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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
塔67 5/15 313–319ページ

真の富をもたらす全時間伝道

アーネスト・J・ガイバー

50余年前,ロンドン北西部のある通りに面した,とあるショーウインドーの前にたたずむ自分の姿を私は今もありありと思い浮かべることができます。ショーウインドーの中には聖書に関する多くの本やパンフレットが陳列してありましたが,中でも,「聖書は地獄について何と述べているか」という題の小冊子に特に心をひかれました。

その冊子を求めようとしたことには理由があったのです。と言うのは,その前日,弟が仕事に行く途中,「罪の払う価は死であり,永遠の苦しみではない」と題するパンフレットを手渡され,その夜,弟はパンフレットを私にくれたのです。当時,私たち二人はロンドン北西部福音伝道団の会員として2年ほど働き,野外伝道や教会内での伝道に参加して週末を過ごしていたので,そのパンフレットは特に私の興味をひきました。当時の伝道の主題ですか。それは,「不信者は永遠の苦しみを受けるゆえに,今,救われよ」だったのです!

それで私はそのショーウインドーにある小冊子を早く読みたかったのです! ふと,その建物を見上げたところ,「ものみの塔聖書冊子協会」という文字が目につきました。この時初めてこの建物が,弟に手渡されたパンフレットを出版している協会の本部であることを知りました。こうして私は,真理の本である聖書から何物にも比べることのできない知識の富を得る道を歩みはじめたのです。

それから間もなく神に献身する必要を悟りました。それで1910年,私は40人ほどの人たちとともに,神の御心を行なう献身を象徴するために浸礼を受けました。

献身した当時から,同じ信仰にある兄弟たちに仕えたいと願っていた私は,そのころ集会を開いていた「ロンドンの幕屋」会衆の“長老”および“執事”に推薦された者の氏名の一覧表を,当時,英国訪問中であったものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセル兄弟が読み上げた際,私の名前が呼ばれたときの喜びを今でも忘れることができません。こうして私は,兄弟たちを座席に案内したり,また,「世々の経綸」と題する聖書研究の手引きを用いる群れの研究を司会したりして,霊的兄弟に仕える奉仕の宝を与えられました。

全時間伝道を始める

それは1914年6月のことでした。その時,全時間伝道を生涯の仕事にすべきではなかろうかという問題が私の心に生じました。当時,2年半後にものみの塔協会の2代目の会長になったJ・F・ラザフォード兄弟が英国で聖書講演の運動を開始しました。「死人はどこにいるか」と題する講演を行なうために,英国各地の数多くの大きなホールが契約されました。そしてこれらの講演のあとで,氏名と住所を書いて案内者に手渡していった人々を訪問するのに,大勢の全時間伝道者が必要でした。

この時,全時間伝道者としての奉仕に加われるかどうかを尋ねる一通の手紙を協会から受け取ったのです。心の中には時として不思議な考えが浮かぶものです。自分ではこう考えたのです。「私はロンドンの幕屋会衆の一人のしもべとして任命されており,4つの群れの研究を毎週司会し,そのうえ公開講演者の名簿にものせられているではないか。これ以上行なえる事があるだろうか」。しかしまた,全時間伝道を始めるのに妨げとなるような責務は何もありませんでした。

それで私は正しい決定を下しました。全時間伝道を始めることにしたのです。それにまた,何というすばらしい年に始めることになったのでしょう! 1914年は聖書預言の中でもきわめて顕著な年ではありませんか! 私たち聖書研究生は当時,その年の秋までには何事かが起きるということを知ってはいたものの,それが何であるか正確にはわかりませんでした。しかしその時までの歴史上最大の戦争の勃発が,一,二カ月後に迫っていたのです。しかし英国人の大多数は,諸国家が直面しようとしていた災いに気づいていませんでした。

英国諸島各地での伝道

その後ほどなくして,今もなお私とともに全時間伝道に携わっている妻と結婚しました。そして間もなく,ものみの塔協会ロンドン支部から一通の手紙を受け取りました。聖書の真理の音信に関心をいだいている人々を援助するためにランカシャー地方に行けますかという質問を受けたのです。もちろん,行きますと答え応じました。そして直ちに新しい任命地で働くことになりました。当時その地方には会衆は一つもありませんでした。ついでですが,そのころ私は,地方の兵役免除審査局から奉仕者として兵役免除を受けたので,任命された奉仕を第一次世界大戦の4年間ずっと続けることができました。

ランカシャーにおける奉仕は楽しいものでしたが,交通機関がかなり不自由で,そのうえ,きびしい戦時態勢下でもあり,なかなか困難な割り当てでした。しかし三つの会衆の成長を見,60人以上の人々にエホバへの献身の象徴としての浸礼を施すことができ,私たちは豊かに祝福されました。

その後,ロンドンの支部からの手紙により,当時“巡回者”と呼ばれたわざを行なうように指示されました。これは英国中のすべての会衆を訪問する奉仕でした。毎週二つの聖書の話を別々の会衆で行ない,大きな会衆は週末に訪問しました。“巡回者”の仕事は,各地を訪問して真理にある人々を当時の危急な時期のあいだ強めることでした。兄弟たちは将来のわざに備えて明るい見方を持つ必要があったのです。

この奉仕を8年ほど行なってのちの1926年には,英国でも美しい風景に恵まれたレーク地方,東南スコットランド,北部アイルランドなどを含む地域での奉仕を割り当てられました。そして一週間に4つの別々の町のホールを契約して,それぞれの会場で講演を行ないました。講演を宣伝するためにポスターをはったり,家から家に訪問して講演の招待ビラを配りました。北部アイルランドにおけるこのような奉仕に関して,スリゴー郡で一連の講演を行なった際に,すばらしい経験を得ました。私たちが配った招待ビラの1枚を得た,ある男の人は,講演会には出席しませんでしたが,ロンドンの支部事務所に手紙を出して文書を求めました。後日,彼は家族の者数人とともに神のみことばの真理を受け入れたのです。しかし,この兄弟に会えたのは,それから実に34年後の1963年でした! 同年,ロンドンのトゥイッケンハムで開かれたエホバの証人の「永遠の福音」大会で会うことができたのです。何という喜びでしょう!

協会からの次の指示は,妻とともにアイルランドで奉仕を続けることでした。この地域での最善の交通手段である自転車に乗って,まずアイルランドの北部の郡から奉仕を始め,南部へとわざを進め,5年間にわたる徹底的な伝道を行ないました。

「救を受け継ぐべき人々に奉仕する」目に見えない御使たちの保護の手を特に強く感じたのは,このアイルランドで奉仕した時でした。(ヘブル 1:7,14)と言うのは,ここでカトリック・アクション行動の激しい反対を受けたからです。人々は私たちに石を投げ,おどし,虐待し,私たちは村から村へと追われました。文書は鉄道の駅で盗み去られ,またティッペラリーの町の市場の広場で燃やされたこともありました。ある時は,連発ピストルの銃口でねらわれました。これらの愛すべき人々はバビロン的な宗教のためにあわれにも偏見をいだかされていたのです。しかし彼らの中にも,困っている私たちを迎え入れてくれる少数のりっぱな心の持ち主もいました。

その後,スピーカーを備えた車が伝道に用いられることになり,私たちにも1台の車が割り当てられました。車の外側には,「御国のこの福音は伝道されねばならない」と書かれていました。この車を用いて,会衆が一つもないスコットランドの各地を2年間伝道することになったのです。車に取りつけられたスピーカーを通して,神の真理の音信は,変化に富む地形のこの地方一帯の低地や高地に,そして湖,山,平野に響き渡りました。

その後,再び英国で奉仕する任命を受けました。そして,押し進められてゆく伝道により多くの人々が聖書の真理の知識を得,献身して,長年待ち望まれてきた,エホバの集められる民の増加するさまを私たちは英国で目撃しはじめました。

ロンドンのベテルにおける奉仕

1942年,協会のロンドンの支部事務所で働くように招待されました。ロンドンのベテルのおもだった兄弟の多くが,第二次世界大戦中,聖書に基づく中立の問題で投獄されたため,ベテルの奉仕者が必要になったからです。

第二次大戦中にベテルにはいった私は,4年半の忘れることのできない奉仕をはじめました。ベテルにおける奉仕では,仕事の種類の如何にかかわりなく,もっともすぐれた仕事が行なわれます。私は,英国中のすべての会衆と連絡を保つ奉仕部門で働く特権を得ましたが,それは本当に楽しく祝福の多い経験でした。

また当時の幾年間は実に危険な時で,ロンドンは敵機の攻撃の主要目標にされていました。「英国戦線」は熾烈を極め,高性能爆弾や焼夷弾がロンドンではほとんど毎夜各地で炸裂していました。しかし驚くべきことに,ロンドンの証人たちは決して伝道をやめませんでした。それどころか,伝道活動をいっそう増加させたのです! 彼らは「御国の良いたより」を携えて人々を訪れ,多くの人に慰めをもたらしました。当時の困難な事態の下にあって,エホバがご自分の民を保護するために本当にすばらしい備えをしてくださることを学びましたが,エホバの備えは本当に貴重な富です。―マタイ 24:14。

さらに多くの富

1946年,私は妻とともに巡回奉仕を行なうようにとの招待を受けました。巡回のしもべの奉仕は,ベテルの家族とともにした生活に次いで,霊的に豊かな報いを受けるもっとも祝福された特権の一つであることを私はしみじみと感じます。老若を問わずすべての人に対して大きな愛と親切をつくすことが必要でした。しかしまた,兄弟たちに仕え,新しい人々を奉仕に導くことには大きな喜びがあります。こうして16年間を過ごし,1962年になりました。

それから私と妻は,健康の面でより適当な所である英国の南海岸の地方で,特別開拓者として奉仕することになりました。しかしもちろん引退はありません! 今でも地方の一会衆内で奉仕し,また全時間伝道にも携わっています。

全時間伝道を生涯の仕事として以来の,変化に富んだ50余年にわたる奉仕を回顧して,この人生を歩む決定を下そうとしていた当時,「年を取ったら,どうするのだ」と多くの人々から言われたことを今さらのように思い起こします。正直に言って,これまでに本当に必要なものは何一つ欠かすことなく与えられてきました。この秘訣はイエスのことばの中にあるのです。「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう」。(マタイ 6:33)全時間伝道を私たちの生涯の仕事に決めて以来,霊的な面で得てきたすべてのものは,たしかに決して滅びることのない富としていつまでも保たれているのです。―マタイ 6:20。

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