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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
塔60 9/1 323–326ページ

エホバの証者はクリスチャンか

なぜ反対の言葉が言われますか。彼の目的は何か。

キリスト教国の正統派宗教の中では,伝統的な宗教崇拝や行動の型がつくられています。正統派宗教の中では,牧師級と一般信徒の級に分かれていて,牧師たちは説教し,一般信徒は聞くだけです。社会活動や募金運動が行なわれ,また政治に介入したり,一般にひろく認められている教えとか休日を作つたりしています。この型に従わない宗教的な群れは,多くの場合に奇妙なものと考えられています。政治当局や法律当局は,それを宗教的な群れとして認めず,憲法により保証された自由をも否定します。正統派の宗教指導者たちは,それを嘲笑し,そしてあざむきのもの,偽りの預言者,キリスト教でない,と非難するかもしれません。この20世紀においてのエホバの証者はこのことを経験してきました。

証者に対する仕打ちは第1世紀のクリスチャンたちの経験に似ています。彼らは当時のユダヤ人やローマ人のあいだで人気のあつた宗教的な型に従わなかつたのです。当時の初期クリスチャンの数はわずかでした。そして,その崇拝,信仰,および宗教的な行いは,偶像を崇拝していたローマ人たちや,言伝えにしばられていたユダヤ教帰依者たちとは,たいへんちがうものでした。当時のクリスチャンたちを容認しないことは,人気のあることでした。ローマの皇帝たちは,彼らを闘技所に投げ入れて,生きながらに焼かせたり,獣によつて引き裂かせました。ユダヤ教の宗教指導者たちは,彼らに対して暴徒をそそのかし,町から町へと彼らを迫害させました。イエス・キリストは,幾人かの正統派の宗教指導者たちに次のことを言われたとき,このことを預言されたのです,「私は預言者,賢者,そして公に教える者をあなたがたにつかわす。あなたがたは,そのある者を殺し,また杙につけ,そのある者を会堂でむち打ち,そして町から町へと迫害して行くであろう」。―マタイ 23:34,新世。

それらの宗教指導者たちは,むかしに住んでいた預言者たちの記憶の墓を飾つて「もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら,預言者の血を流すことに加わつてはいなかつただろう」。と言いました。(マタイ 23:30,新口)しかし,先祖たちが,通俗の事に従わなかつたヘブル人の預言者たちを取り扱つたと同じように彼らはクリスチャンたちを取り扱いました。

初期クリスチャンの時代から多くの世紀が経過し,幾百万という多くの人々がキリスト教を奉じていると称しています。しかし,通俗的な事柄に従わないクリスチャンたちは,いまでも悪い仕打をうけています。正統派の宗教的な群れは,初期クリスチャンたちに示された悪い仕打を残念に思い,もし当時に生きていたなら,彼らはその迫害者の中にはいなかつただろうと言います。ところが,彼らはその態度を変えて今日一般に行なわれている宗教的な様式に従わないエホバの証者を迫害します。イエス・キリストは,こうなることをあらかじめに預言されました。それは末の日に生活する弟子たちに述べたイエスの言葉からも分かります。「そのとき人々は,あなたがたを苦しみにあわせ,また殺すであろう。またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。「あなたがたを殺す者がみな,それによつて自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう」。―マタイ 24:9。ヨハネ 16:2,新口。

クリスチャンとは何か

クリスチャンであると決定するものは,正統派の宗教制度の通俗的な信条に従うことでもなく,また通俗的な宗教の行いや宗教的な休日に参加することでもありません。クリスチャンについての一般的な考えに従うからといつても,人はクリスチャンになるわけではありません。聖書の要求に適つてこそ,人はクリスチャンになるのです。使徒ペテロは次のように語りました,「キリストも,あなたがたのために苦しみをうけ,御足の跡を踏み従うようにと,模範を残されたのである」。(ペテロ前 2:21,新口)人はキリストの残した模範に従わねばなりません。

キリストは,聖書に十分通じて聖書の正しい原則に従つて生活しただけでなく,天の御父の名前と目的に証を立てられました。「わたしは彼らに御名を知らせました。またこれからも知らせましよう」。(ヨハネ 17:26,新口)彼の来た目的は,直理について証を立てることである,とイエスは述べました。(ヨハネ 18:37,新口)第1世紀のクリスチャンたちは,当時一般にうけ入れられていた伝統的な教えに反対し,直理に証を立てることにより,キリストの模範に従いました。

キリストの初期の弟子たちは,異教のギリシャ人やローマ人の哲学的な信条や宗教的な形式主義をうけ入れませんでした。クリスチャンの崇拝は清いもので,異教の影響によつて汚されてはならない,と彼らは知つていました。「不信者と,つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか」。―コリント後 6:14,新口。

神の御国は,イエス・キリストの行なつた伝道で顕著に示されました。彼は神の御国を強調し,弟子たちに「まず神の国と神の義」を求めよ,と告げました。(マタイ 6:33,新口)クリスチャンは,この要求に適わねばなりません。そして,彼らは初期クリスチャンのように,御国を求めるだけでなく,御国についても語らねばなりません。―マタイ 10:7。

イエスは非常につらい環境の下でも天の御父に忠実を保ちました。同様にクリスチャンになろうと努める人も,天の御父に忠実を保たねばなりません。この世の人々が,神に対するクリスチャンの忠実を破ろうとつとめるとき,クリスチャンはペテロの語つたとおり行なわねばなりません,「人間に従うよりは,神に従うべきである」。(使行 5:29,新口)クリスチャンは,たとえ一般には人気があつても,神の御言葉に反するものには従おうとしません。そして,そのために迫害が来るとき,自分の忠実を破つてはならないのです。クリスチャンは,すべての人から良く言われることを期待しません。「キリスト・イエスにあつて信心深く生きようとする者は,みな迫害を受ける」。―テモテ後 3:12,新口。ルカ 6:26。

クリスチャンは,1週間のうちの1日だけということでなく,いつでも御霊の実をむすぶべきです。御霊の実については,聖書は次のように述べています,「しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制である」。(ガラテヤ 5:22,23,新口)クリスチャンになりたいと思う人は,口先きだけの奉仕をするのでなく,これらの特質を持たねばなりません。

エホバの証者の信仰と宗教的な活動は,正統派の教会員とちがうため,エホバの証者はクリスチャンでないと言う人々もいます。しかし,果してエホバの証者が聖書的な要求にかなつて,クリスチャンにふさわしいかどうかを調べてみましよう。人気があるかどうかよりもこの方が大切です。

エホバの証者は要求にかなう

エホバの証者の活動は,その名前にふさわしいものです。聖書中に「忠実な,まことの証人」と呼ばれているイエス・キリストのようにエホバの証者は神の御名,目的,そして真理に対して証を立てています。(黙示 3:14,新口)彼らは神の名をかくさず,それはエホバであると公に宣伝えます。お気づきのごとく証者の用いている主要な出版物であるこの雑誌の表紙に,神の御名は大きく示されています。その御名を地の住民たちに知らせることはエホバの御心です。―詩 83:18。ヘブル 13:15。

証者である彼らは,次の事実について証言します。すなわちエホバは唯一つの神であり,彼は専心の献身を当然に要求される,ということです。1956年3月1号の「ものみの塔」に掲載されたエホバの証者の次の言葉を考えてごらんなさい,「エホバ神に専心の献身を捧げる,ということは,非常に大切な要求です。……神は他のものを排除して,只お一人だけです。神以外の他のものは,神のみお持ちになる最も栄光に輝くこの神の地位に入ることができません。神御一人のみが,宇宙内の高められた地位におります。神は,他のものを御自分の地位に入れさせません。また御自分の栄光を他のものに分かち与えません」。この事実は,偶像や人間の指導者にささげる宗教的な帰依を排除します。―出エジプト 20:5。

初期クリスチャンのように,エホバの証者はエホバ神に捧げる崇拝を清く保つことを主張します。エホバの証者は,聖像,表象物,行列,牧師の礼服,そしてキリスト教国が幾世紀もむかしに異教から採用した他の多くの物の使用を拒絶します。彼らは異教主義あるいは宗教的な信条に根を持つ宗教的な休日を行なうようなことをしません。彼らはその崇拝を汚されないようにします。それらのものは人間の哲学から出たものであつて,神の御言葉から出たものではありません。証者たちは清い崇拝を保とうと決意しているため,一般に人気のある宗教的な信条や行いとは全くことなるのです。イエス当時の宗教指導者たちは,イエスの教えた聖書的な真理のためたいへんな動揺をうけました。それと同じく,キリスト教国の宗教指導者たちは,エホバの証者の伝道活動のため,たいへんな動揺を感じています。

1958年の神の御心国際大会で証者たちが可決した決議にはつきり示されているごとく,神の御国は彼らの伝道の最重要な主題です。その決議は,次のように述べていました,「宇宙にある唯一つの安定した政府は,油そそがれた御子イエス・キリストによる設立された神の御国であります」。彼らは「まず神の国と神の義とを求め」ることにより,イエスの模範に従います。―マタイ 6:33,新口。

初期クリスチャンのように,証者を沈黙させようとする多くの悪い努力がなされているにもかかわらず,彼らは神への忠実を保ちます。アメリカ合衆国では1940年中に600の暴動事件がありました。しかし,証者たちは恐れを感ぜず,また沈黙しなかつたのです。ヒットラーは,牢獄や収容所内に証者を入れて,10000人の証者たちに拷問を加えましたが,彼らの気持を砕くことはできませんでした。共産主義者はおそろしい牢獄や奴隷収容所内で証者たちの気持を砕こうとしていますが,失敗しています。証者たちは,イエスの次の言葉が1900年前と同じく,今日でも真実なことを知りました,「もしあなたがこの世から出たものであつたなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえつて,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである」。―ヨハネ 15:19,新口。

聖書の真理を公に宣べ伝えることは,キリストの模範に従おうとつとめるすべての者に課せられている義務です。エホバの証者はこの事実を無視しません。全部のエホバの証者は奉仕に参加して,他の者に伝道しています。1959年中,87万人以上のエホバの証者は1億2600万時間以上を,神から権限を与えられたこのわざについやしています。伝道は救いを得るのに必要な事柄のひとつである,とエホバの証者は知つています。「なぜなら,人は心に信じて義とされ,口で告白して救われるからである」。―ロマ 10:10,新口。

証者たちは,御霊の実を表わし示すことによつて,クリスチャンであることを更に証明しています。彼らの愛,温和,そして節制は,大会を開くときに公に示されます。1958年,ニューヨーク市で行なわれたエホバの証者の大会のときニューヨーク大会と観光局の一役員は,ディリー・ニュース紙上で「証者たちを『社会の資産』と呼び,彼らの行儀振舞は『この世のものでない』と語つた。」

信仰は聖書的

エホバの証者の信仰は,キリスト教国が正統的と考えているものとはしばしばちがつています。しかし,その信仰は聖書的なものです。証者たちは次のことを信じています。すなわち死人は眠りに似た状態,無意識の状態に似ているということです。死人に対する希望は,復活により生命によび起されることです。この信仰は聖書的なものです。なぜなら,イエス自身も死を眠りになぞらえられたからです。彼は次のように言われました,「わたしたちの友ラザロが眠つている。わたしは彼を起しに行く。イエスはラザロが死んだことを言われた」。―ヨハネ 11:11,13,新口。詩 146:4。伝道の書 9:10。

悪い者たちの運命という点でも,証者たちの信仰と正統派宗教の信仰はちがいます。エホバの証者は,悪い者たちが死後火の燃える地獄で苦しみをうけると言わず,むしろ悪い者は永遠の死に行くと述べます。このことも神の御言葉に一致します。聖書にはこう書かれています,「ヱホバは己をいつくしむものをすべて守りたまへど,悪者をことごとく滅したまはん」― 詩 145:20,ロマ 6:23。

キリスト教国内の通俗的な信仰は,神は三位一体で,三位はみな平等で共に永遠である,という考えです。エホバの証者は,この信仰を捨てます。なぜなら,それは聖書にないからです。その信仰は,むしろヒンズー教や他の異教の宗教にあります。証者たちは父と子はちがつたもので,子は御父により創造されたものであるという聖書的な教えに従います。キリストは「神に造られたものの根源」である,と聖書に書かれています。(黙示 3:14,新口)エホバはキリストが崇拝する父であり,神であります。イエス御自身もこのことを告げられました,「わたしは,わたしの父またあなたがたの父であつて,わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上つて行く」。―ヨハネ 20:17,新口。

人間の救いは,キリストのあがないの犠牲により可能である,と証者たちは認めています。これも聖書的な教えです。(マタイ 20:28)キリストを王にいただく御国は,地を支配する天的な政府であると宣明されています。それは極めて実際的な政府です。―イザヤ 9:6,7。コリント前 15:23。

それは天に設立された神の政府であつて,神の是認を持たない人間の政府や権威をことごとく滅ぼすでしよう。(ペテロ後 3:7)そのとき,地上に住む人々は柔和な人です。なぜなら,彼らは創造主に忠実を保つので永遠の生命という贈物をうけるからです。聖書は次の言葉を述べて,この信仰を支持しています,「神の祝福する人々は地を所有するであろう」。―詩 37:22,新世。ヤコブ 1:12,新口。

エホバの証者が信じているこれらのことや他のことは,キリスト教国の正統派の信仰とはちがうものであつても,聖書的なものです。それらの信仰は,神の御言葉にもとづくもので,むかしの異教の宗教から来たものではありません。その信仰と活動によりエホバの証者は真のクリスチャンであると証明します。彼らはクリスチャンについての聖書的な資格を備えています。彼らの主要な目的は「すべての民に対してあかしをするために,全世界に」神の御国の良いたよりを伝道することです。このことにおいても,また多くの他の面でも,彼らは真のクリスチャンに要求されているごとく,キリストの足跡にしつかり従つています。―マタイ 24:14,新口。

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