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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 2/1 56–59ページ

人間の建てた一番奇妙な都市

古代ペトラの運命はどのように聖書を,神の言葉と立証しますか

死海を去る南60マイルのところに,かつて或る詩人が,『年を経たバラ色の都』と呼んだ廃墟が横たわつています。それは多くの探険家が,人間の建てた一番奇妙な都と呼んでいるペトラです。昔この都は,実際に難攻不落の都でした。そしてそれに不思議はないのです。ペトラは円形劇場のような山ふところに抱かれ,都の門は細く長く続く峡谷です。住民は,けわしい岩や崖をくりぬいた洞窟の中で生活しました。彼らはその岩屋の中で安心して暮しその安全さを誇つたものです。この都のペトラというギリシャ語の名前でさえ,磐を意味し,安全であることを示していました。しかし,人々が自慢していたその都の堅固さや,隊商交易の中心としていちぢるしい繁栄を極めたにも拘らず,この都は廃墟と化し,その中の住民は種族として絶滅してしまいました。では,そんなにも偉大で堅固であつた都ペトラが,なぜ今日ではあれすたれた荒野となつているのでしようか。

聖書は私たちにその理由を教えています。事実,最初にこの都に住んだ人々の歴史は,聖書の中に書かれています。セイル山というのは,聖書がこのペトラを取りかこむ一帯の土地に与えている名称の一つです。もともとこの岩石の多い地方には,洞穴居住民のホリ人が住んでいたのですが,しかし,ヤコブの子エサウの子孫がホリ人を追い出してしまいました。『ここにおいて,エサウ,セイル山に住めり。エサウはすなわちエドムなり』(創世 36:8)このようにして,この険阻な地方一帯はエドムと呼ばれるようになり,その住民はエドム人と呼ばれました。

鷲のような種族

エドム人はまるで鷲のような種族でした。と言うのは,彼らは,山や崖の迷路や,自然のままの谷間や,肥沃な盆地を縫つて続く岩棚の上で住んでいたからです。鷲は,人間のよりつくこともできない高い場所に巣を作ります。『鷲のまいのぼり,高きところに巣を営なむは,あになんぢの命令に依んや。これは岩の上に住所を構え,岩の尖所またはけわしき所におり』(ヨブ 39:27,28)エドム人は,ちようどこの鷲のように,切り立つた岩の中の堅固な場所に住んでいました。一体どのような敵がそのような絶壁のなかにある住家を,攻めることができるでしようか。また誰が彼らをそこから引きおろすことができるでしようか。一体誰が彼らを見ることができたでしようか。

そうです。彼らを見ることさえできなかつたのです。ペトラは岩の間に非常に深く抱きこまれていましたから,すぐ近くのホル山の頂上からも見ることはできませんでした。敵が知ることができたのはその邑があるということだけでした。裏切り者でもいない限り,軍隊がこの都にはいるということはできませんでした。ペトラに通ずるには,長い狭い谷底の道を行かなければならなかつたので,侵略者は都に近づきつつあるとはいつても,やはり都の外側にいることになるのです。そして悪くするとその侵略者は,まがりくねつた道の一番狭い場所で敵にすつかりとりかこまれているかも知れません。エドム人は巣の中にいる鷲のように安全を信じきつていました。

この鷲のような都がギリシャ語のペトラという名称で知られるようになる前には,どのような名前で呼ばれたのでしようか。それは確実に分つているわけではありませんが,しかしペトラは,普通聖書の中に書かれている,セラと呼ばれたエドムの都と同一視されています。(列王下 14:7)セラという語はヘブル語で岩を意味します。

パレスチナとアラビヤの間の通商路は,ペトラの近くのうす暗い,せまい,山と山の間を通つていましたから,エドム人は,もつぱら強盗を働くことによつて生活していました。彼らは大変な物持になり岩をくりぬいた家の中は宝物で満ちていました。彼らの洞窟の倉は,隊商からまきあげた略奪品や,刃をつきつけて強要した貢物であふれていたことでしよう! エサウの子孫は,ヤコブがエサウに与えた予言通りの生活をしていたのです。『汝は剣をもて世をわたり』― 創世 27:4。

エドム人のもう一つの不思議な点は,彼らの親戚に当るイスラエル民族にやいばを向けるのを好んだことです。イスラエル民族はヤコブの子孫であり,またイサクの子孫でもありました。ヤコブとエサウは兄弟でしかも双児でしたから,従つてイスラエル民族とエドム人の間の親戚関係は特別に親しい筈のものでしたが,事実は全く反対でした。

この敵意に関しては,エドム人の方に責任があるのです。彼らは機会あるごとにこの親戚を苦しめたのです。イスラエル民族が約束の地に帰る途中,モーセはエドムの王に,エドムの領地を通ることをゆるしてもらいたいと頼みました。イスラエルがエドムのブドウ園や水にはさわらないからと約束したにも拘らず,エサウの子孫は領地を通るのを拒絶したばかりでなく,剣でイスラエルをおどかしました。

ヱホバはエドムの最期を予言された

イスラエルの敵が誰であろうと,エドム人はいつでもこの敵と早速同盟を結びました。イスラエルが敗北の苦しみをなめている時,エドムでは人々は手を叩いてよろこんでいたのです。キリスト前607年,バビロンの王はエルサレムを滅しました。この時エドムでは大きな凱歌があがりました。ペトラやボズラのエドム人は,よろこびにわきかえり,大いにこれを祝つたのです。

ヱホバはこのことを心に留められました。エルサレムが滅びてから間もなく,ヱホバは彼の予言者オバデヤを通して次のようにエドム人に言い渡されました,『汝はその兄弟ヤコブに暴虐を加えたるに因て恥辱なんぢをおおわん,汝は永遠に至るまで絶るべし。汝が遠く離れて立ちおりし日即ち異邦人これが財宝を奪い他国人これが門に進み入りエルサレムのために籤をひきたる日には汝も彼らの一人のごとくなりき。汝は汝の兄弟の日すなわちその災禍の日を観るべからず』― オバデヤ 10-12。

しかしペトラのような岩の都に住んでいたエドム人は,少しも驚きませんでした。彼らは鷲の巣の中に住んでいたではありませんか。それにも拘らずヱホバは予言者を通じて言明されました,『山崖の巖屋に居り高き処に住む者よ,汝が心の傲慢なんぢを欺けり。汝心の中に言う誰か我を地に曳くだすことを得んと。汝たとい鷲のごとく高くあがり,星の間に巣を造るとも我そこより汝を曳きくださん』

誰がエドムを曳くだすでしようか。それは他でもない,エドム人がエルサレムを徹底的に破壊してしまうように強く勧めたカルデヤ人その者だつたのです。それは理の当然と言うことができましよう。ヱホバはこのことも前もつて予告されました。予言者エレミヤの口を通じて,ヱホバは,エドムを含むいくつかの異邦人国家に関して次のように言われました,『われこの諸の地を我僕なるバビロンの王ネブカデネザルの手にあたえ』― エレミヤ 27:6。

エルサレムが崩潰して5年後,ネブカデネザルの軍隊はエドムを攻撃しました。今やエドム人を救うことのできるものはどこにもありませんでした! 崖のいただきにあるペトラといえども彼らを救うことはできません。ヱホバはエドムの破滅を予言されていました。その予言通りに,ネブカデネザルは,崖の住人を鷲の巣から投げ落してしまいました。そして聖書に示されているように,『エサウは捜されその隠しおける物は探りいださる。汝と盟約を結べる人々はみな汝を国境に逐やり,汝と和好をなせる人々はみな汝を欺きて汝に勝ち』。難攻不落のペトラはついに欺かれてしまつたのです!―オバデヤ 6,7。

しかし,ネブカデネザルはエドム人を撲滅したわけではありません。ですから彼らはまだ望みを持つていました。彼らはもう一度自分の国を建て起すことを希望していました。成功したでしようか。エドムが滅びて約1世紀半の後,ヱホバは予言者マラキを通じて次のように言われました。『エドムは,われらほろぼされたれども再び荒れたる所を建んというによつて万軍のヱホバかくいいたまう,彼らは建んされど我これを倒さん』― マラキ 1:4。

エドム人は,非常な努力をはらつて荒廃した場所を再建しました。しかしヱホバの御言葉にたがわず彼らの努力は失敗に終りました。というのは,しばらくたつてからアラビヤ人のナバタと呼ばれる好戦的な種族が,エドムに向つて兵をあげたからです。そして再建されたペトラは,キリスト前312年までに陥落しました。ナバタ人はエドム人を彼らの土地からユダの南にあるネゲブの地に連れ去り,強大なペトラは今では征服者の首都にかわつてしまいました。

ではエドム人はどうなつたでしようか。キリスト前130年頃,ユダヤ人の王,ジョン・ヒルカヌスがエドム人の最後の独立の名残を一掃してしまいました。このユダヤ人の王は,エドム人の生残者に割礼か,さもなければ死を強要しました。服従を示めしたエドム人は,ユダヤ人の中に加えられたのです。このようにしてエドムは亡びてしまい,次のヱホバの御言葉は成就を見ました,『恥辱なんぢをおおわん汝は永遠に至るまで絶るべし』― オバデヤ 10。

ペトラはどうなつたでしようか。西暦約105年頃,ローマはナバダ人の首都を征服しました。それからしばらくの間ペトラは,広大なローマ帝国の前衛地となつていましたが,ほどなくして,ペトラの近くを通つていた,昔からの隊商路は廃れてしまいました。これによつて経済的な生命線を切断された,寄生的ペトラは滅亡しました。予言者ヨエルの言葉,『エドムは荒野とならん』は余りにも文字通りに成就したので,ペトラの存在などはすつかり忘れられていたのです。1000年以上もペトラはまるで存在しなかつたもののような状態でした。―ヨエル 13:19。

失われた都は発見される

1812年,スイスの探険家ヨハン・バークハートは,危険を冒して死海の南部の地域に入りこみました。彼はそこにある注目すべき廃墟のことを耳にしたからです。この探険家は,アラビヤ語を話し,アラブの文化に通じていましたから,ベドウインの服で扮装しました。彼は自分が行きたいと思つていた場所の近くで山羊の犠牲を捧げる願をかけたのだと人々に言いふらしました。或る日,このアラビヤ人の扮装をしたヨーロッパ人は,砂漠の外れにある一つの峡谷にはいりこんだのです。小さな流れが谷を横ぎつて岩の壁に吸いこまれていました。近よつて見ると,一番下から頂上まで,一つの割れ目があるのがこの旅人の目に止まりました。その山の裂け目は,やつと12フィートあるかなしのせまいもので道は下り坂になつていました。アラビヤ人はこれを「シク」または割れ目と呼んでいました。

かつては人工の水路の中に閉じこめられていた流れに沿つて,この旅人は,曲りくねつた神秘な谿谷にわけ入りました。彼はこの道の果てには一体何があるのだろうといぶかつていたのです。

どの場所でも,このスイス人の探険家は,遙か前方を見渡すということはできませんでした。ただ上を眺めた時,青い空の切れはしを時たまちらりと見ることができるだけでした。まつすぐにそそり立つ,断崖の側面はまことに巨大なもので,これと比べると人間はまるで蟻ほどにしか見えません。岩はだの割れ目にはシダが生い繁つていました。バークハートは興味にとんだこの道を1マイルばかりたどつて来ました。と彼は急に立ち止りました。岩と岩との割れ目は急に広くなつて,真四角に開けているところにでてきました。それはあたかも,人の魂を魅了するおとぎの国の入口にたどりついたかのように思われました。彼の真正面には岩壁に刻みこまれた神殿が立つています。バークハートが発見した,何かの神が祠つられていた神殿を,アラビヤ人はエル,カズナ,財宝と呼びました。この神殿の建物はおりからの朝の光をいつぱいに受けて,大洋の貝殻のように薄桃色に輝いていました。

この仙境から旅人は,更に北西に急曲した谿谷に沿つて進みつづけ,谷はまた狭くなつてきました。谷巾が20フィートから40フィートという変化に富んだ自然の谿谷をもう1マイルばかり歩きつづけました。すると谿谷の向うにけわしい砂岩の断崖で四方をかこまれた起伏した平野が展開してきました。ちようど盆地にさしかかる左手の谷間に,岩を刻んで作られたローマの円形劇場があるのをバークハートは発見しました。この劇場には35段からなる4000人を収容する観覧席が設けられています。この劇場に腰をおろして,旅人は,盆地の長さが約1マイル,巾が1マイル足らずであることを見きわめることができました。盆地をかこむ砂岩は住家や,墓や,切り穴で蜜蜂の巣のように見え,それらは莫大な労働力がついやされたことを示していました。彼はついに失われていたペトラを発見したのです。

バークハートがたどつて来た,谿谷に沿つて流れていた川は,平野を東と西に二等分し,また谿谷の中に消えていました。スイスの探険家は,ペトラは川の両側の平地にあつて,しかも,少くとも後になつて,人々は平地と岩をくり抜いた住居の両方に住んだことを観察しました。

ペトラをとりまく岩の鮮やかな色彩はすつかりバークハートの心をうばつてしまいました。赤,紫,黄,青,黒,白の色が一つの岩の段々になつた層の中におりこまれ混ざりあつて,想像し得るかぎりの色あいを描きだしています。赤は濃いバラ色に,或いはライラックやすみれ色にさえ混りこんでいます。白はしばしば雪のように白く,時に青と赤がまじつています。青はすみきつた空の色にもまがう程です。ペトラの黄色の岩はサフランのように明るいものでした。ペトラには驚くばかりの色彩に富んだ都だつたのです。

神殿と祭壇の都

また,ペトラを印象的にしたものはその都の多くの神殿です。そこには何百という宗教的宮があつたのです。その中で一番大切にされていたものは,ローマの時代に,ナバタ人によつて切り除かれてしまつたようです。外から見ると印象的ですが,バークハートが見た神殿の内部はなさけないあばら屋で,洞穴以上のものではありませんでした。

都のまわりの外側には,ヱホバの予言者によつていく度となく非難された,多くの聖なる異教崇拝の場所や祭壇があるのをバークハートは気づきました。これらの祭壇で,むかしエサウの子孫は,エドムの神々を崇拝したのです。崇拝者たちが聖い場所へ行きやすくするために,山腹には階段がきざまれていました。

ペトラの最も大きな崇拝の犠牲を捧げる場所の発見は,後日の探検家の手に残されました。西暦1900年,G・L・ロビンソンによつて発見された,このペトラの一番大きな祭壇は,太陽の昇る方向に面しています。岩にきざまれた急な階段が祭壇まで続いています。ここにも高さ20フィートの同じような柱石が立つています。これらの柱石は,異教徒たちが柱になる部分だけ残して,山のいただきを全部けづり取つて作つたものです。ロビンソンはこの崇拝場所で今にも異教徒の祭司が犠牲を持つて急な石段を登つてくるのを待ちかまえてでもいるかのような,犠牲を捧げる台や長方形の祭壇を発見しました。

ここではまた何と言う異教の儀式が行われていたことでしよう。聖書の読者は,アマジヤ王がかつて,『セイル人の神々を携え来り之を安置して己の神となしその前に礼拝をなし之に香を焚』いたことをよく記憶していますから,ここでどのようなことが行われたかを良く想像することができるでしよう。しかし,エドムの神々はアマジヤ王に滅びをもたらしたのです。ヱホバの予言者は,彼に次のように,告げました,『われ知る,汝このことを行いてわが諫をききいれざるによりて神なんぢを滅さんと決め給うと』― 歴代下 25:14,16。

生ける真の神ヱホバが,アマジヤと巨大なペトラを亡ぼすことを決心された時,エドムの偽の神々は彼らを,ペトラさえも,救うことはできなかつたのです。今日では,ペトラは荒れすたれ,ひと一人住んでいません。廃墟を見学しに来る人も殆んどありません。エドムにかかわるヱホバの予言の縮図的な成就として,典型的なエドムはその存在を失い,その雄大な首都ペトラは,野獣の出没する地と化してしまいました。その廃墟は,神の御言葉は必ず成ることを如実に物語る石碑として残つています,『我汝を長に荒地となさん,汝の邑々には人の住むことあらじ,汝らすなわち我のヱホバなるを知らん』― エゼキエル 35:9。

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