ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔59 11/15 423–424ページ
  • あなたは自分自身に親切ですか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • あなたは自分自身に親切ですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
  • 関連する記事
  • 自分をたいせつにしてはいけないとき
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
  • もはや自分のために生きない
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2005
  • 親切に関する教訓
    偉大な教え手から学ぶ
  • 「自分自身を吟味しつづけなさい」
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1962
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1959
塔59 11/15 423–424ページ

あなたは自分自身に親切ですか

あなたは自分自身に親切ですか。その質問に対する答は,思つたほど簡単なものではありません。アメリカ共同通信の記者エッチ・ボイルは,かつて次のように書きました,『人間には他の動物と異る一つの能力がある。それは自分自身を不幸にするという技術である。よろこびに背を向けて自分を故意に不幸にさせる動物は人間だけである。自分の苦しみをつくり出し,不必要なわざわいを作製し,そして自分自身をあわれな者にさせようと努める動物は人間だけである。多くあり過ぎても決して十分であると感じない動物は人間だけである。人間が切実に求めるものの一つ ― 繁栄は,とうてい存続しないものと人間には思える。』― ペンシルバニヤ州,イーストン「エクスプレス」1959年3月3日。

もちろん,宗教的な迷信のために,ある人々は自分自身に親切であることをよいこととは考えません。そのような人々の中には,東洋の聖人やキリスト教国の苦行者がいます。しかし,彼らの行いは聖書からも支持されず,また理性にも合わないものです。そのような行いをしても神をよろこばすことはなく,又なかまの人間にいちばん良く仕えることにもなりません。神の御言葉の示すところによると,私たちは自分自身に対して親切でなければなりません。なぜなら自分自身のごとく隣人を愛さねばならないからです。さらに,神の御言葉は『からだの苦行』を禁じています。―マルコ 12:29-31。コロサイ 2:20-23,新口。

他の人々は,無知のゆえに自分自身に対して親切でありません。長い年月のあいだ大ぜいの人々はタバコを常習的にすつてきました。タバコをすうことと身体上の多くの病気とのあいだの関係を知らないのです。しかし,今ではこの関係ははつきり分つたので,チュレイン大学医学校のオチュスナー博士や,有名なラヘイ診療所のサラ・ジョーダン博士のような指導的な専門家たちは,胃腸病の患者がタバコを吸うのを止めないならば,そのような患者の治療を拒絶しました。一方,アメリカ医学協会はその専門雑誌にタバコの宣伝を入れることを一切拒絶しています。このすべての証跡にもかかわらず,タバコ産業は,たいへん栄えていることから今でも多くの人は,自分自身に対して親切ではありません。それらの人々は,心がかたくなか,又は利己的なのです。

全くのところ,大きな事柄にせよ,小さな事柄にせよ,大多数の人々は利己主義に屈してしまい,自分自身に親切でない特定な道をとつてしまうのです。犯罪を職業にする人,警察につかまえられたり,また仲間の者たちによつて殺されたりする危険の中にいつも生活する人は自分自身に親切ではありません。また醜行を職業にする婦人も,自分自身に親切ではありません。そのような人々は,つかまりはしまいかとびくびくしながら,希望もないみじめな生活をします。そして,しばしば自殺しようとさえ考えます。悪事を行うことが大金を手に入れる安易な道と見なす彼らは,自分自身に対して親切ではありません。

しかし,大罪を犯すことだけが自分自身に対して親切でない,というのではありません。食べ過ぎ,飲み過ぎ,または他の身体面の快楽にふけるために,体重がふえすぎたり,又は病気になつたりするなら,私たちは自分自身に対して親切ではありません。寝床に行く時間のときにテレビジョンのスイッチを切らず,また夜の熟睡を十分とるためにパーティから去らないなら,そして1時間か2時間余計に楽しんだために翌日につらく感ずるということであれば,私たちは自分自身に対して親切ではありません。また坐つて仕事をする人々が,安易なことを愛するあまり運動をすこしもしないということも,自分自身に対して親切ではありません。それは,心臓病を誘引し,一般の病気に対する抵抗を減少させてしまいます。

自分自身に親切でありたいなら,隣人が愚かな行いをすすめるときに,「否」と言うことができなければなりません。まちがつた親切のために,隣人は私たちに放縦をすすめることでしよう。あるいは,私たちを愚行にさそうのは自分の自慢になると考えてそうすることでしよう。あるいは,私たちをあざむくために外見上の親切を装うのかも知れません。それに対しては,シンゲン 23章6,7節で私たちは戒められています。それですから,良い人と思われたいために,自分に対して不親切であつてはなりません。十分に持つたなら,そこで止めなさい。他の人々が何を考えようと,また言おうとも,それにはかかわりなくあなたの知つている正しいもの,最善なことを行いつづけなさい。

私たちの最者の友だちでさえ間ちがえることがあります。聖書の告げるところによると,あるときイエスは彼の将来が迫害,死そして復活であると弟子たちに戒めました。『すると,ペテロはイエスをわきへ引き寄せて,いさめはじめ,「主よ,とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言つた。イエスは振り向いて,ペテロに言われた,「サタンよ,引きさがれ,私の邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで,人のことを思つている。」』ペテロは善意から語りました。しかし,イエスは事態をより良く知つていたのです。―マタイ 16:22,23,新口。

自分自身に親切であることは,自分自身と他の者たちに「否」と言えるだけでなく,義務に対して「然り」と言うことでもあります。私たちのしなければならぬことを行つてよろこびを感じ,またごく僅かな努力をして心の平和が得られるとき,罪の意識にさいなまれて苦しむ必要はないでしよう。それですから,神の御言葉は,『正しい良心を持て』と賢明にも私たちにすすめているのです。―ペテロ前 3:16。

あなた自分に親切であることは,満足ということをも含みます。自分の利己的な野心をみたすために自分自身と他の者たちをなさけ容赦なく使う人は,自分自身に対して親切ですか。聖書は次のように答えています,『富むことを願い求める者は,誘惑と,わなとに陥り,また,人を滅びと破壊とに沈ませる,無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは,すべての悪の根である。ある人々は欲ばつて金銭を求めたため,信仰から迷い出て,多くの苦痛をもつて自分自身を刺しとおした。』「多くの苦痛をもつて自分自身を刺しとおす」人が,自分自身に対して親切でないことは明白です。

もし自分自身に対して親切でありたいと欲するなら,私たちは『信心があつて足ることを知る』ようにしなければなりません。つまり,満足を感ずるようにしなければなりません。なぜなら,それは真実に大きな利得だからです。私たちは,何も持たずにこの世に来たのですから何も持ちさることができません。それですから,衣食住があれば満足すべきである,と使徒はさらに助言しています。―テモテ前 6:6-8。

創造主である神は,私たちが自分自身に対して親切であるよう期待しておられます。神は私たちが幸福であるようにと欲しておられるのです。近視眼的な見方を取らないとき,私たちは節制を行い,満足を感じます。そして,『ヱホバのめぐみは人を富ます,人の労工はこれに加うるところなし』という言葉を記憶します。―シンゲン 10:22。

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする