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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1965
塔65 11/15 675–676ページ

人と仲良くしていく

あなたには仲良くしていけない人がありますか。そのことをどうしたらよいでしょうか。たとえばあなたは多くの人に気分を害されますか。もしこうした面で問題があれば,『これはいったいどちらに問題があるのだろう。相手だろうか,自分だろうか』と自問してみるのはよいことです。もしいつも他の人が悪いと思えるようなら,あなた自身がある程度の調節をする必要があるでしょう。

人と仲良くしていくために多くの人にできる調節のひとつは,相手の間違いや欠点を不完全によるものとして許すことです。小さな問題をとりあげて事をかまえる必要はありません。霊感による神のことばはこう教えています。「愛を追い求める人は人のあやまちをゆする。人のことを言いふらす者は友を離れさせる」。―箴言 17:9。

したがって,相手の欠点を見のがし,またその欠点を忍耐してつき合う人は,友だちを失いません。人も不完全であり,問違いをするのだと考えると,相手に欠点があってもゆるしやすくなります。人に期待しすぎないこと,完全ではあり得ないのだという思いやりをもつことです。他の人の欠点を思いやり,自分に対して当然なすべきことであってもその100パーセントをするように要求しないことです。この親切があれば人と仲良くしてゆけます。

また賢明な人は,自分がすべての人と同じ行動をし,同じ方法で交際できないことを考慮に入れます。人はみな違います。個性も習慣も特性もそれぞれ異なっています。自分ではいい趣味と思うものでも,他の人はそれを悪趣味と思うかも知れません。二人の人のいさかいは多くの場合ごく小さなことが原因です。それで性格の違いによる衝突を避けるためには,すすんで譲歩すべきです。つまり柔軟性をもたねばなりません。

クリスチャンであった使徒パウロはそのよい例です。彼は宣教活動においてよく気転をきかせました。人と話すとき相手の考えを理解することに努め,彼らの理性に訴えました。(コリント前 9:20-22)アテネ人に話したときには,彼らの祭壇と,それに刻まれた『知られない神に』という碑文に言及し,また意味を理解させるためにアテネ人の詩を引用しました。(使行 17:22-28)使徒パウロは,彼らのものの考えかたに焦点を合わせたのです。私たちも他の人との交渉において同じ原則をあてはめることはできませんか。人と仲よくしていくためには,相手の個性に合わせて自分を調節するのが賢明ではないでしょうか。もちろんこれは正しい原則をまげて妥協するというのではなく,他人の考えかたを理解するように努めることです。

ある人は生まれつきひとのことに非常に興味をもち,ひと自身,あるいはひとのしたことを事こまかに知らないと気がすみません。こういう性質は不和のもとになることがあります。人によってはある事柄を個人的なこととして他人の干渉をきらいますから,そういう性質の人は,人とうまくいかないかも知れません。気持ちのよい関係を保つためには,親しくしながらも個人的な事柄にあまり立ち入らないことです。友人でも事柄によっては,あなたに知らせたくない事もあるでしょう。それで質問するまえに,はたしてその質問が争いの種になりはしないかよく考えてみなければなりません。

また人のくせや習慣が気になってうまくいかないこともあります。相手はだらしのない人かも知れません。しかしたとえそれがその人の欠点であっても,絶えずその点にちくちく触れるのは平和な関係を保つ方法ではありません。かといってその人のよくない習慣をまねるというのではむろんありません。批判するまえに自分自身の欠点を10数えるのです。そうすると気持ちが静まり,何かよい方法があれば,それを巧みに勧めることができます。

個性の強い人どうしもうまくいかない場合が多いようです。どちらも自分の意見の正しいことを主張してゆずらないことがしばしばあるでしょう。そういう人が一緒になると,お互いにおもしろくない感情をもつようになるのがふつうです。それでけんかが始まれば,どちらも相手のせいにできないことをおぼえていなければなりません。けんかは二人でなければできないからです。

聖書もそのことを認めています。箴言 17章14節には「争いの初めは水がもれるのに似ている,それゆえ,けんかの起らないうちにそれをやめよ」という霊感による助言が書かれています。ダムの小さな穴もついには大洪水を招くことがあります。それと同じく,ちょっとした怒りやかんしゃくも激しい言葉や態度の大洪水へと発展して,大きな被害を招きかねません。ですから議論がそこまで発展しないうちにやめるのが最善の策です。つまり「けんかの起こらないうちに」その人から離れて被害を防ぎます。

世の中にはいろいろな性格の人がいます。ですからそういう人たちすべてと仲良くやっていくことはたしかに容易ではありません。しかしクリスチャンは,「できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」と教えられていますから,すべての人と仲良く過ごすよう努力する義務があります。(ロマ 12:18)そうするためにはクリスチャンは「真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべき」です。(エペソ 4:24)「新しき人」は,寛容,自制,柔和という特性をもちます。この特性をもつとき人は「むずかしい人」とも仲良く暮らすことができます。

また「新しき人」は,「愛をもって互に忍びあい」なさい,という聖書の戒めに従って,耐え忍ぶ努力をします。(エペソ 4:2)しかし「新しき人」はこの世の人々と一緒になってみだらな冗談を言ったり,間違った行いをしたりしません。また憤慨してたけりたったり,怒号することもありません。ですから「新しき人」は,他の人と平和に過ごし,善を行なうことができます。

したがって他の人と仲良くしていける能力は,クリスチャンとしての円熟の度合を示す物差しと言えるでしょう。円熟した人は,けんかは二人でなければできないことを知っています。そればかりでなく,他の人に期待しすぎないし,また人の未熟な振舞いを見のがします。人と仲良くしていく能力は,クリスチャンの円熟性を示すものであることをよく知っているのです。

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