだからである。悪いことを行う人は,自分の業が明るみに出されるのを恐れて,光を憎み,そして光に来ない。しかし,真実を行う人は,光に来る。それは自分の業の神と一致して為されたことが示されるためである。』そこに述べられている裁きの基は,変化しておりません。そして神の真理の言葉である聖書の光を持つ理智の人々,すなわち私たちの前に,問題は厳然として置かれています。キリスト・イエスはヱホバに献身していて,クリスチャンの従うべき正しい型を残しました。イエスの時以前にも,献身の事柄は真の神の崇拝と関連していました。それで,次の記事では歴史に考慮を払つてみましよう。それは,神権的な御国の設立されているすばらしい今日にあつて,私たちを励まし,かつ確信を与えるものです。

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