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  • 1957年の地域大会の顕著な点
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1957
塔57 12/1 444–455ページ

1957年の地域大会の顕著な点

1957年の夏,ヱホバの証者のクリスチャンたちは多くの大会に集りました。これらの大会は『生命を与える叡智』地域大会として知られ,主にヨーロッパ,カナダ,アメリカ合衆国で開催されました。そしてこの大会でヱホバの御名と御国は人々に知らせられ,又献身したクリスチャンにとつては,大会は豊かな霊的御馳走をいただく好機であり,兄弟の楽しい交わりの時,又兄弟につかえ御言葉を伝道するよい機会にみちていることを証明しました。

英語で行われた大会で特筆すべき事柄は,聖書の詩的な5冊の本,ヨブ記,詩篇,箴言,伝道の書,雅歌で構成されている,ヘブル語聖書の新世訳第3巻(英文)が発表されたことです。これは非常な歓迎を受けました。奉仕者たちは熱心に最も新しい聖書の研究と一致している改良された聖句の新しい表現や翻訳を見出すために,すみからすみまで調べました。

全体としてこれらの大会での大きな事柄は日曜日の午後行われた『諸国民の癒しは近し』と題された講演でした。これには一般の人々も招待され,講演がおわつてから,この講演をその土地の言葉で書いた32頁の小冊子が出席した人々全部に無料で渡されました。

多くの講話がなされましたが,その中で特筆大書すべき顕著なものとして,新しく翻訳された聖書の詩的な5冊の本の内容を要約した講話をあげることができます。これらは現在全部,ものみの塔に示されています。先ず最初に11月15日号には『終りの時におけるヨブのごとき忍耐』が掲載されました。また『唯一の神に捧げる万民の讃美』もまもなく載せられます。次には箴言の説明,『現代に対する賢明な言葉』が続きます。大会の主題となつたのは,神の知恵と人間の知恵との対照でした。そしてそれは知識と知恵と理解の明確な区別を示しました。

次に行われたのは,伝道の書に基づいた,『無益な業と価値ある業の集合者』という講話でした。この話は,利己的な事柄を追い求めることがいかに空であるかを示し,又それはソロモンがすでにわれわれのために経験して教えているのであるから,クリスチャンは,自分で試みる必要がないことを強調しました。一番愛された話は最後の講話で雅歌の説明,『最上の歌に歌われている愛された女』でした。これは実際には,『ソロモンの失恋の歌』です。ソロモンはシュラミ人の少女を愛しましたが,この少女はソロモンよりも彼女の恋人である牧童のほうを愛しました。そしてこれはキリストの『花嫁』がキリストにいつまでも忠実を保つことを予影しています。

特に興味をそそられた話は,黙示録の最初の3章までに関する二つの講話です。これは会衆の監督者たちには『星』のような責任が与えられていることを深く感じさせるものでした。それから『必要なところで奉仕する』という話は,行ける人なら誰でも時間極めの宣教者として国外へ行ける人々を招待しました。又協会の主要な代表者によつて行われた,うちとけた心温まる閉会の話もこの大会の顕著な点として数えられなけばなりません。アメリカ合衆国で開催された全部の大会で,協会のN・H・ノア会長と,F・W・フランズ副会長は,くりかえし講演を行いました。

他の興味ある特色

野外奉仕で得た沢山の興味深い経験が話されました。或る人は,一人のポーランド人の技師について話しました。この技師はいくつかの学士や博士の学位をもつた人で,第二次世界大戦中ポーランドで地下に潜つて戦つた人です。同じ職場で働いていたヱホバの証者の同輩が,この人の善意と敬虔な性質に注目して,御国の希望を伝えはじめたのです。彼はそれからただ二,三ヶ月のうちに彼の正しい立場をとり,そして或る大会で洗礼を受けました。

忍耐をもつて再訪問することによりよい結果が得られることが再三強調されました。何回も再訪問したためやつと一人の日曜学校の先生と会うことができたという例もあるのです。この先生も証者たちと研究したり,家庭で集会を行つたりした後彼の立場を取りました。今では以前の日曜学校のクラス全部が,証者の集会に出席するか,又は家庭で聖書の個人的研究を行つています。

ヱホバの証者が幼児の洗礼を信じないのはよく知られています。それは聖書が支持しないからです。しかし8歳の少女は洗礼を受けるだけの知識をもつているでしようか。一人の新聞記者は少女に質問してみるまで疑つていましたが,彼女は記者が尋ねた全部の質問に,しかも聖書から直接に答えることができたのです。

或る会衆の姉妹たちは,兄弟たちが新しい御国会館を建てている間,会衆の平均奉仕活動を落すまいとするため,より多くの時間を奉仕しました。この特別の奉仕と,会館の建設によつて興味が起りよい結果を得ました。というのは非常に増加したので,会館が出来上る頃には,会衆は二つに分割されてもよい位になつたのです。

方々で開かれたこれらの大会は,同じプログラムに従つて行われましたから,よく似ていました。或る大会は一つまたはそれ以上の特色を示しました。フロリダのマイアミで,7月3日から7日まで開催された大会は近代的な競馬場を利用しました。この競馬場の中央には美しい池があつて,まわりは王様棕櫚でかこまれていました。この池で洗礼が行われましたから,大会出席者たちは席を離れることもなく洗礼に立会うことができたのです! テキサス州のヒューストンでも同じ時に大会が開かれていました。講演は英語とスペイン語で行われ会堂には冷房装置がほどこされ,又人種的差別がないことは人々に非常に歓ばれました。

コロラド州のデンバー,シャトル・ワシントンでは,7月10日から14日まで大会が行われました。デンバーで著しかつた点は,ロッキー山脈を背景に実物の常磐木と滝で美しく設定された演壇と,素晴しくお行儀のよい子供たちでした。それからシャトルで目立つた点といえば,新聞や,ラジオ,テレビジョンで示された好意ある世評でした。すべてこれらのことは,好評を受けるどころか襲撃される恐れさえあつた1938年の大会と非常に大きな対照を示しています。次の週にはウィスコンシンのミルウォーキーで大会が開催されました。ここでは特にミルウォーキー人の暖いもてなし振りが聞かれました,そしてこの大会のプログラムに,ミルウォーキー人は出席して極めて深い興味を表示したのです。

カリフォルニヤ州ロスアンゼルスのリグリーフィールドで催された大会(7月24-28日)の主な事柄は,日曜日の朝11時から正午まで続いた大会に関するテレビジョン放送でした。これは,『ゴールデン・ウエストの偉大な教会』として知られている番組の企劃者から依頼されて放送されたのです。内容は,N・H・ノア協会長の講演,F・W・フランズ副会長の聖書の質問に対する解答,外国人宣教者たちとの面談,讃美歌の合唱などでした。日曜日の午後リグリーフィールドの出席者数は4万8746名に達し野球場の観覧席も競技場も立錐の余地もないほどうめつくされました。そして美しい音楽の番組も特筆すべきものでした。

メリーランド州バルチモアのメモリアル野球場では8月21日から25日に渡つて開催され,それはアメリカ合衆国で催された此の度に於ける最後の大会でした。ここでの顕著な点は,土曜日の午後,決議文が採決されたことです。それは現在ドミニカに居住するヱホバの証者に対してとられた残酷な行為と追放に関して,ドミニカの最高支配者に対する抗議でした。又追放された宣教者達が話した経験や,1034名という受洗者の数,又証者たちを収容した夥しい無料の宿舎なども著しい点でした。

カナダでは7月中に3つの大会が開かれました。トロントの或る新聞は,紙面の上段を使用し2頁にわたつて,パノラマ式に大会の全景を掲載しました。エドモントン大会に集つた証者たちの中には,トラックに乗つてアラスカからはるばる2000マイルの旅をしてやつて来たグループもありました。

英国とスコットランドでは4つの大会が行われました。新聞やテレビジョンも大会に注目し,何通かの友好的な手紙が新聞に載せられました。目立つた点は,これらの4つの大会に影響を与えたバスのストライキにも拘らず,前年の大会よりも20パーセント上廻る出席者の合計数でした。

西ドイツでは3つの大会がありました。ドルトムンドでは,オートバイに乗つた護衛警官たちが受洗希望者たちを乗せた25のバスを,12マイル離れた洗礼の場所へ導きました。彼らが,証者たちのために道を開けさせたり,交叉点で通交を止めて通させたりしたことは外部の人々に深い印象を与えたものです。13年前に全部のヱホバの証者がナチの収容所に入れられていた時と,何という大きな違いでしよう。ミューニッヒでは,大会は殆ど1000フィートもある,2万2000人の収容力を持つ巨大なテントの中で行われました。かつてミューニッヒの人々が見たテントよりも4倍も大きいものでしたから,相当の話題をまき起しました。ドイツの大会を感動させたものは証者の教科書である『奉仕者になる資格』がドイツ語で出版されたことでした。

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