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  • 永遠に幸福であるには何がいりますか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1958
塔58 9/15 356–359ページ

永遠に幸福であるには何がいりますか

知恵が身を守るのは,金銭が身を守るようである。しかし,知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。―伝道の書 7:12,新口。

1 永遠の幸福をうるのに富が役立たぬことを何が示していますか。

あなたは,いま,幸福であるのに,必要なものをもつていますか? そうでしたら,いつまでも,もち続けたいでしよう。どんな良い条件のもとでも,生命は短かいものです。枯れる草のように,色あせる花のように,消える影のように,人のよわいは短かく,そして塵に帰つて行くものです。生命が終るとき,幸福も終つてしまいます。富も生命を保つことができません。『たといたくさんの物を持つていても,人のいのちは,持ち物にはよらないのである。』とイエスは云われました。また詩篇記者は次のように述べています。『彼らの中の一人として兄弟をあがなうことができず,兄弟のためにあがないを捧げることはできない。彼が永久に生きて坑を見ないようにするためには(彼らの魂をあがなう価は極めて高く,不定の時まで中止されていた。)人が富を得るときも,その家の栄えが増し加わるときも,恐れてはならない。彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず,その栄えも彼に従つて下つて行くことはないからである。たとい彼が生きながらえる間,自分を幸福と思つても,またみずから幸な時に,人々から称賛されても,彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。栄華をきわめても,理解を持たぬ,地的思いのものは,滅びうせる獣にひとしい。』― ルカ 12:15,(新口)詩 49:7-9,16-20,新世。

不滅の魂によつては永遠に幸福にならない

2 どんな教によつて,人々は,死の事実に直面するのを拒否していますか。しかし聖書は何と云つていますか。

2 人々は滅することを認めようとしないで,不滅の魂という勝手な考えで,死の事実を葬つてしまいます。彼らの宗教は次のように教えます。人間の魂は不滅です。それで生涯が終つても,塵に帰つたり,完全に地に戻りません。年月がどんなに過ぎようとも,人々は死滅へと追いやられません。体が墓のうちで土に化しても魂は生きつづけます。死後にも意識をもつている ― とそれらの人々は信じています。しかし聖書はそのように述べていません。『その霊(息,脚註)が出ていけば,彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの考えは滅びる。』彼らは,死んでも,いろいろの出来ごとが分ると云います。しかし聖書はその説に一致しません。『生きている者は死ぬべき事を知つている。しかし死者は何事をも知らない。……あなたの行く陰府には,わざも,計略も,知識も,知恵もないからである。』人間の不滅の魂は,動物のとは全く違うように,彼らは教えます。聖書はそのように言つていません。『人の子らに臨むところは獣にも望むからである。すなわち一様に彼らに臨み,これの死ぬように,彼も死ぬのである。彼らはみな同様の霊(息,脚註)をもつている。人は獣にまさるところがない。すべてのものは空だからである。みな一つの所に行く。皆ちりから出て,皆ちりに帰る。』罪ある魂は不滅ではありません。『罪を犯した魂は必ず死ぬ。』かつて地上に住んでいた,唯一人の罪ない魂,すなわち,イエス・キリストさえも死んだと述べられています。『彼は死にいたるまで,自分の魂をそそぎだした。』― 詩 146:4。伝道の書 9:5,10; 3:19,20,新世。エゼキエル 18:4。イザヤ 53:12,新口。

3 どんな祝福を知恵はもたらしますか。

3 不滅の魂がないならば,生命への私たちの希望は,どこにありますか。それは知恵にあります。『知恵が身を守るのは,金銭が身を守るようである。しかし知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。』しかも単なる生命ではなく,幸福な生命です。『知恵を求めて得る人,悟りを得る人はさいわいである。知恵によつて得るものは,銀によつて得るものにまさり,その利益は精金よりも良いからである。知恵は宝石よりも尊く,あなたの望む何物も,これと比べるに足りない。その右の手には長寿があり,左の手には富と,誉がある。その道は楽しい道であり,その道筋はみな平安である。知恵は,これを捕える者には命の木である。これをしつかり捕える人はさいわいである。』― 伝道の書 7:12。シンゲン 3:13-18,新口。

神の知恵と力

4 コリント前書 1章18-25節の意味は何ですか。

4 とくに,どのような知恵が私たちを死から救い出し,生命に導くのですか。だれの道は楽しく,だれの道筋は平安であり,だれにつくものが幸福なのでしようか。コリントへの第一の手紙 1章18節から25節(新世)によると,終りのない幸福への道を示す知恵が分ります。『苦しみの杭についての話は,滅び行く者たちには愚かなことであるが,救われる私たちにとつて,神の力である。聖書に,「私は賢人の知恵を滅ぼし,知識人の知識をくつがえす」と書いてある。賢人はどこにいるのか。学者はどこにいるのか。この組織制度の論者はどこにいるのか。神はこの世の知恵を愚かにされたではないか。この世は,自分の知恵によつて神を認めるに至らなかつた。それは,神の知恵にかなつている。そこで神は,宣教の愚かさによつて,信じる者を救うこととされたのである。ユダヤ人はしるしを請い,ギリシャ人は知恵を求める。しかし私たちは,杭につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは,ユダヤ人にはつまずかせるもの,諸国民には愚かなものであるが,召された者自身にとつては,ユダヤ人にもギリシャ人にも,神の力,神の知恵たるキリストなのである。神の愚かさは人よりも賢く,神の弱さは人よりも強いからである。』

5 人間のすべての知恵は神の前に愚かですか。また神のすべての知恵は不信心者にとつて愚かですか。

5 いつたいこれはどういう意味ですか。人間の知恵はすべて,神の目から愚かなのですか。しばしば,人間は知恵を利用して病人をいやし,死にかかつたものを救います。人間の知恵は機械をつくり,地上,海上,空中で,人間を運びます。また沢山の便利なものを備えた,気持の良い家を作ります。人間は知恵によつて,数千マイルの彼方まで,声,音楽,また映画までも運びます。適当に用いられるなら,人間の驚くべき賢さは,神の前に愚かではありません。神こそ知恵という属性を人間に与えた方なのですから,どうして,そんなことがあり得ましよう。『この組織制度の子らはその時代に対しては,光の子らよりも利口である』とイエスが云つたとき,どうして,そんなことがあり得るでしようか。また人間が神の知恵をすべて愚かなものと見なしていると,はばかりなく言うことはできません。天にまたたく星,緑の大地,驚きにみちた動物の生活,また『恐るべく,くすしく』作られた自分の体を,人間がみるとき,そこに神からの知恵をよみとつて,驚異します。それでは,神が,愚かなものであると呼ぶ人間の知恵とは,何ですか。また多くの人々が,愚かなものとする神の知恵とは何ですか。―ルカ 16:8,新世。詩 139:14,新口。

6 神のどんな知恵と力とが,人間にとつて愚かで弱く見えるのですか。

6 苦しみの杭についての話が,不信者にとつて,弱く愚かなものに,聞えるのです。杭につけられたキリストはユダヤ人にとつて弱いものでした! 杭につけられたキリストは諸国民にとつて愚かなものでした! しかし杭につけられたキリストは,救われる者には,神の力であり,神の知恵でありました! 苦しみの杭でキリストが死んだのは,神の知恵と力であり,これにより,死が打ち負され,墓が終るのです。しかしキリストはユダヤ人にとつて弱く見えました。ユダヤ人はキリストのみすぼらしい生れをさげすみました。いままでナザレなどから,どんな良いものが出たことがありますか。キリストは学校教育もうけていませんでした。また伝統的の宗教に一致しなかつたし,罪人と交わつていました。キリストが苦しみの杭で死にかかつたとき,ユダヤ人は悪口を言い弱い者だと嘲弄し,『他人を救つたが,自分自身を救うことができない。』と云いました。そして,杭にかけられたキリストはギリシャ人の目には愚かなものに映りました。彼らはユダヤの地を見くだしていましたから,そこから救いがくるなどと,期待してはいませんでした。彼らは,軽蔑していたユダヤ人の不名誉の死から救いがくるという教をあざけり,あなどつていました。彼らは,自分たちの哲学のおしやべりを自慢にしていました。はでな話とか飾りの多い言葉や,進化論や不滅の魂についての飛躍した雄弁にはいつでも耳を傾けました。しかし無智な無教育のユダヤ人が,イエスについて語つても,愚かな片言と決め,聞くのをひどく嫌いました。―マタイ 27:42。

7 人間のどんな知恵は神の目に愚かですか。

7 それでユダヤ人は,あがない主キリストを弱きものとし,ギリシャ人は愚かなものとしたかも知れません。しかしながら,神の愚かなことは,救いを求める人間のどんな計画よりも賢いものです。また神の弱きことは,死を避けようとする人々のどんな努力よりも強いのです。賢者が,あがない主であり王であるキリストを無にしたり,何かで置きかえようとする教えを案出しても,また自分の計画をたてて,キリストのあがないと御国のみの成しうることを遂行しようと試みても,ヱホバの目の前に彼らの知恵は愚かであり,むなしいものです。人々は,そのような愚かさを避けて,真に賢くなり,杭につけられたキリストおよび神の知恵と力とを受け入れなければなりません。それでポウロは次のように助言しています。『だれも自分を欺いてはならない。もしあなたがたのうちに,自分がこの組織制度において知者だと思う人がいるなら,その人は知者になるために愚かになるがよい。なぜなら,この世の知恵は,神の前では愚かなものだからである。「神は,知者たちをその悪知恵によつて捕える」と書いてあり,更にまた,「ヱホバは,知者たちの論議のむなしいことをご存じである。」』― コリント前 3:18-20,新世。

8 一般的に云つて,どんな級を神は召し,どんな級を神は拒否しますか。どうして。

8 この世の知恵は,杭につけられたキリストを弱く,愚かなものと見なしています。それ故に,パウロはこう述べています。『兄弟たちよ,あなたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には,知恵のある者が多くはなく,権力のある者も多くはなく,身分の高い者も多くはいない。それだのに神は,知者を選び強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を選び,有力な者を無力な者にするために,この世で身分の低い者や軽んじられている者,すなわち,無きに等しい者を,あえて選ばれたのである。それは,どんな人間でも,神のみまえに誇ることがないためである。』パウロは知識を軽侮していませんでした。彼は教育をうけた人で,クリスチャンにも研究をすすめています。しかし神の知恵と力とを押しやるときに,それは,愚かな者,弱き者となります。その持ち主は,ただ自分の想像で,賢者であると思つています。―コリント前 1:26-29新口。

9 今日の幾百万という人々は,どのように,パウロの時代のユダヤ人やギリシャ人と同じ級に入つていると云えますか。

9 むかしのギリシャ人のように,あがないを愚かなものとあなどり,自分たちの哲学とか科学に知恵を求める人が幾百万となくあります。宗教的なユダヤ人のように,あがないを弱いものと拒否し,伝統とか信条を力あるものと固守している人々が幾百万もおります。ある一宗教出版物は,『厳密に言うならば,キリストの死は人間の救いに必要ではない』とのべています。『クリスチャン指針』は,著名な牧師ハリー・エマーソン・ホスデイツクの次の言葉を引用しています。『もちろん私は処女誕生を信じない。またあがないという,流行おくれの代用教理も信じていない。私の知るかぎり,また知的なクリスチャン牧師で,それらを信じているものを知らない』ロイド・C・ダクラス牧師は自著『生ける信仰』のなかで次のよう言いました。『あがないに対する従来の考えは,アダムの話について適当なる基礎がない故に,正しいと認められない ― このことを皆さんにも述べてきた』大ていの場合に,次のことが言えます。すなわち,『軽んじられている者,すなわち,無きに等しい者』とるに足らぬもの,またはとるに足らぬ人と見なされているものが信じています。一方,『有力な者』,この世の目から,偉いと見なされている人は,ヱホバの知恵と力とを拒否しています。

永遠に幸福をうる

10 杭につけられたキリストの価値が私たちに役立つには,何をしなければなりませんか。

10 杭につけられたキリストの価値は,どのようにすれば,私たちに役立つてきますか。ヘブル書 5章9節は,『彼は……彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救いの源となつた』とのべています。キリストは,どんな誡めを私たちに与え,守るように命じていますか。『あなたがたは……エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,さらに地のはてまで,わたしの証人となるであろう。』『あなたがたは行つて,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によつて,彼らにバプテスマを施し,あなたがたに命じておいたいつさいのことを守るように教えよ。』『御国のこの良いたよりは,すべての国民に証をするため全世界に伝道されるであろう。それから全き終りが来るのである。』― 使行 1:8。マタイ 28:19,20; 24:14,新世。

11 これらのいましめに従うため,私たちは何をすべきですか。またどうして,それは賢いですか。

11 これらの誡めに従うためには,個人的に研究し,他の人々とも会い,共に研究しなければなりません。そして証言のわざにおいて訓練をうけるべきです。すべてこれらのことをゆたかにうけとつたのですから,つぎに他人にも,ゆたかに与えねばなりません。一般に,世の人は,この伝道を弱い愚かなものと考えています。しかし,むかしにも『神は,宣教の愚かさによつて,信じる者を救うこととされた』のです。そして,いまでも,そのようにされています。イエスの時代のユダヤ人は,イエスを,つまづきであると考えていました。また諸国民はイエスの死は愚かなものという考えを抱いていました。また今日の人々はイエスのあがないの備えを邪魔にしまたキリスト教国の近代的牧師たちは,それを愚かなものと呼んでいます。しかしこれらのこの世的に賢い人々が何と云おうとも,私たちが永遠の幸福をうることができる名は,世の誰にも与えられていないのです。『わたしたちを救いうる名は,これを別にしては,天下のだれにも与えられていないからである。』― 使行 4:12,新口。

12 死の瀬戸際の悔い改めは,どうして遅すぎますか。ハルマゲドンのとき,富は救いにならぬと何が示していますか。

12 あなたはいま幸福かもしません。もし食物,衣服,すむ家をゆたかに持つているなら,安全だと感じているかもしれません。しかし死ぬ日がきたら,あなたはやはり幸福ですか,あなたの生命のため何をしますか。死の瀬戸際の悔い改めですか。それは不滅の魂の空想話と同じように,無駄なものです。ヱホバへの従順な奉仕とキリストの誡めにしたがうことによつて,天に宝を積むべきですが,死ぬまぎわになつては,もう遅すぎます。銀とか金の地的の宝はあなたをあがなうことはできません。あるいは,臨終はヱホバのハルマゲドンの戦のときかも知れません。物質主義によつて蓄積した富は,その死なんとするものを救うことができません。『彼らはその銀をちまたにすてん。その金はかれらに塵芥のごとくなるべし。ヱホバの怒の日には,その金銀もかれらを救うことあたはざるなり。』現在また将来にたいしての知恵ある道筋とは何でしようか。―エゼキエル 7:19。

13 いま幸福になるには何がいりますか。また永遠の幸福をうるには,何が必要ですか。

13 私たちは,岡の上で船を動かそうとしたり,海上で自動車を運転しようとしたり,タイプライターで芝生を刈ろうとはしないでしよう。私たちはある目的のために作られていますから,それ以外のことをしようとすべきではありません。ある食物,飲物,金銭は適当なものです。しかし神は,私たちを大食家,泥酔者,貪慾な物質主義者になるように,設計しませんでした。少し遊ぶことはかまいませんが,無益な遊び人になるべきではありません。私たちはヱホバについての知恵をうるよう研究しなければなりません。そしてヱホバの奉仕に働き,すべての者に公平に行動すべきです。また自分,隣人,神について愛をもたねばなりません。私たちは,いくらかの物質を必要としますが,物質主義になつてはいけません。いくらかの金銭は必要ですが,金銭の渇望家になつてはなりません。私たちにはヱホバの霊が必要です。どうかそれを受け入れるようにして下さい。私たちは崇拝に対する衝動をもつています。それに熱心にこたえて下さい。そうすれば,いま,幸福になれます。しかし私たちが死んで,塵に帰つたらどうなりますか。ヱホバが私たちを再び塵から生命へと戻して下さるならば,少しも困りません。もし私たちが,ただ一つの適切な,効果ある,力強い贖をうけるようにすれば,ヱホバは私たちを生命に戻します。それで,永遠に幸福であるには,何がいりますか。それは,杭につけられたキリスト,神の知恵,神の力です。いま,それをしつかりと受け入れて下さい。

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