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  • 『み名のためにあなたは私を導かれた』
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
塔67 3/15 188–191ページ

『み名のためにあなたは私を導かれた』

バート・ホートンの経験

だれの生涯にも特に目だつ時期があります。それは喜びの時期であるとはかぎりません。その逆の場合もあるからです。わたしにとってそのような時期は1920年でした。当時わたしは,世界の陰うつな傾向が続くのを見て当惑し,非常に悩んでいました。将来に満足した生活を期待することもできないように見えました。

自分なりに神の存在を信じていましたが,宗教は自分にとってタブーになっていました。わたしは宗教にかわるものを求めました。しかし何もありませんでした。政治に一時的な興味を覚えたこともあります。しかし政治は真の救いではありませんでした。そのころ,ある労働組合の書記になりました。その仕事によって,心の不満は幾分でも消え,ほかの人を助けることもできるというのが自分の考えでした。しかし,こうして働いた2年間は,立法措置もどんなイデオロギーもみじめな世界の病状をいやすことはできないというわたしの結論を確証したにすぎません。

1922年

1922年までに組合書記をやめたわたしの生活には一種の空白ができました。その時30歳のわたしは,やがて西オーストラリアで消防隊員として働くことになりました。

ここからはわたしの話の良い部分です。事実,1922年はわたしの生涯の中でも目だってすばらしい年であったと言えます。なぜ? 母が「世々にわたる神の経綸」という本を手に入れ,それをわたしにくれたからです。その本を終わりまで読まないうちに,自分は真理を見つけたことを知りました。もう悩んだり,退屈したりすることはありません。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」というイエスのことばの意味を今じゅうぶんに理解できました。(マタイ 11:28)自分の見つけたものが真理であることを確信し,それに喜んで応じたわたしは,それまでの組合運動や政治活動すべてからすぐに手をひきました。

わたしの仕事にはひまがありました。わたしはこの時間を利用して神のことばを熱心に研究し,そこに備えられた良いものすべてを吸収することに努めました。そして,ものみの塔聖書冊子協会のすぐれた聖書研究の手引きに心から感謝しました。自分の勉強が進むにつれ,神が人類のために用意しておられるすばらしい事柄について職場の仲間に語り,消防署の中で聖書研究を開くことも楽しみになりました。自分の信仰について職場仲間に熱心に語ったことには明らかな効果がありました。初め嘲笑的であったのが,やがて敬意をこめて聞くようになったからです。

この時まで,当時,聖書研究生と呼ばれたエホバの証人に会ったことはありませんでした。ところがある日,勤務中に,聖書研究生がたずねて来たのです。なんとうれしかったことでしょう。真理のことで心がいっぱいになっていたわたしは,学んだことすべてを語り,ただ自分だけが話しました。それでも彼は思いやりのある態度でそれに応じ,わたしが新たに真理を知った者であることをすぐに認めました。

わたしは聖書研究生の集会があるかどうかを尋ねました。その時彼から聞いて出席した集会が,わたしにとって最初の集会です。そこでは「時は近づけり」という本と「完成した奥義」という本を勉強していました。わたしは新しい生活にはいろうとしていたのです。小さなものであったとは言え,その誠実なクリスチャンの集まりになんのためらいもなくとけ込むことができました。それはなんと幸福な日だったでしょう。

数ヵ月はまたたく間にたち,母と妹も神のことばの真理を受け入れました。そしてわたしにとっても生涯を決定する時が来ました。天の父に対する感謝は深まり,次の大きな段階に進もうとしていたのです。それで,1922年4月,母や妹と共に,神への献身のしるしとして水のバプテスマを受けました。わたしたちがバプテスマを受けたのはとても質素な所,つまり鉱夫小屋の家族ぶろです。

楽しい活動

もはや生活はものういものではありません。むしろ,自分の心は実りの良い畑のようであり,仕事の合間の多くの時間は伝道のために用いました。そうして得る実際の経験は霊的な考え方を育て,さらに伝道するようにとの神の霊の働きを感じさせました。わたしは全時間の神の奉仕者にならねばならないと考えました。その決定を助けたは,イエスにらい病をいやされた10人のうちただ一人だけが帰って来て神を賛美したことを説明した小冊子でした。帰って来なかったほかの9人のようにはなりたくないと思いました。―ルカ 17:11-18。

こうしたことのすべてにエホバの導きを見ることができました。主は,『行って,宣べ伝えよ』と言われました。(マタイ 10:7)そして天の御父はその道を開いておられます。どうしてそれを疑うことができましょう。全時間伝道の申し込みをものみの塔協会に送ると,どこで働きたいかとの返事が来ました。「どこでも必要な所へ」とわたしは答えました。それはまれな任命であり,地上のエホバの見える組織の決定を仰ぐのが最善の方法です。わたしはここでも神が導いてくださるのを知りました。

割り当てられた伝道の区域は数千平方マイルもある西オーストラリア全域です。すでに全時間伝道をしていた別の霊的な兄弟と連絡を取り,イエスの弟子たちと同じように,余分な資金や持ち物をもたないで出かけることになりました。わたしたちは終始,神の導きを意識しました。

しかしこの広大な区域を伝道するには何か乗り物が必要です。それはどこから得られるのですか。わたしはその時の経験を大切にしています。なぜなら天の御父の配慮とみちびきがここにも示されているからです。土地の会衆には,真理の音信に関心をもつ人が西オーストラリアでの福音伝道のためにと託していった資金がありました。うれしいことに,この資金でわたしたちの活動に使う有がい貨物車を買うようにとの申し出があったのです。確かにこれは神のみ手の働きでした。このすばらしい後ろだてを得て,どうして神のみちびきを疑うことができましょう。それはわたしにとって,天からの露にしっとりぬれたギデオンの羊の毛でした。―士師 6:36-40。

聖書研究用の手引きを十分に積み込んで元気よく出発した二人は真理の種を豊富に植えました。それはさらに大きな仕事の初まりであったにすぎません。のちにほかの兄弟たちがその実をかり取ったからです。わたしたちは割り当てられた広大な区域を2度まわりました。宣教に対するわたしたちの熱意は他の人々に良い感化を与え,分散した各地の会衆の兄弟たちが共に全時間を宣教にささげる者となりました。

新しい任命

その時ものみの塔協会から手紙を受け取りました。わたしたちの車で平原を横断してシドニーまで行くことができますか。それは約3000マイル(約4800キロ)の道のりであり,当時はまだ道路がなかったのです。わたしの答えはただ一つでした。つまり,エホバの見える組織が求めることはどんなことでも果たそうということです。

それでほかの二人の兄弟と共に,砂に残るわだちを追って平原の横断を始めました。機械の故障と言えばスプリングと車台のしめ金が二,三折れただけです。これは単なる旅行ではありませんでした。途中で幾つもの会衆を尋ね,全時間伝道者をさらに集めることができたからです。ようやくシドニーの支部事務所に着きました。そこで何がありましたか。まずわたしが受けた特権はメルボルン大会に協会の代表として出席することでした。ついで協会の旅行代表者としてオーストラリアとニュージーランドの諸会衆および孤立した兄弟たちを訪問する任命を受けました。

それから何年かの間,街頭証言,教会門前での証言,蓄音機を使っての家から家の伝道,サウンドカーを使っての活動などに携わりました。時には特別に割り当てられた土地で証言をするために,全時間伝道者や忠実な会衆の伝道者などが数多く集まったこともあります。反対にあったこともあります。しかし旅行を続けるにつれそれを上まわる喜びがありました。

1936年,のちにわたしの妻となった姉妹に会いました。これはわたしにとって別の祝福でした。その時以来わたしと共に忠実に戦う信仰を得たからです。病気や労苦のために全時間奉仕を続けることがむずかしく,時にきびしい戦いをしなければならなかったこともあります。しかし天の御父は今この瞬間に至るまでわたしたちの努力を祝福されました。確かに神はわたしたちを導かれます。

大戦中

変化の時が来ました。第二次世界大戦が始まり,戦いの波がオーストラリア一帯にも及びました。結果として始まったのが弾圧です。オーストラリアにおける伝道活動は政府により禁止されました。協会の資産は接収され,兄弟たちの家は捜索を受けました。文書も没収されました。そのためわたしたちは“地下活動”を余儀なくされました。

霊的な食物を印刷した形で得ることはきわめてむずかしくなりました。それでも兄弟たちを養わねばなりません。神はこの必要を十分に満たされました。必要な時に霊の糧が供給されたのです。しかもそれはいつも正規の方法でなされたとはかぎりません。エホバは必要に答えられ,真理はクリスチャンの愛と奉仕とによって人から人に届けられました。

1942年の終わりごろ戦争による危険は大きくなりました。軍隊の侵入の危険に直接さらされたオーストラリア北部では特にそうでした。それで協会は兄弟たちが海岸地方から離れる必要があると考えました。わたしの仕事は,内陸の人々が自分の家を開放して海岸地方から来る兄弟を迎える取り決めを設けることでした。兄弟たちはこぞってこれに応じました。すべての者が自分の宿泊する所を得たのです。侵入は実際にはありませんでしたが,この活動は真のクリスチャンの兄弟愛が苦難の時に深くなることを如実に示すものでした。

1942年のむずかしい状況の下でも大会は開催されました。その一つは危険地帯にあった北クインスランドのタウンスビルで開かれました。どんな場所に集まったのですか。会館を借用することはできません。それで兄弟たちはトラックにおのを積んで集まりました。未開墾地を何マイルもまわって建築用の木材を集め,関心のある人が提供した土地に,すべての人を収容できる会館を建てました。

しかしながら,戦時のむずかしい状況を考慮して,協会はオーストラリア全土での大会を兄弟たちの家で開くことに決めました。それでこの会館は使われませんでしたが,大会はプログラムどおりに行なわれ,どんな小さな部分も省略されませんでした。霊的な食物は実際の食物と共に家から家へ兄弟たちの手によってリレーされました。

そののち,わたしは妻と共に別の任命を受けました。遠方の西部地方で奉仕することでしたが,ここでは警察と軍隊の干渉を絶えず受け,威嚇と尋問に追いまわされました。泊まる場所がなかなか得られず,あちこちでしめ出されたようなこともありました。しかし一日が終わるまでに,天の御父はわたしたちが枕する所を必ず備えられました。そうした時にいよいよ強く意識したのは,神のみ名と目的のために働く者に対する神の導きです。

ついでベテル奉仕

この時までにわたしはいろいろな経験をしました。しかし次の経験は全く想像もしないものでした。ベテルつまりものみの塔協会のオーストラリア支部事務所に招かれたのです! 全時間伝道と旅行の仕事を16年間続けたあとにこうして「神の家」に招かれたことは,わたしたちの肉体にちょうど必要な変化であり,神意によるものと思われました。ベテル奉仕の場合には一つの場所に落ち着くことができます。またわたしたちにはベテルで得る霊的な交わりが必要でした。それまで霊の食物をずっと与えてきましたが,今度はさらに豊かに受けることができるでしょう。

ベテルにいる間に,政府はわたしたちの活動に対する禁令を解きました。それはさながら捕囚から解放されたかのような喜びの日でした。もはや心配はありません。兄弟たちはこの間の経験によってむしろ強められ,前途の活動に対していっそうの確信と期待をいだいていました。

わたしがベテルに来てからすでに20年以上になります。発送部門で働いたこの20年はきわめて多忙で,活動的な年月でした。ベテルにいるわたしは非常にしあわせです。ここではあふれるほどのクリスチャン愛を知りました。何年にもわたって与えられたやさしい訓練に対しても深く感謝しています。また神の過分の恵みによって,学校のしもべおよび一会衆の監督としての務めを果たしてきました。

旅行の仕事はもうしませんが神の導きは今でも受けており,この導きが永遠に続くことを祈っています。これからの喜びはエホバを賛美する務めを最後まで果たしどこであってもエホバの導かれるところに行くことです。

わたしには生きた推せん状もあります。つまりこの収穫の時における自分の宣教の実です。その人々も神の「宮」にあって神を崇拝しています。ことばで言いつくせぬこの祝福に対し,大いなる羊飼いに感謝せずにはいられません。この人々は老齢者の肩にある荷を背負い,わたしたちがやがて地上で終わろうとしている仕事を継続しています。エホバがこれら生きた推せん状を惜しみなく用いられることを思うだけでわたしは喜びにあふれます。この人々は神の畑にあらかじめまかれた種を刈り取っているのであり,たとえその傍観者であったとしても,わたしはそれを見て大いに喜ぶでしょう。しかしエホバに感謝すべきことには,わたしもその仕事に加わることができました。1922年以来の年月は,詩篇 90篇4節が言う「夜の間のひと時」より短かく感じられます。この間,自分にゆだねられた御国の事柄を果たしつつ天の御父の導きを求めたわたしは豊かに祝福されました。今わたしの願いは忠実なしもべとして神に永遠につかえることです。忠実な神はわたしを永遠に導いてくださるでしょう。―詩 31:3。

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